明日葉は自分の置かれている状況が分からなくて、恐る恐るその目をあけた。
確か自分の真横で明るいフラッシュがあった、それはおそらく車に備え付けられているハザードランプだったのだろう。
ではどうして自分は、こんなにピンピンしているのだろうか。
そもそも自分は彼と距離を置くために早歩きした、でも何故か自分は横断歩道ではなく元いた歩道で腰を抜かして座り込んでいる。
それに大きな怪我は一瞥しただけでは分からなかった。しいて言うならば、足をすりむいた程度だろうか。
もしかして―――。

「悟! ねえ、返事して、どこにいるの、悟・・・・・・!」

悪い予感が明日葉の胸をよぎった。
まさか、まさかとは思うが彼は自分をかばって車に突っ込んで行ったのではないのだろうか。
じゃあさっき見た赤色の液体は見間違いじゃなくて。

「嫌だ、悟、隠れてないで出てきてよ・・・・・・あたしを一人にしないでよお・・・・・・」

ぼろぼろと、暖かい涙が出てきた。
彼がいなくなってしまえば、また自分は一人ぼっちになってしまう。
近くにあるからこそ、目が眩んで大切なものだと認識できなくなる。
マイナスな言葉ばかり浮かび、溢れ出る涙を抑えようと思っても抑え切れなかった。

そして震える足で何とか立ち上がり、自分の幼馴染の無事を確認しようと、事故を起こしたであろう車の方を見た。

するとあろうことか、車の正面は確かに赤い液体はついていたのだが、それ以上に目を惹くのは、人間を轢いたぐらいじゃ簡単にはつかないであろうへこみであった。

それはまるで、真空に放り出されたペットボトルのようで、臓器が全て無くなった人間のようでもあった―――どちらにせよ明日葉自身が今まで見たことの無い光景だった。

「・・・・・・なにあれ」

彼女はただ絶句するしかなかった。
しかし、肝心の彼がいない。轢かれていないとしたら彼はどこに行ったのだろうか。
明日葉が疑問に思っていると、その車の上に人影が見えるのに気が付いた。
だがただでさえ暗いのと予想以上の数の野次馬で、あまりよく見えない。明日葉の身長は年頃の女性の中でも少し低めだったため、たとえ背伸びしても成人男性が前に立ってしまえばすぐ隠れてしまうのである。
すると群衆の中から、男の悲鳴が聞こえた。
一瞬明日葉は自分の幼馴染かと心配したが、声が違う。もしかしたら野次馬の声かもしれないし、運転手の声かもしれない。
明日葉は覚悟を決めて野次馬の中を掻き分け、何とか前に出ようとする。自分はこの事故の関係者だと声を荒げて退くように言うが、それも野次馬の声で掻き消されてしまう。
それでも明日葉は諦めない。ありったけの声を出して叫んだ。

「さとる―――――――!!! いるなら返事しなさいこのあほ――――――――――!!!!!!!」

野次馬の声が止まった。
そして、一気に人ごみに埋もれていた視界は開けた。

車に乗っていたのは二人。
運転手と思われる男と、その運転手の胸倉を掴んでいる男。
そのうち一方は、金木犀の香りを漂わせていた。

「よかった悟、さあ、そんなことしないで早くかえ・・・・・・ろ・・・・・・?」

明日葉の言葉は止まった。止まらざるを得なかったのである。

獣のような赤い目、ではなくそれはもうただの何かに飢えた獣の赤い目でしかなかった。
その風貌から金木犀の香りなど感じさせる暇も無かった。
昔からある彼の八重歯が、獣の象徴であるように鋭くなっていた。
人間のものとは思えないような唸り声を上げて、掴んでいた男の胸倉を容易く離し、声の主である明日葉のほうへゆっくりと顔を向けた。

「・・・・・・さとる? 何、してるの? あたしは、ほら、無事、だよ? だから、帰ろ?」

声が震えている上に裏返った。
あれがもう幼馴染かどうかもわからなかった。それでも、ピン留めと白いマフラーというあの特徴的な姿かたちは彼のままなのである。それでも、自分を含め他人から見たらきっと獰猛な獣でしかない。獰猛な獣にしか見えないのである。


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