文章 | ナノ

きみを掴めないぼくは落下する

益田と約束していた時間に5分程遅れてしまい、青木は急いで電車を降りると、ホームを足早に歩いた。階段を駆け降りて改札を抜けると、ちょうど救急車がサイレンを鳴らし、走り出していくところだった。

周りを見渡したが、益田の姿はない。待たせずに済んだようだと安心し、どこからも見やすい駅舎の柱に凭れて、青木は一息ついた。

先程見えた、救急車が来るような出来事のせいか、辺りはまだざわめいていて、青木の近くでも不惑を過ぎて見える女性二人が興奮した声で話していた。三人寄らずとも姦しい。


「まだ若い子だったのにねぇ」
「ホント、怖いわぁ。うちにも同じくらいの息子がいるから他人事じゃないもの」


そんな風に口さがなく噂が出来れば、もう充分他人事だろう。ぼんやりと聞き流しながら、そんなことを思った。そう思う自分も他人事ではあるが、まだ自覚はある。それよりも、益田はいつも約束の時間よりも先にいるから、こうして遅れてくるのを待つのは初めてで、少し心配になった。


「あの子、助かるかしら」
「さぁねぇ。男の子の割に細かったし、病気がちな子だったのかもしれないわね」

漏れ聞こえてくる会話に、ふと嫌な予感がして噂話に花を咲かせる婦人達に声をかけた。

「何かあったんですか?」
「さっき、いきなり貴方くらいの若い男の子が倒れちゃったのよ」

自分が童顔だと言われることを計算に入れると、冷たい汗が背を流れる。

「もっと外見を詳しく教えて頂けませんか。僕を待っていた友人かもしれないんです」
「あら。大変ねぇ」

二人は声をあげながらも、目を輝かせている。好奇心を隠そうともしない姿に少し苛立ったが、そんな余裕があったのはそこまでだった。

長い前髪、華奢な背格好。益田を連想させるような特徴を連ね挙げられて不安ばかりが募っていく。



冷静になれ、と自分に言い聞かせた。

事実は、益田が待ち合わせ場所にいないということだけだ。

それに気づけば、仕事の関係で遅れているか、約束を忘れているだけかもしれないという可能性に思い当たった。すぐに礼を言って婦人達から離れて駅の傍の本屋に電話を借り、もう覚えてしまっていた探偵社の電話番号を回した。

呼び出し音が随分長くに感じる。

もういっそ益田に電話に出て欲しかった。約束なんか忘れて探偵社で珈琲でも飲んでいればいい。とにかく元気でいるという確証が欲しかった。祈るような気持ちで待つ。

―――出ろ、出てくれ。

自分の指が、かつかつと電話台を叩くのが見える。冷静には程遠い。呼び出し音が途切れて、繋がった。


「はい、薔薇十字探偵社です」


願いはむなしく、受話器をとったのは安和で。それでもまだ安和の近くにいやしないかという望みはあったから、とにかく所在を尋ねると、不思議そうな声が返ってくる。

「益田くんなら30分以上前に、青木さんと約束があるって出ていきましたがねぇ」

――30分以上前!?

聞いて、気が遠くなりかけた。待ち合わせた駅は榎木津ビルディングからせいぜい歩いて10分程度の駅である。一体今どこにいるんだ。それだけあれば往復すらできてしまう。

考えたくもないのに、真っ青な顔をして倒れる益田が頭の中に浮かんでくる。呆然としつつ、なんとか失礼ではない程度に挨拶をして電話を切り、必死に考えた。

―――待ち合わせ場所の駅舎に一旦戻ろう。もしかしたら自分が電話をかけに動いてる間にすれ違っただけで、益田くんは今頃駅舎で待っているかもしれない。

そうだ、そうであってくれ、と思いながら最初に待っていた場所に戻ったが、益田は見当たらない。辺りを見回しながら、半ばその可能性を諦めていた自分に気づいて、ゾッとした。


益田が倒れたという仮説を事実のように受け入れはじめている。

だが、もう心配する以外に自分の出来ることが限られてきているのも確かだった。

探偵社に向けて歩いてみようか。……いや、10分の道を30分以上もかけているのだから普段と違う道を通るなり、なにか普段と違う行動をとっている筈だ。すれ違う可能性の方が高い。やめておいた方がいい。

だが、この推測が正しいとして、普段と違う行動とはどんなものだろうか。

遅刻をしてでも一度自分の下宿に帰ることにしたというのは…?…いや、これも益田の性格上無いだろう。青木の到着を待ってから断りをいれるか、共に行くかするのが自然だ。安和に伝言も頼んでいない時点で、ありえない。他の用事でも同様だ。無断で遅刻するような行動に出るとは、どうも思えない。

と、なると。

不測の事態が起きた、ということなのではないか―――。

背筋が凍った。


もう近所の病院に手当たり次第に電話してみるか、しばらくここで待ってみるかを悩んでいると、「青木さん!」と自分を呼ぶ、よく知った声が聞こえた。


すぐさま顔を上げて、声の聞こえてきた方向を見ると益田が駆けてきていた。

安堵の気持ちでいっぱいになる。「遅いよ」だとか「心配したじゃないか」だとか色んな言葉が思い浮かんだけれど、どれから言えばいいのかも決められない。

「遅れてすいませんでした。これには深いようで深くない事情が…」

息をきらしながら、益田が頭を下げて寄越してくる。深くない事情とやらを聴いているうちに、青木は全身の力が抜けて、座りこんだ。


この20分で確実に寿命が縮んだと言い切れる。


「え、ちょっと!大丈夫ですか、青木さん!」

慌てる益田の声を聞こえたが、顔を上げる気にもなれない。



友人の顔を保つのは案外簡単で。このまま、こんな想いは無かったことに出来るんじゃないか――。

どこかで、そんな風に考えていた自分の甘さを思い知る。

もう引き返せないところまで来てしまっていた。


「青木さん?」
「…なんだよ」

益田も座りこんできて心配そうな顔をして見てくるので、素っ気なく返した。



目の前の男は、こっちがどれだけ心配したかなんて、絶対分かってない。

この程度の遅刻でそれは当たり前のことだとも思う。


だけど、そのことが本当に悔しかった。








=======

タイトルは「彼女の為に泣いた」様からお借りしました。







[ 10/62 ]

[*prev] [next#]
[戻る]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -