最終公演のはじまり
「それじゃあ青木さん。本庁復帰、おめでとうございます!」
グラスを高々とかかげて、鳥口は乾杯の音頭をとった。
そんなのいいのに、と言って照れた笑みを見せる青木と、おめでとうございます、と言ってケケケと笑う益田と自分の三人で、ガチャガチャとグラスを合わせる。
三人で飲むのは、大磯の事件の前以来であったから、随分久しぶりだった。
いつもの飲み屋で、いつもの座り方。四人座席を陣取って、鳥口から机を挟んだ反対側に青木と益田が並んで座る。で、いつものように賑やかに。
けれど、しばらく会わない間に、変わった部分がひとつだけあった。
「減給処分もなくなったお祝いに奢ってくださいよ、青木さん」
「変な笑い方をまたしてると思ったら、そんなことを言おうと考えてたのか、君は。どうしようもないな」
益田の軽口に呆れた声を出す青木を見て、心底楽しそうに益田が笑った。その笑みを見て、青木が微笑む。
相手がどんな反応をするか把握したうえで、それに乗っかっていく二人には、前と同じようでいて、違う空気が漂っていた。まず、互いに交わす視線が全然違う。
どうやら、うまくいったらしい。
良かった、良かった。
そう思ってホッとした。
しかし、二人が関係を隠そうと努力しているのも同時に感じた。
枝豆を食べながら鳥口が二人の様子を眺めている今も、益田が青木に触れそうになった手を引っ込め、青木がそれを目で咎めた。
そう、隠す気ならば中途半端が一番まずい。
だが青木も甘い。隠したいのなら二人別々に来ないと。先に飲み屋の中で待っていた自分の前に、仲良く同時に現れているようでは甘い、甘い。雑誌記者の目をなめちゃあいけません。
「鳥口くん、ちゃんと飲んでます?どんどん飲みましょうよ」
「あ。ありがとう」
益田が麦酒を注いでくるのをうける。その泡が消えないうちに、ぐいと飲んだ。爽やかな苦味が喉を通る。
何が自然なんだか、分からなくなってきたらしい迷走が続く。
「…青木さんは自分で注いでください」
「あれ。僕を祝う会だって、さっき聞いたんだけどな」
悩んだ顔で青木に瓶を手渡す益田を、青木が声に出して笑う。
二人が一応隠そうとしているのは、照れよりも、こちらの反応を気にしてのことだと思う。そう配慮されるように、自分はもっと抵抗を感じるべきなのかもしれない。男同士でなにをしているんだと。だけど、そんなのは自分には馴染まない。
幸せそうなら、それでいいじゃないか。
そうやって簡単に考えた方が絶対に楽しい。それに、ちょっとばかり言ってやりたい言葉があった。
「はい、それじゃあ、本庁復帰を祝う会はここで終わりです」
手拭きで指を拭ってからパンと手を叩くと、二人の視線がこちらに集中した。
「えぇっ!早くないですか?青木さん、残念でしたね。祝う会が短くて」
「なんでそんなに嬉しそうなんだ。それより、鳥口くん。何か話があるのかい?」
呑気に調子よく笑っている益田に応えてから、青木が意図に気づいて問いかけてくるので、手を大きく広げて見せた。
「逆ですね。今日は二人のことを話す日っすよ。僕は聞いてますんで、好きなだけどうぞ」
前に言われた言葉を思いだしながら適当に言ってやると、二人が顔を見合せた。青木が益田に首を傾げて、益田が首を左右に振る。
どうしようか、もう言おうか。いやいや、まだばれてるとは限りませんから黙っときましょう。そんな会話が聞こえてくるようだった。
阿吽の呼吸?いや、ちょっと違うか。以心伝心?多分、これだ。
「水臭いっすよ。二人とも」
隠す必要なんて無いと知らせる為に沈んだ声を出すと、元々隠そうとする気がどうも薄いように見えた青木がやはり先に白状した。
「勘が良いよな、鳥口くんは。ほら、言ったじゃないか。益田くん。どうせすぐにばれるって」
「それにしたって会ってからバレるまでが余りに早いですよ。ねぇ、鳥口くん。どっちのせいで気づきました?」
困ったように笑う顔を見ると悪戯心が出てきて、もっと困らせてみることにした。
「益田くんかな。青木さんのことを見る目が熱烈なんだもん」
「っ…!」
益田は顔を赤く染め上げるのも早かったが、立て直すのも早かった。
「……熱烈になんて見てません。嘘はやめてくださいよ、鳥口くん。青木さんがまた余裕綽々ってなぁ態度を増長させるじゃないですか。困るんですよね」
赤い顔で憎まれ口を叩く益田を、青木が反論もせずに頬杖をつきながら眺める。その口元に浮かぶ笑みはひどく優しい。
確かに、余裕綽々だ。
でもそれはきっと益田がそうやって顔に出すからだ。それに気づかないでいる方が見ていて楽しいから、もう暫くは教えてはやらないけれど。
目下のところ、意中の女性を振り向かせられずに悩む自分には、それくらい楽しんだって罰は当たらないだろう。
この年末までに残る3ヶ月ちょっとの間に、なんとか敦子との関係を進展させたい。とにかく知人その1からの脱却を目指す。
幸せそうな友人達を眺めていると、そんな勇気も湧いてきた。
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