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涙で世界はすくえない(1)

益田がとったと思われる手段に、青木はさらに怒りが込み上げてきて受話器を握る手に力が籠った。


『三人でまた今日辺り飲みませんか』


あまりにタイミングが良すぎる鳥口の電話。電話の向こうの苦笑混じりの声。


―――泣きついたな、これは。


「益田くんに何か頼まれたろう?」
『違いますって。僕が青木さんと益田くんと三人で飲みたいだけっすよ。たとえ、そのうちの二人が初めての喧嘩を大喧嘩に発展させつつある二人だとしても、三人で飲みたいだけの僕にゃあ関係ないですから』

事情を把握してしまっているらしい鳥口のからからと笑う声に脱力した。刑事部屋の電話であったから、電話機は複数あるとはいえ、そんなに長々と話す訳にもいかない。だが、愚痴が少し零れた。

「喧嘩じゃないよ。益田くんが反省してくれれば、それで済む話なんだ。それを鳥口くんまで巻き込んで話を大きくして、喧嘩に仕立てあげるなんて。この状況自体が、僕がどれだけ心配したかを考える視点が抜け落ちている、良い証明だよ」


散々注意したにも関わらず、益田は見事なまでに簡単にあっさりと、探偵に逆恨みした連中の罠にかかった。探偵社で話すうちに、まず罠にかかったこと、それ自体に腹が立った。自分の再三再四の忠告をきちんと聞いていなかったとしか思えない。心配が心配なんて範疇を超えて怒りに変わったことを知らせるために事務的な口調で冷たく話すと、ふざけて空気を変えようとしたことにも腹が立った。


だが一番腹が立ったのは、何故そんなに怒るんだと訴える瞳に対してだ。


今怒らずに、いつ怒る。もっと酷い目にあっていたかもしれない。これからだってあうかもしれない。先だって注意したように、標的にはなったじゃないか。本島のように拉致されるかもしれないし、拉致の後ろに監禁暴行がつくかもしれない。なんだって考えられる。

この怒りを疑問に思うなら、どれだけ大切に思っているのかまで疑問視されたようなものだ。


そこから一気に怒りに火がついて、冷たい言葉もかけたし、縋る眼差しを向けてくる益田を振り払うように探偵社も去った。会うことも連絡も自分からはしないと決めていたから、益田の方からも連絡のない今、事件はとっくに終わったというのに顔も見ていない。考えてみると、互いの仕事以外の理由でここまで会わなかったのは初めてかもしれなかった。

そんな状況であったから余計に、鳥口からの図ったような電話に腹が立ったのだ。

益田から泣きついたのではなく、鳥口が益田にたまたま連絡を取った際に、鋭い男だから何かを読み取って仲裁役を買って出てくれただけだとしても、だ。それはそれで益田自ら起こした行動ではない分、泣きついたより酷い。助け船にこれ幸いと縋っただけだ。


何故、心配かけて悪かったという一言が言えないのか。まさか心配されていることも理解していないのか。

怒りは次から次へと湧いてくる。

だが、このまま怒りを募らせていても仕方がないのも確かだ。


「今日は何時から飲むんだい?」

そう切り出して、約束をまとめて電話を切った。


事件が起これば仕方がないが、それ以外の理由で約束した時間に遅れぬ為に、席へとすぐに戻って書類仕事の速度をあげる自分を、向かい合わせの机に座る木下が面白そうに見ている。

「なんだ、電話のあとからそんなに急ぐなんて。最近、様子もちょっと違うし、女でも出来たのか、文さん」
「そんなんじゃないよ」


もっと厄介な存在だ。





「青木さん、こっちっす!」

なんとか約束の時間に店に入ると、すぐにこちらに気付いた鳥口が手を挙げて呼ぶ声がした。頷いて応えて、騒がしい店内を歩いて二人が座る机へと近づく。

厄介な存在は、久しぶりに顔を合わせたと思ったら既にかなり酔っていた。白い肌が首まで薄紅色に染まっているし、身体の重心が前へと傾いている。それほど酒に強い訳でもない癖に。いつから飲んで、こうなのか。酒量もそうだがペースが気になる。大丈夫なのか。


