「悟、大丈夫?」

何とかまだ意識は保っているようだが、それでも気絶寸前には変わりなかった。呼吸も先程より荒く、喋る余裕はどうやらないらしい。
八十神いわくこの状態でいられること自体が奇跡みたいなものなのだから、いつ倒れてもおかしくない。しかし彼女が棘木をここまで連れてこられたのは彼が自分の力で歩いてくれたからであり、決して明日葉一人の力などではなかった。
つまり、ここから彼の家に帰すのは難しいということである。
だがもちろん社長の部屋に泊めるわけにも行かない。どうすればいいものか、と明日葉は普段使わない頭をここでまた使うこととなった。

――――とりあえずエレベーターまで運ばないことには始まらないんだけど・・・・・・
――――さすがにあたしでも悟みたいにそこそこ体重のある男を運ぶのは難しいなあ・・・・・・
――――かと言って社長に悟を運んでなんて言えるのかな?

「どうした」
「あっいえ、ちょっとご相談が・・・・・・」
「何だ、もしかして『あたしの力じゃ悟を運べないんで、すみませんが代わりに社長が運んでもらえませんか?』なんて言うんじゃないだろうな」
「ぎくり」
「嫌だな、そんな重労働。それにどうしてこの会社の最年長に肉体労働を頼む、効率が悪いとは思わないのか。もっと若いやつにでも頼むんだな」
「けち」
「何とでも言え」
「若白髪」
「煩い」
「若白髪豚野郎」
「首切られたいか」
「すみません」

それに俺は若くもないし白髪でもない、と八十神は明日葉に呆れた口調で言った。

「今首切られたら・・・・・・、その、困るんで」
「わかったらさっさと田所にでも連絡しろ、あいつならさっき十階の資料室にいたはずだ」
「田所さん、なるほどその手があったか」
「お前にとって田所はそんなに影の薄いやつだったのか」
「あ、いや、今この時間帯に田所さんいるの珍しいなーって。忘れかけてたんですけど今夜中ですしあんま人いないじゃないですか」
「そう思うなら尚更早く行動するんだな、田所はおそらく資料取りに来ただけだから急がないと帰ってしまうぞ」
「は、はい」

明日葉は慌てた手つきでポケットから白色の携帯を操作し、言われたとおりにコールした。しばらくコール音が鳴っていたが、どうやら向こうが気付いたらしく明日葉は先程と打って変わって明るい口調で話し始めた。

「あ、もしもし田所さん? まだ会社にいる? ・・・・・・そっか、じゃあ悪いんだけど頼みたいことがあって・・・・・・」

電話をしている彼女を、棘木は不審なものを見るような目で見つめていた。というより元から気絶寸前なのだから虚ろな瞳ではあったのだが、誰と話しているのだろうという単純な疑問くらいはあった。
そんな彼を見てか、八十神は棘木に独り言のように声をかけた。

「あれと話しているのは田所という男だ、この会社の社員であり能力屋でもある。あれとの関係は、・・・・・・まあ田所が秘書であれが田所を振り回すお転婆娘というところか」
「・・・・・・」
「心配しなくても別に明日葉と恋仲というわけじゃない、ただの仕事仲間だ」

そういうつもりで睨んでいたわけではないのだが、と棘木は言葉に出せないまま心の中で否定する。勿論八十神が読心術を習得しているわけではないのだから、その呟きがそのまま向こうに通じるというわけではなかった。

それでも幼馴染として明日葉を見てきた彼としては、彼女を恋仲としては見ることは出来なかった―――というよりは、自分から見ようとしていないのかもしれない。
それは女性からしたら失礼な行為であろう。かといって棘木は彼女を女性としてみていないわけでもなかった。その辺はちゃんと弁えなくては彼女に不快な思いをさせてしまうだろう、というのもありまた自ら朴念仁でもなかったからだ。
彼は彼女のことを大事に思っている。昔も今もそれは変わらない。
それがただ恋愛対象かどうかの違いだけだと彼は自分に言い聞かせていた。




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