その内容は先ほど述べた綺麗な物語≠ニはかけ離れた、とてもショッキングなものであったから、シンデレラの煌びやかなイメージはこれ以降唐突に浮かばなくなってしまった。

俺が所属する組織の名前――【Cendrillon】。サンドリヨンと読む訳だが、これはフランス語でシンデレラを意味する単語であり、昔からシンデレラが大好きだった頭領がつけた名前である。厳密に言えば、その初代は現在の頭領の母親らしく、その時俺はまだ組織に所属していなかった。今の頭領は、母親からよくシンデレラの読み聞かせをしてもらっていたそうだ。もしかしたら彼女の母親――つまりサンドリヨン頭領初代は、そんな彼女を思って、この組織に愛をこめて名前を付けたのかもしれない。
だが俺からしてみれば、それこそこの組織は、シンデレラの光の部分ではなく、ペローやグリム兄弟が描いた闇の部分を表現したものではないかと皮肉にも思ってしまうのだ。
シンデレラの元になったグリム兄弟の作品(調べたところ確か原題は『Aschenputtel』)、そして『Aschenputtel』以前に書かれたバジーレの『Cenerentola』、通称灰被り猫にもグロテスクな表現は存在していた。詳しく描写すると、夢見がちな少年少女に聞かせる時に困ってしまうから、もしもの時は飛ばしてしまうといい。
『Aschenputtel』では継母の子供である姉妹が、ガラスの靴を履くために、自分の足の一部をナイフで切り落とす。結局のところ、細工をしたと王子に気付かれ意味はなくなってしまう。本末転倒、元の木阿弥、所謂骨折り損の草臥れ儲け――ならぬ足削ぎ損の草臥れ儲けか。
一方『Cenerentola』では、シンデレラにあたる主人公のゼゾッラは、自分と仲が悪かった継母を、衣装箱を覗いた時に、首を挟み折ることによって殺害するシーンが見られる。想像するだけでおぞましい女達である。あの時代でも人を殺すことは勿論罪であっただろうし、いくら物語だったとしても、それが元々子供の読み物でなく大人が嗜むものだったとしても、もう少しどうにかならなかったのか――と思ってはみるが、それは俺の言えた立場でない事も重々承知していたし、この時代は確か、女性はあまり良い象徴では無かったように記憶している。
ところで、良い子の諸君はこれらのシーンを読み飛ばして聞いて貰えただろうか。もし仮にうっかり読んでしまったのなら、聞いてしまったのなら、すぐに忘れてしまえ。刺激が強いから、夢を見たいなら見なければいい。
俺が言いたかった事としては、我が組織サンドリヨンは、決して夢だけを見て存在している組織ではなく、むしろ人の夢を奪ってのうのうと生きていく、そんなバクのような存在であるということだけで、決してシンデレラが本当は怖い話だったというのを話したかった訳ではない。
だから、サンドリヨンは、夢を見た人間が居てはいけない場所のはずだと、誰もが自覚していたつもりだった。
そう、つもり、だったのだ。

prevbacknext


(以下広告)
- ナノ -