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同じ音をくちずさむ

『ごめん』
「だから、謝らなくって良いですって。そりゃあ仕方ないですよ、青木さん」

電話の向こうで再度謝る青木に、益田は軽く返した。それが本心だった。事件で約束を反故にされて怒る元刑事は居ないと思う。自分だって同じ理由で誰かの約束を反故にした経験を何度も抱えている筈だから。


会う約束をしていた昨日、結局会えず仕舞いであったその理由は今朝の新聞を読んだ時に知れた。

毒殺。遺体。物騒な文字が新聞一面の見出しに踊る。現場の位置からして、青木の交番の受け持ち区域だと思われたから、初動捜査の聞き込みにでも駆り出されたのだろう、と思った。

そして話を聞けば、その考えは大体当たっていたらしく。まさか通報を受けたのも、最初に現場に行ったのも青木だとは思いもしなかったけれど。

連絡もないのは何かあったからなのではと心配こそすれ、腹なんて立てちゃいなかった。だから、謝る必要なんて本当にないのだ。しかも、ぼうっと突っ立って外で待っていた訳ですらない。

少し前に青木に提案されて以来、待ち合わせるのは探偵事務所になっていたから、待っている間、書類仕事なんかを片付けたりして、それなりに有意義に過ごした程だ。終業時刻までは事務所で、遅くなれば下宿に帰って待つ。そんな決まりだった。

榎木津や和寅が居るところに迎えにくるというのは、青木にとって気恥ずかしさを伴うものではないのだろうか、と気になりつつも、関係をひた隠しにしようとされるより嬉しくて黙っていたけれど、昨日のようなことがあると思えば納得だ。

いついかなる時に呼び出され、またいつ連絡をとれるかも分からない警察官という職についている以上、日頃からこうやって連絡が途絶えた時にも相手が困らないようにしてやると良かったのだ、と刑事だった頃のことを考えて反省すらした。


そうしたことを伝えてみたが。青木から返ってきたのは、その考えを半ば否定するものだった。

『いや、そういうのもあるっちゃあるけどさ…』
「え?他にもあるんですか。なんですか、教えてくださいよ」

どれだけの場合を考えていてくれたのか知りたくなって問いかけた。自然、声も弾む。自分が青木の思考の幾ばくかを占めた瞬間なんて長ければ長いほど良い。

「ねぇ、青木さん」
『…深いようで深くない事情があるんだよ、僕にだって』

予想に反して、どこか苦々しげに言われた一言には聞き覚えがあった。

さて、どこで聞いたのだったかと記憶を探索するために少しの間黙っていると、青木が続けた。

『…じゃあ、しばらく会えないけど』
「あ、待ってください。あの…」

電話の向こうの何故だか照れを含んだ青木の声が、急いで切ろうとするものであったから、益田は会話に集中した。

「無理しないでくださいね」
『うん』

こんなことを言ったところでするんだろうな、と思いながらも伝えずにはいられない。

肋骨にひびが入ってようがなんだろうが事件の為なら動く人だ。鳥口に最初にその話を聞いた時は開いた口が塞がらなかった。

青木の短い返事も、そんなことはきっと分かっているからだと思う。


『君も張り込みだとかいって無理するんじゃないよ』
「えぇ」


苦笑混じりに続けられた青木の声も諦めにも似たものが感じられた。

ただ互いに確認し合うように言葉を交わす。


まっすぐに向かっていく、その姿勢をひどく愛しているのに、そのことをなにより心配に思う矛盾した気持ちを抱えながら受話器を置いた。

受話器の重みを受けた電話がチンと鳴る音は、どうしてこうも寂しく感じられるのか。

もっと楽しい音が鳴るように設計すべきだと思う反面、どんな音であってもそう思うという気が薄々している。






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タイトルは「彼女の為に泣いた」様からお借りしました。



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