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高鳴る心臓はあなたのせいよ(1)

風呂から上がったばかりで濡れた髪をがしがしと拭きながら、青木は溜め息を一つ吐いた。何をするにしても溜め息がこぼれる。柄にもない、と思いながらもどうしようもない。

今日のことを何度も思い返す。

呆然とした表情。『じゃあ、また今度。青木さん』という軽い声。どちらが本当なのか。それともどちらも益田の本心でないのか。もう分からなくなってしまった。

自分の行為が益田を傷つけたのだとしても、なんとも思われていないにしても、だ。そのどちらであっても苦しい。


左手首につけた腕時計を見遣ると11時近くになろうとしている。明日のことを考えると、これ以上思い悩んではいられない。保留にしておいてさっさと寝てしまうに限ると畳んだ布団を部屋の隅から定位置へと持ってくる。

ポーンとこの家のドアベルが鳴る音が開け放った窓から聞こえてきた。こんな夜更けに誰か来たらしい。迷惑なことだと思いながら敷布団を敷いた。枕も適当に。風呂上がりに再度つけていた腕時計をはずして枕元へと置く。首元にかけたままだった濡れたタオルを卓袱台の上へと放る。

電気を消そうと紐へと手を伸ばした時、階下から下宿先の細君の声がした。

「青木くん、お客様よー」

迷惑な客は自分の客だったらしい。これは肩身が狭い。事件の招集だろうか、と考えたがその考えはすぐに打ち消した。それにしては細君の声はのんびりとしたものだった。

階段を上がってくる音がして、次いで扉をこつこつと叩く音がする。それが誰なのかは、階段を上がる音を聞く間に予想がついていた。部屋まで訪れてくる人間はそう多くはない。

返事はせずに、姿を思い浮かべる。


鬱陶しい長い前髪をしていて、体つきは元刑事とは思えないほど貧弱だ。ケケケと意地の悪い笑みをすぐ浮かべるし、薄い唇は調子のよい軽口ばかりを紡ぐ。



「青木さん?僕です」

再度扉を叩きながら呟かれた声は、やはり予想通りの男のものだったが――。

開けるべきかどうかの判断がつかない。


「…青木さん?」

小さくなりはしたけれど軽薄さなど微塵もない必死な声に、青木は目を閉じた。益田がたまに見せる、こうしたところが気になって仕方ない自分に抵抗なんて出来るはずもない。

少しだけ知っている。軽薄な上っ面以外の部分も。中々踏み込ませてはくれないけれど、しばらく親しくしているうちに見えてきた繊細な内面を。

ケケケと笑わない時の笑顔だって知っている。長い前髪だって暴力を厭う性格によるものだ。まぁ、だからといって、まずは前髪を伸ばそうという発想に至る思考は良く分からないけれど。貧弱な身体を抱きしめた時の感触も、薄い唇の柔らかさだって知ってしまった。もっと知りたいし、全てを手に入れたいという思いは揺るがないことを再確認させてくる声だった。



「今開けるよ」


扉の向こうに言葉をかけて立ち上がる。自棄なのか腹をくくったのか自分でも判断がつかなかったが、とにかく気持ちは落ち着いていた。










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