リピカの箱庭
28

「ところでレティシア。ミサには行かなくてよかったのか?」
ピオニー殿下がそう尋ねてきたのはネイス博士の件の報告を終えたあとだった。私は一瞬何を言われたのか理解できず、そして理解した瞬間さっと血の気が引くのを感じた。
ミサに行くということは預言を詠んでもらうということだ。四歳の誕生日から預言を詠まれたことは一度もない。私の誕生日は戦争の始まった日で、ホドの民が亡くなった日だ。そんな日に預言士を呼んで祝うことはやめてしまったし、何より恐ろしくて預言を聞くことなんてできはしない。
わかっている。こんな考え方はおかしい。預言を重用するマルクト帝国で私は異端だ。いや、預言に支配されたこの世界で確実に異物だ。
今ここで疑われてはいけない。言わなくては。でも、言っていいのかわからない。預言を詠まれるなんて、きっと裏切りだ。
――誰への、何への裏切りなのだろう。
「わ、たしは」
ぐるぐると頭の中で考えが渦巻いて、胸に溢れるぐちゃぐちゃの感情に吐きそうな気分だった。何かを抱きしめるように胸の前でぎゅっと手を握る。ひく、と喉が震えた。
「……顔色が悪いな。今日は休んだほうがいいか」
次の言葉が出てくる前に降ってきた声に私は知らずのうちに俯いていた頭を上げた。殿下の顔色からは何を考えているのかうかがい知れない。
「すまないな。疲れただろう」
「……ピオニーさま」
内心胸をなでおろしながら、それでも焦燥はくすぶったままだった。でも、言い訳なんてできない。する余裕もない。
「はい、休ませていただきます」
なんとかそう言って礼をする。うまく考えをまとめられないまま部屋を出て、自分の客室へと戻った。後ろを歩く騎士たちが何か言いたげにしていたのには気がつかなかった。

幸い帰国の途につくまでもう時間はなく、ミサに行かずとも不自然ではなかった。ネイス博士はまた別の軍艦でグランコクマまで護送されたらしく、あれ以来顔を合わせることはなかった。彼の扱いは今後どうなるのだろうか。譜業研究の第一人者であったはずなので、何かに活かしてはくれないかと思うけど本人はフォミクリーに執着したままだった。私には如何ともしがたい。
閑話休題。ダアトでの滞在をなんとか終えた私は再び装甲艦と馬車に乗らなくてはならなかった。行きよりはマシな顔をできていたと思う。マクガヴァン中佐が顔を合わせるたびに何か言いたげな視線を向けてきたけど多分大丈夫だ。まさか殿下が何が言いふらしたとかではないと願いたい。
ようやくグランコクマに到着し、一旦使節団で王城に向かって報告を終えてから解散になる。殿下から労りの言葉をかけられたが、皇帝陛下は姿を見せなかった。そういえばマルクト皇帝のことは遠目に姿を見たことがあるくらいで対面したことはない。精神衛生上そっちの方が私としては喜ばしいんだけど。
「ガルディオス伯爵。早速で悪いが例の件について報告が上がっている」
と、解散前に殿下に声をかけられて書類を渡された。例の件――つまりセシル家の亡命事件の話だろう。私は書類を受け取ってザッと目を通した。
「証言を取った方がよいでしょうか」
「どうだろうな。これだけでは弱いし、何より火種にするにも厄介だ。親父殿は喜ぶかもしれんがな」
自虐的な笑みを浮かべて殿下は腕を組んだ。まあ、私も戦争がしたいわけではない。リスクを抱え込むのは確かだが、あと何年か黙っていれば私と殿下の間だけで片がつく問題だ。
「ではこちらで処分させていただきます」
「……いいのか?」
「構いません。尻尾を切るだけになるでしょうが」
久しぶりの我が家なのに帰るのが億劫だ。一度にいくつも面倒ごとがやってくるなんてこれきりにしてほしいと思う。
ピオニー殿下はじっとこちらを見ていたが、「わかった」と頷いた。家の問題として片付けさせてもらえるということだろう。ダアト訪問の報酬がこんなことなんてため息が出そうだけど、仕方ない。私が生きていたから起きた問題なのだ。身から出た錆とも言う。
貴族というのは生きてるだけで厄介だ。ガイラルディアが戻ってきてくれたら、そのときは少しやすみたいと願った。


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