リピカの箱庭
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カーティス少佐はさすがというか、すぐに表情を取り繕ってネフリーさんを見た。
「ネフリー、この方とはどういう知り合いなんです」
「先ほど助けていただいたのよ。鞄をひったくられそうになったときに」
「なるほど。兄として感謝します、ガルディオス伯爵」
どうにもうさんくさい作りものの笑みを浮かべてお辞儀をするカーティス少佐とは対照的にネフリーさんは「伯爵!?」と小声で叫んでいた。私の顔とカーティス少佐を見比べて、もう一度叫ぶ。
「そ、そうとは知らずとんだご無礼を……!」
「いえ、名乗らなかったこちらの責ですので」
「そうおっしゃいましても!」
「本当に構わないのです。なにやらお忙しいようですし、そろそろおいとまさせていただきますね」
分かってはいたが、やはりこの肩書は面倒くさい。ネフリーさんがかわいそうになってきたので私はそそくさと出て行くことにした。すると乾かしていたコートを手に取ったカーティス少佐がこちらに差しだしてきて、私は瞬いてそれを受け取った。
「お送りしますよ。ネフリー、あなたは片づけを」
「はい。レティシア様、その……とても感謝しています。ありがとうございました」
ネフリーさんが深々とお辞儀するのを受け取って私はコートを着ると外に出た。暖かい家の中から出ると刺さるような空気に一瞬身震いしてしまう。そして後ろに立つ、重い北国の空が似合う人を振りかえった。
「少佐、送ってもらわなくても結構ですので」
「そうはいきませんよ。あのホテルに泊まっておられるのでしょう?」
「まあ……」
「それに送っていかなければネフリーに怒られます」
少佐が肩を竦めるので私は諦めてざくざくと雪道を歩きだした。心遣い……かどうかは分からないけど、無下にすることもあるまい。
「ところでガルディオス伯爵、なぜケテルブルクにいらっしゃるんです?供の者も連れずに」
なんだか聞いたことある言葉を投げかけられて、私もため息をついて肩を竦めた。
「……ただの休暇です。部下の新婚旅行の付き添いですが邪魔する気はありませんので」
「それはまた、妙な話ですね」
「私だって知りませんよ。急に船に乗せられたんですから」
妙な話と言われたら反論なんてできないけど文句は彼らに言ってほしい。というか、なんでカーティス少佐にこんな話をしなくてはならないんだ。彼だって完全にプライベートでここにいるだろうに、軍人の顔をしているのだから気が抜けない。
「少佐はネフリーさんの結婚式に?」
「ええ、そうですが……ネフリーから聞いたのですか?」
「はい、預言のことを少し。なんだか複雑そうでしたが」
預言の話なら隠すことでもなし、カーティス少佐も知っているのだろう。結婚なら祝福すべきだが、あの話を聞いてしまった以上それは難しい。カーティス少佐はしばらく黙り込んでいたが、おもむろに口を開いた。
「ネフリーの恋人というのはピオニーのことです」
「……殿下、ですか?」
声を潜めて告げられたことに私は驚きを隠せなかった。いや、でも言われてみればそんな話があった気がする。殿下はたまに好色っぽいことを言うくせに殿下狙いの令嬢に対してはのらりくらりと躱して相手をしていなかったのは恋人がいたせいだったのか。
「ええ。それを知っているのはごく少数のはずですが……どうにも最近不審者が多いのです。ひったくりに遭うというのも偶然とは考え難い」
あっ、と私は声を出しそうになった。ネフリーさんの持っていた鞄に入っていたという手紙、それは間違いなく殿下とネフリーさんの関係の証拠になる。
殿下は皇太子の立場にあるが、考え方は今の皇帝陛下とはかなり異なる。そして皇帝陛下は病を患っていて健康体とは言い難い。殿下の治世への危機感を募らせている者は少なくないだろう。
ネフリーさんが殿下の元恋人だと証拠が広まったらどうなるか、殿下の敵に狙われるに決まっている。今すぐでなくともそうなる可能性は高い。皇帝になって盤石の体制を整えられれば対処は難しくないかもしれないが、今は違うのだ。
「伯爵、あなたが今ここにいることを知られるのは危険です。出歩くなら供をつけたほうがよいかと」
「なるほど、わかりました」
せっかく休暇に来たというのに、反殿下一派の企みに巻き込まれるというのも面倒である。それに、こう言うなら私がしゃしゃり出ないほうが少佐として都合がいいのだろう。だったら何もしないほうがお互い平和だ。私はカーティス少佐の進言に頷いた。
結局ホテルの前まで送ってもらい、私はカーティス少佐と別れた。それにしても少佐も殿下になかなかこき使われているようで忙しそうだ。プライベートとかなさそうだなとほんのり同情しつつ、私は部屋に戻ってのんびりしようと決めた。


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