お店選びを制する者はデートを制す

(フィクションですからね)



今日の舞台は居酒屋だ。しかも仕事終わりの19時。...いつもの朝の会社の休憩室だと思っただろう?浅はかな奴め、もう俺と名前はその一歩先に進んだってことだ。

...というのはまあ言い過ぎで、今日はエルヴィンと飲もうということになっており、さらにエルヴィンが名前を連れてくるというのだ。エルヴィンが秘書の名前を俺に紹介する、という話になっている。まあ言ってみたら、実質名前との初デートだ。

1週間前に今日の予定が決まってからというもの、俺は会社近くの居酒屋からレストランからカフェ、バーまで全てをチェックし、名前に気に入ってもらえそうな店をピックアップして、下見も念入りに行っていた。1日3件の店を巡り、酒の種類、食事の味や量、デザートの豊富さ、店内の清潔度、映え度、店員のレベル...お手製のチェックシートに細かく評価をつけていった。何度か覆面調査員だと思われて店員から警戒された。
エルヴィンに、名前に何が食べたいか聞いてもらったが、「何でもいい」という、人生最大の試練のお言葉を頂戴したのだ。これは試されている。女の「何でもいい」は何でもよくないことを俺は知っている。名前の中の許容範囲内の何かを引き当てなければならないのだ。

名前と行きたい店なら何軒もピックアップ済みだが、初めてのデートで行く店となると話は別だ。このエリアの店に詳しくなり過ぎて、俺は歩く食べ□グと呼ばれるまでになった。
判断基準として、まず食べ□グの星が3.5以上の店は除外した。店側が課金して評価を操作している可能性があるからだ。
女性雑誌を読み漁り、「初デートでのがっかりパターン」をいくつも勉強した。
フレンチは気合入りすぎでNG。寿司もハードル高すぎ。イタリアンはカジュアルすぎる。赤ちょうちんの居酒屋は3回目のデートから。ファミレスは論外。...この雑誌の女はワガママ過ぎないか?じゃあ何処ならいいんだ?外食すんなクソアマ。


そうして決めた店は、居酒屋というくくりだが、幅の広い創作和食が楽しめるモダンな内装の店だ。資格を持ったバーテンが居るらしく、豊富な日本酒以外にもまともなカクテルも作ってくれる。
なんせ名前は酒が飲めるのかエルヴィンに聞いても、飲めるっちゃ飲める、という曖昧な回答しか返ってきていない。カルーアミルク系女子か?カシオレ?流行りのハイボールか?どんなパターンでも対応できるように準備しておく必要があるのだ。

それにしても、本当に名前は今日来てくれるのだろうか。いまだ本人と直接話せず、全てエルヴィンを通しているためいまいち名前と食事できることを信じ切れていない自分がいる。
朝の名前のあの感じ、大丈夫なんだろうな、本当に...。急に不安になって朝のことを思い返した。


***


朝、いつも通り休憩室で紅茶を飲んで観察日記をつける俺と、スマホ片手にコーヒーを飲む名前。今日の夜、飲みに行くことになっているが、特に会話はない。
洋服はいつもとそんなに変わりない。俺と初デートだっていうのに、気合いが感じられない。...エルヴィンの野郎、大丈夫だろうな?本当にちゃんと伝えたのか、今日19時半からあの居酒屋って。俺は店の情報と会社からの行き方を地図にしてPDFで送ったのだが、エルヴィンは名前に転送してくれたのだろうか?

「今日の夜、楽しみですね」とか声を掛けるべきだろうか?俺なんて昨日の夜から一睡も出来ずにシャツにアイロン掛けまくり新しいネクタイ下ろして来たんだ。勝負下着というのも履いてみた。女もそういうもんじゃねぇのか?新しいワンピース着て来ちゃいました、みたいなのねぇのか?あ、もしかして...仕事終わりに更衣室で勝負服に着替えるのか?

