リピカの箱庭
幕間01

レティシアがグランコクマに行くと聞いてガイラルディアは首を傾げた。
その日はレティシアの姿が急に見当たらなくなったのだった。姉に勉強の面倒を見られていたガイラルディアはそのことに気がつき、同時に屋敷の中にレティシアがいないことにも気がついた。ガイラルディアがいない、いないと騒ぎ立てた結果、騎士たち総出で探す大騒ぎになったのだったが、それが沈静化したのはフォミクリー研究所から報せが来たからだった。
――ガルディオス伯爵令嬢がフォミクリー研究所に不法侵入した。
ガルディオス伯爵は執務を放り出して研究所に急ぎ、ガイラルディアはレティシアが見つかったと母親になだめられた。しかし同じ寝室で眠るはずのレティシアは朝になってももどってこなかった。その上、屋敷を出てグランコクマに――遠くに行ってしまう告げられては疑問を抱かずにはいられない。
「どうして?」
「レティシアは病にかかってしまったのです。元気になるまでグランコクマでおやすみするのですよ」
「おれもいく!」
ガイラルディアが返した言葉にユージェニーは曖昧に微笑んだ。双子の兄妹の仲睦まじさは母親であるユージェニーもよく知っている。兄のガイラルディアはまだ子供らしく臆病な面があるが、心身ともに健康で後継ぎとしては申し分ない。一方で妹のレティシアはなんとも扱いにくい子供だった。
熱を出しやすいのは体が弱いだけだろう。けれど、いつからかレティシアは妄想に取り憑かれるようになってしまった。キムラスカが攻めてくるのだと何度も繰り返し、なだめても怯えたようにすがるのだ。誰かに吹き込まれたのかと調査もしたが、容疑者を排除してもレティシアは変わらなかった。
まだ四つだというのに譜術の本を読んで扱うというのも異常だった。フォミクリー研究所に侵入したレティシアは研究員に対して譜術を行使したのだという。天才だともてはやすにはレティシアの異常性が浮き彫りになってしまいすぎた後だった。
妄想癖に関しても、譜術に関しても、ホドにはいないほうがいいだろう――それがジグムントの結論だった。新しい環境で心機一転すれば少しは落ち着くのではないか。そのことに関してはユージェニーも賛成した。
自分もついていきたい気持ちもあったが、マルクトがキムラスカと緊張状態にあるのは事実だ。己の立場を理解していたユージェニーはホドに残ることを決意していた。――もしかしたら、ユージェニー自身レティシアのことを恐れていたのかもしれない。キムラスカの侵攻はユージェニー・セシル・ガルディオスがもっとも恐れていたことでもあったから。
「ガイラルディア、レティシアはすぐ元気になって帰ってきますよ。心配しないで」
「……でも」
ガイラルディアは言いよどんで、あたりを見回した。近くにいるメイドに聞こえないように声をひそめる。
「レティ、よる、ないてるよ」
「……レティシアが、」
「おれ、いっしょにいてあげないと」
意志の強い瞳でガイラルディアは母親を見上げた。ユージェニーは一瞬言葉に詰まる。
普段は、特にガイラルディアといるときは子供らしく振る舞うレティシアがそんな片鱗を見せているとは思っておらず、そしてガイラルディアがそのことを秘めているとも考えていなかった。ユージェニーはガイラルディアを抱きしめる。本当に抱きしめる相手が違うことを知りながら。
「レティシアは大丈夫ですよ。心配なら、そうね。贈り物をしましょう」
「おくりもの?」
「あなたがついていかないかわりに、うんと心を込めた贈り物をするのです。さ、何がいいか考えましょう」
そう促すとガイラルディアはうーん、と考え込んだ。それでいいのだとユージェニーは思う。レティシアが一番喜ぶのは、きっとガイラルディアからの贈り物だ。

ガイラルディアが母親とともに選んだのはぬいぐるみだった。金色の毛並みに、碧い宝石の瞳のテディベア。渡されたレティシアはそれをぎゅっと抱きしめた。
「レティ、あのね、あのね……」
「ガイ、ガイラルディア。ありがとう」
コートを着たレティシアは空いた手でガイラルディアの手を取る。幼い二人は額をこつんと合わせて目を閉じた。まるで、そうすれば言葉にできないものを分かち合えると思っているかのように。
「おかあさま。マリィベルおねえさま」
ガイラルディアと同じ毛色のぬいぐるみはレティシアとも同じだった。その碧い瞳がまっすぐにユージェニーを見つめる。
悲しそうだった。娘はいつも悲しそうで、何かに怯えていた。今もそうだ、まるで今生の別れのように悲壮な顔で母親を見つめている。
「いってらっしゃい、レティシア。早く良くなってね」
ガイラルディアと同じく、療養としか伝えられていないマリィベルがそう声をかける。ユージェニーは罪悪感を抱きながら同じような言葉を口にした。
「レティシア。一日も早く良くなることを母は願っていますよ」
「……」
戸惑いの色がレティシアの顔に浮かぶ。なにか言いかけた彼女を遮ったのはジグムントだった。
「レティシア。ゆくぞ」
「……はい。どうか、どうか……、ごぶじで……」
意外なことにレティシアはガイラルディアではなく、母と姉に向けて最後の挨拶を残した。挨拶と言っていいものだっただろうか。ジグムントに手を引かれて馬車に乗り込む小さな背中を見送る。
「レティ!」
ガイラルディアはただ手を振っていた。馬車の小さな窓からレティシアも手を振り返してるのが見える。
それはすぐに見えなくなったが、ユージェニーは呆然と馬車が走り去るのを見つめていた。何か取り返しのつかないことをしたのではないか、と不安が込み上げてくる。

娘が何に怯えていたのか。ユージェニーは、すぐに知ることとなった。


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