深海に月
02

フレンの部屋に戻ったはいいものの、座る場所もない。仕方ないのでフレンの机に置いてある椅子に勝手に座ることにした。机の上には書類がたくさん置いてある。言葉もそうだけど、文字もわたしが知っているのとは少し違った。読めなくはないけど読みにくい。
「キシダン……テイト、ザーフィアス?」
フレンの言っていた単語も散りばめられている。固有名詞らしきものがたくさんあって、難しくてよくわからないのでわたしは書類を元の場所に戻した。やることがなくてつまらない。フレン、はやく戻ってこないかなあと思っていると部屋のドアがノックされた。戻ってきた!と思ってドアに駆け寄って開ける。
「フレン!」
けれどそこにいたのはフレンではなかった。青い服の人だ。さっきの人とは違う、女の人だった。目を丸くするその人に、わたしは慌てて机の後ろに戻った。
「なっ……、なぜ子どもがここに?」
女の人は困惑しながらこっちに近寄ってくる。捕まるのが怖くて隙をついてドアの方にまた逃げると「あっ!」と声を上げられた。
「こら、逃げるんじゃない!」
そう言われても追いかけられたら逃げたくなる。部屋から飛び出ると女の人もついてきて、必死に走る。ちょうど目の前からフレンが歩いてきたのが見えてわたしはフレンを盾にするように後ろに隠れた。
「わっ、レティシア?」
「隊長、その子どもを捕まえてください!」
「ソディア?どうしたんだい、二人とも」
「隊長のお部屋に入ったらその子どもがいて、急に逃げ出したんです!」
「ああ、知らない人にびっくりしたのかな。大丈夫だよ、レティシア」
フレンが言うけど、女の人はそんな感じじゃない。少し嫌な感じがする、わたしを捕まえた人と同じだ。フレンの背中に隠れたままでいると籠手を外したままの手を差し出された。
「部屋に戻ろう」
「……、うん」
フレンがいっしょなら大丈夫かな。フレンの手を握る。フレンの手はあったかくて、やっぱり安心した。
「ソディア、この子は先ほど保護したんだが、どうやら満月の子のようなんだ」
「エステリーゼ様と同じ、ですか?」
「そうだ。まだ魔導器を持っていないことを確認してはいないんだけどね。君に頼んでもいいかい」
「了解しました」
フレンが女の人と何か話しているのを聞きながらわたしは空を見上げた。空にはやはりあの恐ろしい、何かがいる。
「フレン」
「うん?」
「空、ある。なに?」
フレンは私につられたように空を見上げた。彼の顔が曇ったのは背の低いわたしからは見えなかった。
「あれは……、星喰みだよ」
「ほしはみ」
何か聞いたことのあるような名前だ。誰が言っていたんだろう?思い出す前にフレンが言葉を続けた。
「心配しないで。アレクセイの後始末は、僕たちが必ず……」
「隊長……」
よくわからないけれど、女の人は心配そうにフレンを見ていた。フレンに手を引かれながら空にはあの星喰みがないのが普通なのだろうかと考える。それもそうかもしれない。だってこわいもん。フレンがやっつけてくれるのかな。わたしはすっかりフレンのことを信用していたので、なんとなくそう思った。
フレンの部屋に戻ったあと、わたしはテイトに行くんだよとフレンに言われた。「外」ではフレンの側が一番安心できるけど、わたしはなぜか女の人と同じ部屋にいるようにと言われてしまった。
「フレン、一緒、いい」
「うん、僕が執務室にいる間ならここにいていいからね」
なんだか誤魔化されてしまった。女の人――ソディアという名前らしい――はわたしにちょっと怖い顔をするから苦手だ。船の簡易的なお風呂に入ってる間もわたしをじろじろ見てくる。そんなに見ても、変なことはしないのに。
それになんか様子が変だ。わたしの方を見ていないときはため息ばっかりついている。嫌なことがあったのかな。
「ソディア」
「……なんだ?」
「悩みごと、言う、しない?フレンに」
「……隊長に言えるものか」
どうやらフレンはタイチョウというものらしい。「フレンタイチョウ」と繰り返すと「そうだ」と返された。
「隊長はお忙しいのだから、あまり手間をかけさせないように」
「わたし、手間?」
「はっきりと訊くな。まあ、お前のような者の保護は我々騎士団の務めでもある。そんなに気に病まなくていい」
キシダンのタイチョウなのか。なんとなくわかってきた。そういう組織のようだ。軍とか警察みたいなものだと思う。街ではそんなものはなかったけど、「外」は街よりも人もいっぱいいるし必要なんだろう。
「お前の言葉は古語のようだな」
ソディアがポツリと呟く。古語?古い言葉、ということか。わたしたちはずっとずっとむかしから街にいたから、「外」とは違う言葉の発展を遂げたのだろう。
「しかし、本当に魔導器を身に着けていないとは。隊長が見間違えるとは思えないが、本当に魔術を使えるのか?」
「魔術?治癒する、できる。ソディア怪我ある?」
「いや、そういうわけではないんだが」
ソディアは少し困ったように私を見た。「確かに……エステリーゼ様に似ているな」と彼女が呟いたのが聞こえたが、意味は分からなくて首を傾げることしかできなかった。


- ナノ -