「久しぶりだね」

また心配している自分を悟られぬために感情を込めずに言うと、そうですねと無表情に軽い相槌を打たれた。本意を隠す表情に苛立ちを覚えて、顔をしかめてから益田の隣には座らずに鳥口の隣へと座った。有耶無耶には終わらせない。正面から向き合って話したかった。

それなのに益田は俯いたきり顔を上げぬまま、酒を黙々と飲む。


「青木さんは何呑みます?」

鳥口が隣から話しかけてくる。益田との張りつめた空気をあえて無視するような、明るさを持った声。これ以上怒るなと暗に諭す声だった。確かに今自分が冷静さに欠いているのは自覚している。だが、怒らせている方こそが咎められるべきではないのか。そう思ったから、鳥口の問いに答えるのは後回しにした。

「益田くん。こっちを見なよ」
「…嫌ですよ」

掠れてはいるが、はっきりとした口調で拒否される。

―――なんなんだ。一体。今、こうして同じ空間にいるのは、こんな空気でいつまでも居るのが嫌だからじゃないのか。何が嫌で、何がしたいんだ。

声を荒らげそうになるのをぐっと堪えながら、その思いを口に出した。


「…君は今何を考えているんだ」
「なんでそんなことを言わなくちゃいけないんですか」
「約束したじゃないか、聞かれたら答えるって」
「…っ。どうしたら…」

ゆっくりと益田が顔を上げた。そのひどく悲しげな表情に、ぴしゃりと頬を打たれたような気がした。一気に頭が冷えていく。

「…どうしたら許してくれるんだって、そればっかり考えてますよ。ここ最近ずっと。良いですか、これで。正直に言いましたよ、僕は」

気丈な口振りとは裏腹に、その瞳に涙が溢れていくのを、青木は言葉もなく見つめた。益田は頬を伝うのを拭いもせず、机に枝垂れかかるようにして、しゃっくり上げ始める。

泣くなんて卑怯だ。話し合う為の場の筈だ、ここは。

そこに腹が立たないでもなかったけれど、惚れた弱みというのは、どうしようもない。後悔ばかりが湧き起こる。

こんな顔をさせたいんじゃない。もっと言えば謝罪の言葉だっていらない。ただ、これからはもっと気をつけて欲しい。根っこの部分では、それだけの話であったのに。どうして今、自分は泣かせているんだろう。


ここまで腹を立てたのはあまりに久しぶりで、気づかぬうちに感情に振り回されていたかもしれない。青木が呆然としているうちに、益田は覚束ない足どりで席を立って厠の方へ歩いていく。


それを視線で追いかけながら、独り言めいた言葉を零すと、黙って酒を飲んでいた鳥口が笑った。

「…僕の方が謝らないといけないな」
「いや、青木さんの気持ちも分かりますよ。怒るくらい心配したんだと思うよって益田くんにも言いましたもん。ほら、ずっと前に益田くんが熱出したって時も青木さん、ちょっと怒ってたじゃないっすか」

そんなことまで見透かされていたのか。

どこまで勘がいいのかと隣に座る友人を見遣ると、困った奴らだと言いたげな、それでいて明るい笑みを浮かべている。苦笑して返した。まったくだ。

そう言えば、あの日も自分は益田を泣かせたのだったと思うと、自分の成長のなさに呆れた。あれは怒りによるものではなかったけれど、自分の感情ばかりを優先した結果なのは同じだ。

普通に聞いたって何を考えているのか碌に言わない男に、怒りながら聞いたら余計に口を閉ざすのは明らかで、失策だった。どうせ、こっちが怒っていることだけを真剣に悲観的に考えて、卑屈になって、身動きが出来なくなっていただけなのだろう、と今ならはっきりと分かる。


「ごめん、鳥口くん。今日は奢るよ」
「いいですって。あぁ、じゃあ、次奢ってください。また三人で飲みましょう」


それまでに仲直りしといてくださいね、と続けて言って笑う鳥口には、もう苦笑して返すしかない。


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