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笑わないで聞いてくれ


真っ白な、だだっ広い空間に独り立っていた。周囲に有る物といえば目の前に置かれた箱ひとつだけ。

箱の中には、みっしりと半身だけを詰め込まれた少女が居た。じっとこちらを見ていた瞳がふわりと細められる。そして微笑んだ。

少女が「青木さん」と僕の名を呼ぶ。彼女には知る機会がなかった筈の名を。助けられなかった僕の名を。

声に責める響きは無かった。だが、それが余計に身を捩る。

箱にさらに近付き、手をかけた。せめて狭苦しい箱から出してやりたい。


少女の笑みが消え、唇が形をつくり空気を震わせる。それが僕の耳へと届く。



***



「青木さん!」

瞼を開けると、半身を起こした益田が、仰向けの自分を上から覗き込んできていた。窓から射し込む月明かりに照らされたその顔は酷く心配そうで、見られているこっちが心配になった。

「すごい魘されようでしたよ。大丈夫ですか?」
「…うん」

状況に頭がついていかなかったけれど、とりあえず返事をした。

夢を見たのは覚えている。自分が遺体を発見した少女に確か名を呼ばれた。そこまで思い出した時、記憶に焼き付いて離れない少女の苦悶の表情が鮮明に蘇った。

振り切ろうにも振り切れず、自室の天井をじっと見た。夜中に目が覚めれば普段なら、まず時間を確認したくなるが、そんな気もおきなかった。蒲団がやけに冷たく感じた。


「…起こしてごめん。寝直そうよ」

まだ心配そうな顔をしたままの益田の腕をとって蒲団へと引っ張ったが、そのまま動こうとしない。その訳を問う視線を送ると、か細い声がした。

「どんな夢だったんですか?何か悩んでること、あるんですか?教えて下さいよ」
「…話したくないな」
「…そうですか」

拒む言葉を吐いて再度腕を引くと、また隣へと身体を横たえてくれた。顔を覗き込めば、口元をきつく引き結んで悲しげな顔をしている。それに気づかないふりをしながらも抱き寄せて瞼を閉じると、またあの苦悶の表情が蘇ってきた。


きっと月明かりが強いせいだ。寝る前に、あの事件の最後、屋上での景色を連想してしまった。月が煌々と光を放っていた、あの景色を思い出したのがよくなかった。


振り払う為の思考であったのに、さらに夢と記憶の残像に引きずりこまれそうになって腕の中の身体を軋むほどに強く抱いた時、唐突に益田が明るい声を出した。

「こないだ、また依頼があったんですけど…。そうだ、青木さんはヤマアラシとハリネズミの差は知ってます?」
「……いや、分からないよ。違うのかい?」
「僕も分からなくて関口さんに教えて貰ったんですよ。なんて言ってたかなぁ」


こちらの思考を別のところに引き寄せようとしていると気づいたのは暫く経ってからだった。


「問題を出すなら、ちゃんと答えは覚えといてくれよ。気になるじゃないか」
「まぁ、いいんです。これは話の本筋とは関係ないんで」
「君の話はすぐに脱線するよな」
「細かいなぁ、青木さんは」
「君が大雑把なんだよ」

話すうちに冷静さを取り戻せた。強く抱いていた腕を緩めると、益田が即座に顔をまた覗き込んできて、でも今度はホッとしたように微笑んだ。だから自分はもう常と変わらぬ表情をしているのだろう。

もう一度寝ようと掛け布団を肩までひきあげる。そうしてまた、益田の身体を抱きしめた。

「…ねぇ、青木さん」

されるがままになっていた彼が小さく呟く。

「次からは教えてくださいよ。何かあったら。約束してください」

声には固い意志が感じられた。

悩めば長いが、そのぶん一度意志を固めれば、彼には頑なになる所があるのを思い出した。なんといっても警察をやめようと踏み切った上、身一つで上京してきた男だ。

「わかった。約束する。じゃあ、君も教えてくれよ?」
「…………聞かれたら正直に言うって約束ですよね、これは。自分から言う義務はありませんよね?」
「なに早速、抜け道をつくろうとしてるんだよ」

自身のことに話が及ぶと逃げ出す姿勢を見せた、ずるい思い人の髪をくしゃりとかき混ぜる。

だが、抜け道をつくろうとしているということは、聞けば答えるという約束は守ろうとするつもりなのだと気付いて、追及するのはそこで止めにした。


その代わりに、違うことを互いに色々と話した。

些細なことが大半だった。互いの下宿先の一家の話だとか、幼い頃自分がやっていたと家族によく聞かされるが信じがたい話だとか。

約束は履行され、互いに聞かれたら答えた。聞かれたら躊躇いなく答えられるように、些細なことばかり話していたと言う方がおそらく正しい。少なくとも青木はそうだった。

腕にかかる重みが増し、静かな寝息が聞こえるようになるまで、それは続いた。


そんな風にして更けていった夜があった。





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