胡蝶の舞
幼少期編-7

これからこの体で生きる上で大事なのは、限界を知ることだ。たぶん。どこまでなら大丈夫なのか、知っておかないと突然倒れてはかなわない。もちろんまだまだ成長期なので、体力もついてくるし限界も変わってくるだろうけど。
深窓の令嬢として過ごす案もあったが、部屋から出ないで過ごす母の姿を思い出して却下した。虚弱体質だからこそ鍛えなければならない。日常生活すらままならないのは勘弁してほしい。
とはいえ、一度倒れたせいか監視の目が厳しくなかなか外に出してもらえなかった。正確には、私が出ようと思わなかったというのもある。
なぜなら父上が部屋の本を増やしたからだ。絵本以外の本を読んでいたら父上が辞書を与えれば初級レベルの専門書なら読めると気がついたらしく、色々な辞典やら雑多なジャンルの本やらを持ち込んできたのだ。それが楽しくて本を読みふけっていた私も私だが、父上も策士である。
そんなわけで数週間は楽しく部屋で過ごしていたが、流石に外に出たくなって駄々をこねた私は真っ先に修練場に向かった。倉庫の扉を開けようとして――開かない。え、鍵かかってる。
「なんでー!」
バンバンと叩いてみてもどうしようもない。なんでも何も、私が勝手に開けたからだろうけど。父上にしっかり対策されていて、仕事が早くて結構なことだ。くっ、これでは剣を振るうことができない。
仕方ない、代用品を探すしかない。私は広い庭をうろうろしはじめた。この際、木の枝とかでもいい気がする。殺風景ながらも手入れはされている庭で落ちている棒をやっと拾ってこの間の感覚を思い出してみる。剣ではないので前ほど集中はできなかったけど、父上の剣のふるいかたは思い出してきた。
右足を出してなぎ払う、止められたところで手首を返す。切っ先が動いたのを見て後ろに下がって、隙を見つけてまた踏み込む。
目の前に誰かがいるかのようにただの枝を振り回していた。我に返ったのはその枝が振りすぎて真っ二つに折れてしまったからだ。上がった息を整えて、折れた枝を手放す。
倒れるほどじゃなかったが疲れてはいた。一度集中するとなかなか戻ってこられないらしい。木の根元に座り込んで、でもうまく寄りかかることはできず私は地面に寝転がった。咳き込みながらちょっとまずい気配を感じる。
芝生のにおいの包まれていた。髪の毛に葉っぱや汚れもついているんだろうなあと思いながらぼんやりと空を見上げた。帝都の空には結界魔導器が目立つが、まっすぐに見上げているだけでは視界に入らない。小鳥のさえずりと生き物の気配だけが感じられた。
目を閉じる。あっという間に意識が落ちていって、次に目が覚めたのはベッドの上だった。
重い瞼をあげるとぼんやりとした視界が次第にクリアになってきた。誰かがそばにいるのがわかる。
「レティシア」
無表情で私を見下ろしているのは父上だった。どうしよう、できれば怒られたくはない。でも無理をするまで枝を振り回していたから外で眠ってしまったんだろう。それにわざわざ私をここまで運んだ人がいるということだ。
「外で倒れているお前を見つけた時は肝が冷えた。何をしていたのだ」
「……けんの、れんしゅう」
「倉庫には鍵をかけていたはずだが。あんな庭の端で――いや」
父上も気が付いたのだろう。呆れたようにこちらを見てため息をついた。
「そんなに剣を学びたいのか」
そう聞かれると、どうだろうか。学びたいとは少し違う気がする。私はしばらく考えてみてから、腑に落ちた答えを口にした。
「けんをもってるの、あたりまえだから」
自分でもなんだか異常に思えたが、一度手にした剣を手放してしまうと四肢をもがれたかのように感じたのだ。父上は私の言葉に目を瞬かせ、そして低く唸った。
「そうか。……しかし、また倒れては体に障るからな。私がいるときは剣を持っても構わない。だが、それ以外は我慢しなさい」
「ちちうえいるとき、だけ?」
「そうだ。分かったな」
それは問いではなく、決定事項だった。私は渋々頷いて、それから唇を尖らせた。
「でもちちうえ、いない」
そう、父上はほとんど家にいない。少なくとも私が起きている間は、屋敷の中で会うことは稀だった。たまに私の部屋に来るが、それも一週間に一度程度である。稽古をつけてくれると前にも言っていたが、それもこの数週間一度もなかったし。
となると、私が稽古をつけてもらえるのは多くて週一度になってしまう。それ以外の日は剣に触れないとなるとつまらない。
「……それは。まあ、そうだな」
父上は一瞬言葉に詰まったが、あっさりと認めた。いやいや、何か案はないのか。
「私は仕事で忙しい。お前に構ってばかりはいられない」
「うん」
知ってる。今更だ。
「だから他の日は本を読んでいなさい。何か必要なものがあればメイドか家令に伝えれば持って来させるようにしよう」
うーん。仕方ないか。父上が仕事を辞めるわけにもいくまい。それに、メイドが言っていた通り剣術に長けているなら父上もそれなりに出世頭なのかもしれない。キャリアを邪魔したいわけではないのだ。
「わかった。でも、にわいくのは、かまわない?」
「枝を拾わぬのならな」
「……ん」
諭されて頭に手を載せられる。父上が私にしてほしいのは剣より勉強らしいので、今のところは大人しくしていよう。幸い、長い軟禁生活のおかげで本を読むのは好きになっている。
父上はしばらく私の頭を撫でてから部屋を出て行った。それにしても、相変わらず子供に対して口が下手だし、頭を撫でておけばいいと思ってそうだなあ。撫でられるのは嫌いではないけれど。


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