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哀しみを降らすその瞳がどうか(2)

「あぁ、そうだ、ふざける人でしたね」

木下が笑う。何かを疑う様子はなくて、益田は安心した。木下は今日は酒は何を飲んだのか、最高でどれだけ飲んだことがあって、その際の失敗談だとかを、ふざけた合いの手を入れながら聞いた。


「青木さんとは、ちょっとそこで会っただけなんです」

女がいるのでは、という疑惑は残しておいた方が多分いい。目眩ましになる。泊まった翌朝、青木が服をそのまま出勤していく時もあるから、その理由にもなる。そう考えて、ずっと一緒に居た訳ではないことにしておいた。

自分が女であるなら今隣に立っていることは許されたんだろうか、と思考が沈みかけたが、最重要任務が控えていた。なんとしても隠し通す。青木の相棒だ。変な目で見られたら、仕事にまで支障が出てくる。絶対に避けなければならない。

いつも以上に気合いを入れて、話を聴いて、ふざけた。そうしていた時、ふと視線を感じて隣に立つ青木を見上げると、ひどく悲しそうな瞳をしていて苦しくなった。きっと今、考えてることは同じだ。隠さねば、という意識が心を縛っている。

とりあえず自分は大丈夫だと伝えたくて、微笑んだ。青木が笑った顔が好きなのは、なんとなく気づいていた。それなのに、青木が顔を歪めてしまったから、もうこっちまで、既に感じていた寂しさが増幅して、とことん寂しくなった。

その上、木下との会話を不自然な切り方をした挙句、青木はこちらの手を強く引いて歩きはじめた。咎める視線を送っても意味はなく。驚いた様子の木下には、困った顔をして見せて、ぺこりと頭を下げておいた。


「青木さん」
「ごめん」


ついていくのが精一杯の早足に焦りを感じて声をかけると、小さな声で謝罪の言葉が返ってきた。一体、何に対する謝罪なのか。それを問いかけてみようとした時、青木が行く方向を変えて、そのままずるずると路地裏へ連れて行かれた。



「青木さん、駄目ですって。もし人に見られたらどうするんですか」

青木がどういうつもりでこの場に来たにせよ、人目を憚ることだろうと思って言うと、青木が奥歯を噛み締めて、何かを耐えようとしている。ぐっと眉がひそめられ、瞳は閉じ、腕を掴む手の力が強くなっていく。

何がそんな顔をさせているのか知りたくて堪らなくなって、青木の手にあいている方の手を重ねて静かに問いかけた。

「どうしたんですか?」
「ごめん」
「何がです?」
「…全部だよ、僕と居ることで君が苦しむのは嫌だ」
「苦しんでなんか、ないですよ」

言葉にするほど苦しんでいるのは青木の方にしか見えなかった。自分の苦しみなんて大したものじゃない。

そんなものより、青木にこんな言葉を吐かせた原因を探すことの方が大事だ。

きつく抱き締められながら、じっと考えるうちに、関係を懸命に隠そうとしたことが原因かもしれない、と思い至った。関係を隠そうとする気が青木に薄いことをひそかに喜んでいた自分はなんだ。それが逆で、毎度のごとく、隠そうとされていたら。もうこそこそ泣くしかない。当然のことだとは思うけれど、悲しいものは悲しい。

だが、隠そうとして申し訳ないなんて言えば、これから同じような場面に出くわした時、にっちもさっちもいかなくなる。青木の世間体は絶対に守りたい。だから話の矛先を少し変えた。

「…ねぇ、青木さん。僕の世間体のことなんて考えなくていいですから」

出来るだけ明るい声を出した。互いに気にしていることの、もう半分だけでも気にしないで済んで欲しくて、本音を冗談みたいに言った。

「僕の体面なんてどうでも良いんですよ。もともと探偵助手なんて仕事ですよ?保たなきゃならない体面なんてないですから。ついこないだ、コソ泥と間違えられたのを忘れました?」

青木の腕の力が弱まらない。言葉を尽くしても、未だに心を巣食う思いがまだあるらしい。きっと何か思い遣ってくれたのだろうと思う。だけど、それで青木が辛くなる方が辛い。

