洗面所で自分の顔を見る。そう言えば昨日はよく泣いた気がするが、ぐっすり寝たおかげかすっきりしている。自分のぐずついた顔は嫌いだから、元通りになってくれてよかった。俺は歯磨きを済ませてから顔を洗い、髪の毛を整える。女性はこの間に化粧でもするのだろうが、それがないだけ男性は恵まれているのか、改善の余地すら与えられないという面では虐げられているのか。
そんなどうでもいいことを考えながら、椅子にかけていた白のネクタイを締めて、ハンガーにかけておいたベストと上着を着る。黒手袋を嵌めるとこれから仕事だという実感がわいてくる。そして最後、大事にガラスの箱に入れてある四つのピアスを左耳につける。月のピアスだけは、どうしても無くしたくないから、こうして他のピアスとは別に入れてあるのだ。

「さあ、今日も仕事しますか」

無表情を作りながら、少しだけ浮かれた心境のまま自分の部屋を後にした。


灰音さんは書類の詰まれた机の前にはいなかった。
最初はお手洗いにでも行ってるのかと思って数分待っていたのだが、いくら待っても灰音さんの姿は俺の前にはない。まるで世界が灰音さんの存在を消しているかのように、誰も灰音さんのことについて聞きに、この部屋に現れないのだ。冬なのに、暖房が効いてないせいだろうか、背筋がどこかぞわっとした。

「……時間間違えた?」

もしかして自分が設定したアラームの時間は普段より何時間か早くて、灰音さんはまだ起きていないからこの部屋にはいない……とか。灰音さんはこの部屋で仕事はしているが、厳密に言えば暮らしているのはこの部屋ではない。普段寝ている部屋は、この部屋の隣で、その部屋は執務室よりもっと広い。開けた先に灰音さんが寝ていれば、自分が時間を間違えていたもしくは灰音さんが寝坊したという可能性も出てくる。
俺は灰音さんが寝ていることを想定して、ついでに寝姿を拝めることまで考えて、そっと隣の部屋へと繋がるドアを開けた。寝起きドッキリのような自分の動きに自分で笑いそうになってしまうが、何とか笑いを押し殺して灰音さんのベッドの方を覗いた。それでもやっぱり、俺の探している彼女の姿は無かった。

「……?」

さすがに不審に思う。まあ灰音さんが腹を下していたとして、ずっとトイレに籠っているならいいのだが、それなら人がいた形跡くらいあるはずなのに、灰音さんのいつもの作業机は昨日とは違い、綺麗に整頓されていた。生活感はそこにはなくて、引っ越しする前の部屋の様にがらんどうとしていた。
とりあえず出直そうと思い、首を傾げながら灰音さんの執務室を後にしようとすると、不意にドアが開いた。灰音さんかと思ったが、その髪の色は灰色ではなく、金髪だった。


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