スマホを置いた名前はカバンからゴソゴソと何やら取り出し、珍しくサンドウィッチを食い出した。まさか名前もワクワクし過ぎて夜更かしして、寝坊して朝ごはんを食べ損ねたクチか?
横に置かれた包みを見ると、"たっぷりチキンとレタス"と書いてある。そうかチキンが好きなのか。名前の好きな食べ物リストにチキンとレタスを書き加えた。
チキンとレタスか。今日の夜行く予定の店のメニューを思い出した。チキンとレタスが含まれてる料理を頼もう。いや、だが被らない方がいいか。あえて避けようか。
ああ、一口が小せえなあ。今の一口目、完全にパンしか入ってなかった。具材置いてけぼりだ。

声を掛けるかどうか迷ってるうちに、アニが休憩室に入ってきてしまった。こうなったらもう話しかけれねぇ。クソ、名前の真意が確認できねぇ...。

「名前おはよー。...美味しそう、チキン好きなの?」
「アニおはよ。別に好きじゃないよ。割引になってたから」

チキン好きじゃないのか。そうか。俺は即行で名前の好きな食べ物リストからチキンを消して、好きでも嫌いでもない食べ物リストにチキンを書き加えた。食べたいものよりも、お得になってるものを優先するのか。堅実で好感が持てる。

「あ、そうだ。今日ライナーから連絡あって、同期でランチ行こうって話してるけど名前も行く?」
「行く!どこ?」
「あそこ、会社出てすぐのとこに新しくオープンした食べ放題の店」
「よし、食べまくろ」

バタン
無慈悲に閉まった扉の前で絶望するのも、ほぼ毎朝のルーチンになっている。
オイオイオイ、ライナーって誰だその男は...?
今日の夜、俺とデートなんだよな...?俺が日程を誤っている...?いや、それはない。何度も確認したしスケジュールにも載ってる、リマインダーも昨日から5分に一回セットしてあるから常にお知らせしてくれている。

夕飯の予定がある日のランチに食べ放題に行く奴がいるか...?まさか名前、今日の夜の予定を忘れてるんじゃないだろうな。心配になり過ぎて、エルヴィンに32回目の確認メールを送った。「今夜だろ?19時半に集合って名前にも言ってある」とエルヴィンから返事が来てはいるが、名前のいつもと変わらない雰囲気に俺は内心ビビりまくっていた。

...まあ、こんなものか。俺にとっては人生がかかってる大勝負だが、名前からしてみれば、ただの会社の飲み会...。

俺はエルヴィンと名前を信じつつも、どこか不安な気持ちで、今日の仕事は何も手につかなかった。ランチタイムにアニが話していた店まで偵察に行き、店の外からガラス越しに名前が大盛りの何かを食べているのが見れた。ガラスに張り付きすぎて店員に警察を呼ばれそうになった。午後の会議も上の空で、同僚から心配された。


***


もうこの1週間で何度も下見に訪れたこの店の個室で、名前とエルヴィンが到着するのを待った。30分前に到着している俺は、2人が到着するまで一人席について精神を統一していた。

手持ち無沙汰な俺を心配して、顔馴染みになった店員が声をかけてくる。あともう少しで名前がここにやってくるはず。想像しただけで動悸、息切れ、めまい、気つけ...

「お客様...、先に何かお飲み物お持ちしますよ...?」
「...養命酒はあるか?もしくは救心」

そんなメニューは無いことは、俺が一番よく知ってる。なんせここの店のメニューはダウンロード済みで家で何度も見返して丸暗記済みだからな。
店員は困ったように笑って水を出してきた。

笑い事じゃねぇんだよ、今日が勝負なんだ。はじめての名前とのデート。まあ邪魔者はいるが、そうだ見合いみたいなもんなんだ今日は。

震える胸をシャツの上から掴んで、落ち着こうと必死になった。


つづく
(2021.8.8)

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