それが一体どんなものなのか、思い至らない自分が情けない。悔しくて泣きそうになっていた時に、青木が言葉にしてくれた。

「……その割には君は人目をすぐに気にするじゃないか」

人目を気にする理由を勘違いをさせていたことに、そう言われて初めて気がついた。青木の為に、と思っていたことで傷つけるなんて、どこまで間抜けなんだ。

ちゃんと言葉にしなければ、と思った。思ってばかりでは駄目だ、次からは行動しなければと思ったのは、つい数日前のことではないかと自分を奮いたたせた。

「それは青木さんが変な目で見られるのが嫌だからっつうだけですよ。僕のせいで、そんなの。絶対嫌だ。自分を許せませんよ。だから、気を遣ったんじゃないんです。僕は僕のやりたいようにやってるだけですから。青木さんは気にしないでください」

腕をほどいて本当かどうかを確認するかのように顔を覗きこんでくる青木の肩に腕を回す。


優しい人は大変だ。人の為に心を砕く量が半端じゃない。青木に甘え過ぎていた己を恥じた。いくら強い人でも抱えられる量には限界がある。

ぐいと抱き寄せるように腕に力をこめると、青木が体重を少し預けてくれた。

「卑怯ではありますけど僕も男ですから。もっと頼ってください。逃げるかもしれませんけど」

青木に向かい合った時に男で良かったと思ったのは、まだたった二回目であったけれど、こんなに良かったと思ったことはない。頼って欲しいことに対する言い訳が簡単だ。男だから、で済む。

あなたのことを好きで堪らなくて、何でも受け止めたいし、知りたいし、守ってやりたいと思っているから、何でも話して、何でも頼ってくれ。…なんて、泥酔しても脅迫されても羞恥が勝って言える気がしない。

苦笑混じりの青木の声が普段に近くなってきた。

「…頼りづらいな、逃げるんだろう?」
「軽い気持ちで何でも言ってくれりゃあ、良いのにってことですよ。言われてから好きに考えますから、僕も。適当でいいんです。僕の扱いなんて」
「じゃあ、言わせてもらうけどさ、まずそんな風に自分を低く言うのをやめてくれよ」
「…えぇ。分かりました。可及的速やかに前向きに検討します」
「早速逃げてるじゃないか」
「逃げるかもしれないって先に言ったでしょう?」

最後には結局軽口に逃げた。けれど身体を離して見てみると、青木がもう悲しそうな顔をしていなかったから、ひとまずはこれで良いと思った。なんともその場しのぎだ。だが、これからだ。少しずつ、本当に頼ってくれると良い。どんな悪夢だったのかだって、いつか正面切って聞いてみようと決めた。

青木の左腕をとって時計を見た。0時を回っていた。新年だ。


「ねぇ、青木さん、今から初詣にでも行きましょう。木下さんへの言い訳にも丁度良いですし」
「いい年した男二人が、一刻も早く神社に行きたくて急いでたんだ、だから許してくれって言うのかい?苦しいよ、言い訳が。君の言い訳はいつも、形はそれらしいけど詰めが甘いよ」

どの言い訳がばれていたのかと少し焦りが出て、数ある言い訳を思い返したが、量が量だけに把握しきれていない。さて困ったと顔に出すと、青木が笑った。

「でも、初詣には行こうか。木下が酔って碌に状況を覚えてないのを祈りに行くよ」
「まさかの神頼みですか。苦しい言い訳よりも、ひどい案があるなんて思いませんでしたよ」

憎まれ口を叩くと、うるさいな、と笑みの含んだ声が返ってきた。へらりと笑って青木にしがみつくようにして抱きつきながら、初詣で何を願おうかと考えた。青木の両腕が背と頭に回ってくる。

自分も木下が記憶が曖昧になるほど飲んでいるのを願うべきか。だが、それを本気で願うなら今から引き返していって、木下をさらに飲ませた方が現実的だ。倫理的にどうなのかは置いといて。

何を願おう。

東京から事件が消え失せたなら、常に会えるし、心配もなくなるなと考えたところで、そうなると青木は失職だなと新年早々失礼なことを思った。


さぁ、どうしようか、と今自分を包む温もりに身を委ねると、もうこれ以上手に入れたいものなんて何一つ思いつかなかった。





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