深海に月
17

目を閉じていても剣戟の音は聞こえてきた。オーマに武器を向けた彼らにはもうわたしの姿は目に入っていないのかもしれない。そっちのほうが都合がよかった。
記憶の断片がわたしを苛む。オーマが言った通りだった。わたしは剣、千年間も生き続けた剣だ。同胞の命を啜って糧にしてきたばけものだ。だから、ここで自分の役割を果たさなきゃ意味がない。
フレンはわたしを庇護すべき民だと言った。それだけで十分だった。
「ぐ……!小癪な!」
オーマは苦戦を強いられているようで、苦しげな声が聞こえた。それに揺さぶられてしまう。オーマを倒すという選択は正しいはずなのに。
「レティシア!此方に来い!」
「オーマ……」
ふらりと体が傾ぐ。不意に力の流れが変わったのを感じた。だめだ、直感に貫かれる。
「レティシア!我の言葉に逆らう気か!お主は我が剣、剣に意思など要らぬ!」
「だめ、オーマ!うっ……!」
星喰みに向かっていた光が途絶えて、代わりに落雷のように地に落ちる。急に息が苦しくなって、わたしのなかの力の出力が増えたせいだとわかった。
「オーマ!わたしは傷つけない!いや……!」
星喰みを打倒するためならいい。でもフレンたちを傷つけるために利用されたくはなかった。オーマがそれを許すはずもなく、大きな手のひらで体を強く掴まれる。
「うぅっ!」
「お主も我を裏切ると申すか?許さぬぞ。我らが恨み、忘れたとてその身に刻まれているであろう!」
「レティシア!」
フレンが大きく剣を振りかぶるのが見えた。オーマはそれを受け止めて、ぎりぎりと拮抗する。
「レティシアを離して!"グランシャリオ"!」
動きが止まったところに技を叩き込んだのはエステルだった。憎々しげにエステルを睨んだオーマは私を掴んだまま後ろに下がる。また力が抜かれる感覚がして剣から光が迸った。
「オー、マ、だめ、星喰みを……」
「星喰みなどどうでもよい!此奴らを討ち取るのだ!」
このままだと力が足りなくなってしまう。わたしは意を決して拳を握った。
「……"ほころべ、くずれよ"」
詠唱と同時にわたしを掴んでいた腕がぼろぼろと崩れ去っていく。オーマは、今はもうエアルの塊そのものだ。生物よりはずっと干渉しやすい。オーマの手の中から抜け出したわたしは剣の元へ走った。
「貴様!レティシア!三度目はないぞ!」
オーマの怒号に身が竦む。でも、また捕まってしまったら今度こそオーマにいいように使われてしまう。
「"天より来たれ、裁きの刃"!」
「ぐっ!」
そらから降り注ぐ雷にオーマは動きを止めた。どうやら剣の力はオーマがコントロールしているみたいだった。わたしの使う魔術はまた別で、でもそしたら困ってしまう。星喰みを滅ぼすことができるのはこの剣だけだ。
「この力は災厄を滅ぼすもの。そのためだけのもの!」
「誰が……誰がその力を与えたと思うておる!適性があったのがお主であっただけの話よ!驕るでない!」
「っ!」
オーマの異形の腕が振りかぶられる。わたしが崩した手もすぐに再生してしまっていた。避けることもできずにぎゅっと目を瞑ったところで、硬く響いた音が衝撃の代わりだった。
「忘れてもらっちゃ困るわね」
ジュディスさんが大振りの槍でオーマの攻撃を受け止めていた。瞬きの間に体が引っ掴まれる。
「あっ」
「レティシア、逃げるならこっちだ」
少し乱暴に抱えられてわたしは目の前にある横顔を見つめた。何を言うべきかわからない。でも勝手に口が動いていた。
「わたし……ちがう、です」
「え?」
「フレン守る民、ちがう」
わたしは「街」でずっと生きてきたばけものだ。星喰みを倒すための装置だ。フレンが思ってるものとはきっと違った。
なのにフレンはひどく真剣な眼差しでこう言った。
「約束しただろう。僕は君を傷つけたりしない」
「――」
わたしははじめてフレンに会ったときのことを思い出していた。空と同じ、蒼い瞳。星喰みのいる空とはまるで違ううつくしい空だった。
気づけば指先に力をこめてフレンにしがみついていた。そして懺悔するように告白する。
「フレン、わたし、オーマいないと剣使えない、です。星喰み滅ぼす、できない」
「大丈夫、君の力だけに頼るなんて最初から考えていないよ。だからどうか安心して」
わたしを下ろしたフレンは微笑んだ。わたしを安心させるだけのその笑みにひどく胸がざわついた。嫌な感じではない、でもどうしても落ち着かない。
フレンは剣を持ってオーマに再び立ち向かっていった。わたしはどうするか迷って、ハッと気がつく。オーマは剣を通じてわたしの力を勝手に引き出している。それさえなければきっと。
オーマは「街」で唯一の「仲間」だった。全てを忘れ去ったひとびととは違う。わたしだってなにもかも忘れていたけれど――「前」の記憶と混濁していたけれど、それでもオーマに近かった。千年を共に過ごしたそのひとは、いま憎しみの牙を剥いている。
その憎しみをわたしは理解することができなかった。利用されてやることができなかった。忘れてしまったのはきっとオーマにとっては不幸で、わたしにとって幸運だったのだ。
「"運命の輪はここで途切れ、千年の輪廻はここで終わる。我が名はレティシア。剣の贄、最後の王の娘なり"」
剣との交信が途絶えてオーマの怨嗟の声が聞こえる。わたしはその耳をつんざく痛々しい叫びに、ただ耳を傾けた。


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