深海に月
18

異形の体躯が地に堕ちる。オーマは苦しげに呻いた。
「テルカ・リュミレース……あくまで我らを拒むというのか……。ならば……ならば我らはなぜこの世に……。わ……れは……なん……のた……めに……!」
途切れ途切れのその言葉にわたしは急いでオーマに駆け寄った。途中誰かが呼び止めたけど、このままではいけないと本能的に悟っていた。怨念にとらわれたオーマが何をなせるかはわからない。でも、もう彼はひとを逸脱した存在だ。
「オーマ!」
「お主までも……我を……」
「そうです」
それは事実だった。オーマを裏切ったのはわたしだ。千年の拠り所のわたしが裏切ったのだ。オーマの恨みの矛先はわたしに向いているに違いない。
「私は生まれ変わった。あなたはそうはできなかった。かなしいひと、それでも地に還ることはしないのでしょう」
「おぬし……まさか……!」
「これ以上その身を貶めることはさせません。我が王、その魂は私がもらい受けます」
いつもと同じ、だった。私がずっとそうしてきたように、オーマの魂を喰らう。オーマは口を開いていたけれど、結局何も言わずに光の粒となって消滅していった。
最後に残ったのは一つの霊薬だ。わたしはそれを拾うことはできずに見下ろしていた。
「レティシア……」
エステルが後ろでわたしの名前を呼んだ。顔を上げるのが怖くて、それに気が付いて笑ってしまいそうだった。オーマはもういない。わたしは最後に残されたばけものだ。この世界にたった一人いた同胞はわたし自身の手で消してしまった。
カツ、カツ、カツと硬い床をたたく音が聞こえた。それはエステルたちのいるほうじゃなくて、目の前から聞こえてくる。黒いブーツの持ち主をわたしは知っていた。
携えるのは剣だ。わたしと同じ剣、最後に残った剣。王の持つべきだった剣だ。
剣持つひとは黙ってわたしを見て、そして剣を突き立てた。
「ッあ、ぐ……っ!」
「レティシア!!」
「デューク!何を……!」
悲鳴は鋭い痛みのせいで聞こえなかった。全部の神経が痛みに向かっているようにすら感じた。燃えるように、凍えるように、ただ純粋な痛みが全身を支配する。
「貴様!」
視界すらも虚ろになるなか、肩を掴まれて抱き寄せられていた。目の前でわたしから引き抜かれた剣と、真っすぐの片手剣が交差したけれど、視界に入っていたのはただ一つだった。
わたしの中からこぼれ落ちた結晶。完全な球体はまるで満月のようだった。
「聖核?!」
「違うな」
剣持つひとはそれだけ答えてその結晶を掴み、フレンの剣を払うともう用はないとばかりに下がった。わたしの力の抜けた体をフレンが抱きとめる。痛みは不自然なくらいに跡形もなく消えていった。
「星喰み、を」
あれがなんなのか自分ではわかっていた。わたしが今まで喰らった同胞の力、そのものだ。かつてのザウデの動力源、わたしがさっきまで使っていた力の源。剣持つひとはきっとそれを使って星喰みを斃そうとしている。
なら、いい。わたし一人では扱えないものだ。使える人が正しく使うのが間違いない。
剣持つひとは目を細めてわたしを見ると静かに去っていった。その瞳にこめられた想いは分からなかった。軽蔑か、憐憫か、それとも他のなにかか。でも彼がわたしをここに連れて来たのは間違いなく星喰みを打倒する一手になると考えたからだろうというのはわかった。初めて会ったときからきっと、彼はそのことしか考えていなかった。
「レティシア!治癒術を……!」
誰も彼を追うことはしなくて、わたしの周りに集まってきていた。わたしは首を横に振る。傷は残っていなかった。
「だいじょうぶ、けがない、です」
「そんなはずは……えっ?」
エステルがわたしをのぞき込んで驚いた顔をした。服には確かに切り裂いたあとがあったけど、体には傷は残っていなかったから。
「剣持つひと、わたしの力だけ持っていったです。同じ剣、だから」
「ちょっと待って、どういうこと?あなたが本当に宙の戒典と同じだとしても……力だけ奪い去るなんてできるわけ……いえ……やっぱり性質としては聖核と同じ?だとしたら年月をかければ」
すごい勢いで話をするひとに私は困ってフレンを見上げた。フレンはわたしをじっと見つめていて、ばちりと視線があった途端に我に返ったように瞬いた。
「本当に大丈夫なんだね、レティシア」
「うん。……ごめんなさい」
何に謝っているのか自分でも分からなかったけど、謝らなくてはいけない気がしてそう言った。わたしは自分が間違ってたとは思わない。オーマの元へ帰らなくちゃいけなかったし、やっぱりフレンが守るべき民でもないと思う。すこしだけ思い出した記憶はわたしにそう告げていた。
「いや、騎士失格なのは僕のほうだ」
「フレン?」
どうしてだろう?フレンは立派な騎士だと思う。でもフレンは眉を下げてこう言った。
「何度も怖い目に遭わせてすまない」
「わたし、自分で選んだ、です。フレンのせいじゃない」
「だとしても――君ともっとちゃんと話をしていればよかった。そう思うんだ」
フレンの慰め方が分からなくてわたしは黙るしかなかった。フレンは悪くないのに、けれどわたしが何を言っても無駄な気がした。こういうときに大事な何かを言えないのは、それこそわたしがフレンとちゃんと話をしてこなかったせいなのかもしれない。
「ま、とにかくあのオーマってのは倒したし戻るとすっか。レティ、他に化物がいるなんて言わないよな?」
ユーリさんが軽い調子でそう言ったのにわたしは思わず肩を揺らした。ばけもの、というとまだいるのだ。
「……わたし」
ぽつりと呟いた言葉はユーリさんに届いたらしい。ユーリさんはわたしを見て、そして手を伸ばしてきた。ぐしゃりと髪をかき混ぜられる。
「いないんだな?」
もう一度、確認するように尋ねられた言葉にわたしはもう言わなかった。でもまだ気にかかることがあるのは確かだった。
「……街、人いた、です。でも、みんなオーマが――使った、から」
多分だけど、無事ではない。使った、という言い方にユーリさんは片眉を上げて、オーマが消えた場所に視線をやった。
「やれやれ、一回ちゃんと調べておいたほうがいいな。フレン、ここにいた騎士団は全滅したってワケじゃないんだろ?」
「ああ、撤退しただけだからね。すぐに再配置と調査を行うよ」
「オーマが出てきたんだから前は見つからなかった扉があるはずね。気になるけど、とりあえず今はいいわ」
さっきすごい勢いで喋っていたひとが腕を組んで言った。たぶん、エステルの友達のリタさんだと思う。見回してみると、凛々の明星らしきひとたちの中にはわたしが知らないひとも何人かいた。男の人はちょっと怖かったのでフレンの後ろにさりげなく隠れておいた。
「そうですね、星喰みのことは解決していませんから」
「それにデュークがレティの力を奪って何をやろうとしてんのかも気になるしな」
同じように星喰みを倒そうとしてるのに、剣持つひとと対立してるのだろうか?気になったけど、なんだか疲れていたのでわたしは連れられるまま船に乗り込んだ。


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