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踊る道化は笑わない(1)

「お邪魔しました」

玄関まで見送ってくれた千鶴子夫人に頭を下げて、益田は中禅寺の家を出た。


――――関口さんは大丈夫だろうか。


由良邸の事件で自分の代わりに探偵の助手をつとめてもらった礼を言うために会いに来た男について、益田は思いを馳せた。

中禅寺宅の座敷に居ると関口の家で奥方に聞いて追ってはきたものの、やはり事件の後というのは精神を疲弊させるようで、随分辛そうな様子だった。

自分が言う礼も届いたかどうか分からない。たまに中禅寺が揶揄して関口が言い返す。話すのはその時くらい。そんな調子が続いた。

そのことに対する申し訳なさと、探偵助手としての自分の役目が果たせなかったことへの深い後悔が胸をよぎる。きっと榎木津は気にしてやしないだろうけど、そんなことは問題じゃない。自分の中の問題だ。


なんだか今月は上手くいかないことばかりだったな、と今日で終わる己の7月を振り返る。熱は出す。告白直前に友人宣告。青木の前で泣く。その上、探偵助手としても失格。酷い様だ。

抱きしめられた感触が思い出されて、羞恥で顔が熱くなる。あの時は自分のことで精一杯であったから青木のことにまで頭が回らなかったけれど、何故抱き締められたんだろうと、最近よく考える。

青木からも鳥口からも酒の誘いは何度かあったけれど、断っていた。

誰かに榎木津を頼まねばならなくなった要因である、見合い相手の素行調査の張り込みでこの2週間は忙しかったし、青木に会うのも怖かった。



日は一番高いところへと昇っていた。何もせずとも汗ばむ陽気にうんざりしながら目眩坂を下り続ける。

七分目まで下りたところで、自分とは反対に坂を登ってくる人影が見えて、その人影が誰かが分かっても、すぐには信じられなかった。


何故。何故、今、彼はここに居るのか。


益田が動けずに立ち竦んでいるうちに、その人はどんどん近づいてくる。

そして10歩先かというくらいの距離で立ち止まった。


「やぁ、益田くん」

青木が見上げてきて、日が眩しそうな表情を見せる。青木の方が少し背が高いから、こんな風に見下ろすのは初めてで新鮮だった。

長袖のシャツを着てはいるが、流石に暑いのか肘まで袖を捲り上げていた。ネクタイはしておらず、一番上の釦も開いている。

「ど、どうも」

飲んでいる最中にくらいしか見せない、青木の気安い格好に訳もなく動揺して、どもってしまう。

「青木さんはどういう用事で?中禅寺さんに何か相談事ですか?僕は関口さんがこちらだって聞いて、それで。それで、ですね。由良邸での事件のことで関口さんにお礼を…」

上手く言葉が滑り出てこない。最初で躓いたのが悔やまれた。視線も何処にやるべきか迷って定まらない。


「いや、僕は中禅寺さんに用事があって来たんじゃないんだ」

青木が優しく笑う。目眩坂と呼ばれる理由が急にわかったような気がした。青木がさらに坂を登ってくる。

「探偵社に行ったら和寅さんに君は関口さんの家に行ったって聞いて、関口さんの家で君は中禅寺さんのところに行くって聞いて。それで来た。君に会いに来たんだよ」

確かに中禅寺宅に行くにしては軽装だなと格好に合点がいった。

「暇ですね、さては」
「うん、暇だね。非番だし」

憎まれ口を叩いても流されてしまう。距離をはかりかねた。どんな風に話せば自然なのか。

泣いて醜態をさらしたことは謝りたい。だけど、その話題にも触れたくない。無かったことにしてしまいたい。

迷って口ごもっていると、青木が困ったように首を少し傾けた。

「この間のことを気にしてるなら謝るよ。君が…」
「気になんてしてません」

話を途中で遮った。なんで泣いたのだとか、あのとき言おうとしていたことはなんだったのか、だとか。

そんなことを続けて聞かれたら堪らない。

「由良邸での事件の話、青木さんは知ってますか?木場さんも関わってたんですよ、実は。少しですけどね。それで…」

青木がまだ何か言いたそうにしているのが視界の隅で見えて、延々と続く土塀を見ながら夢中で話し続けた。


7月は最悪の幕切れを見せそうだった。




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