ここまで打ったところで、俺は少しだけ無意識にスマホの画面を叩く動作を止める。頭に流れてくる気持ちを、縁さんに向けて打っていたところで、この意味が縁さんに伝わるのだろうか。否、伝わってもらっても困るのだ。全て終わってからの種明かしは構わないが、これ以上他人に俺のことで負荷をかけてしまえば、俺の心がまた歪んでしまいそうな気がする。誰も死んでほしくないからこそ、誰にも知ってほしくない。知らぬが仏、言わぬが花。この言葉たちはまさに言い得て妙だ。
最後の文章を悩んだあげく消して、俺は続けて文章を打ち込む。

『灰音さんが行くなら俺も行く。それだけのことです。
 それにきっと、貴方が当日その場にいるのなら、灰音さんもきっと安心することでしょうし、俺としても実際心強いですから。俺は結局のところ、貴方を信頼しているので、それに見合った言動をして下さいね。それでは、また近いうちに。
追伸:メールはもう少し短めにお願いします。俺、ドライアイなので』

最後のドライアイは嘘だったが、メールが長く感じたことは本当だったので、今後改善してくれることを祈り送信ボタンを押した。

いつからだろうか、嘘を吐くことに抵抗が無くなったのは。
嘘に心を痛めないという訳ではない。強がっているのも嘘の一種みたいなものだし、強がるのは心が痛むというか、言ってて虚しくてどこか辛いのだ。それでも、嘘も方便と言う言葉が示す通り、嘘を吐くことによって良いことが起こる時もある。知らぬが仏に通ずるところもあるが、知らないままにしておくためには嘘を吐く必要も出てくる。それがいい加減慣れてきて、どうでもいいところでも嘘を吐くことが度々ある。と言っても嘘吐き呼ばわりされるほど嘘は吐いてないと思いたいのだが、俺は結局どれくらいの割合で嘘を吐いているのか自覚が持てなくなってはいた。

「そういうところが尚更狐っぽくて嫌だな、人を化かしているところなんかまんま狐じゃないか」

天狐のことを思い出すが、そう考えると縁さんは狐ほどずる賢くは無いようにも見える。彼はどちらかというと、さらっと嘘を吐くタイプよりは、「いやー、まあ嘘なんだけどね!」と笑いながらすぐ暴露してしまいそうだ。そう考えると良心的かもしれない。それでもいつも笑っているところは狐そっくりなのだが。
空っぽになった皿たちを片付け、そのまま忘れないうちに洗い物を済ませてしまう。食器洗浄機でも買えばもっと楽になるのだろうかと思ってみたりもするが、わざわざ出向かうほど暇でもないし、一人が食べる量なんてたかが知れているから、ちょっとの労働のために金を払うのも馬鹿らしいという結論にいたりいつも買わずじまいでいる。


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