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追いかける群青(2)


――――訳が分からない。


「益田くん、大丈夫かい?」

自室に青木が居る。下宿の場所も知らない筈の青木が。近づいてくる。

「えっ、えぇ!青木さん、今日はどうしたんです?」

掠れた変な声が出たのは、風邪を引いているせいだけじゃない。

「どうしたんです、じゃないよ。鳥口くんに君が風邪で倒れてるって聞いたから見舞いに来たんだ」

布団の横に座り込みながら、青木が困ったように笑う。座る青木に合わせて益田も身体を起こそうとしたが、手で遮られた。その手が自分の身体に当たりそうになって、避けるように布団へと戻る。もう前回の二の舞は御免だった。

「だから見舞いに来たんだって、僕は。いいよ、起きなくて」
「…有り難いですけど帰ってください。風邪、うつしたら悪いですから」
「そんなこと気にするくらいなら、最初から来やしないよ」

青木がさらに困った顔をして、目を細めた。

見舞いは何しに来ることだったかと、未だ混乱している頭の中を探す。自分が行った見舞いなんて数えるほどしかない。怪我をした同僚や、風邪をひいた寮仲間。適当に押しかけて、適当に世間話をして、はい、お大事に。そんなものの筈だ。つまり今は世間話でもするべきだ、何か話すようなことはあったかと益田が思考を巡らせていると、青木が部屋を見回しながら言った。

「あの浮気調査は結局どうなったんだい?」
「無事終わりました。しかもシロだったんです。見張り続けた甲斐がありましたよ」

またこのことを問われたことに驚きながら答えると青木の視線が戻ってきて、目が合う。穏やかな笑みが口元に浮かんでいた。

「そう。良かったね」
「…青木さん、最近会う度に今回の浮気調査のこと聞きますね。もしかして綺麗な奥さんを狙ってたんですか?」
「そんな訳ないだろ。会ったこともないのに。君が随分肩入れしているようだったから、気になってただけだよ。珍しく、へらへら笑おうとすらしてなかったし。あぁ、もしかして好きだったのは君の方なんじゃないか?」


からかい混じりに問えば、笑顔のまま思わぬ反撃をされた。そんな訳ないのはこっちだって同じだ。もういっそ言ってやろうか。僕が好きなのはあなただと。驚かせてやろうか。そう思う。思うだけ、ではあるけれど。

「そんな訳ないでしょうに。ふざけないでくださいよ。青木さん」
「言い出したのは君だろ。薬かなんかは飲んだのかい?」

軽い口調で言い返せば青木がさらりと流して話を変えた。会話ひとつひとつに必死になっている自分を実感して、滑稽だった。

「…えぇ。咳も少なくなりましたし、随分楽になりましたよ」
「良かったじゃないか。そうだ、これを最初に聞くべきだったな。あ、なんだっけ。確か、水分を特に沢山とらないといけないらしいよ、夏風邪は」

より深くなった青木の笑みを見ると、沈んだ気持ちがふわりと浮かんでいく。単純なものだ。

「誰の情報ですか。その最近聞きかじったような言い方だと不安なんですけど」
「誰だったかな。でも、これは本当だと思うよ」
「あぁー、怪しいですね、それだと」
「ひどいな。僕発信の情報は疑う訳だ」

面白がる瞳が自分をとらえる。

「それならさ、誰の情報だとすぐに信じるんだい?」
「そうですねぇ、やっぱり中禅寺さんは絶対でしょう」
「あぁ、それは分かるな。次は?榎木津さん?」
「いや、あの人はだいぶ後ろの方ですよ。青木さん、適当にもほどがありますって。当てる気ないでしょ」
「そうかな。君は榎木津さんのために上京までしてきたんじゃないか。口では貶しても、一番尊敬してるのは榎木津さんだろう?」

軽口の応酬だった筈のものが、いきなり切り込んだ質問へと変わったせいですぐには対応できない。一定の距離を保っていないと上手く振る舞えないのに。

そもそも、自分のことをどこまで見透かした上で言っているんだろう。確かに自分は榎木津を尊敬している。他の誰よりも。…そう言えるくらいには。でもそのことを、ただ上京してきたという事実だけで判断したんだろうか。それとも、もっと深い部分のところまで見透かした上で?ならば、青木に対して抱いている感情だってバレてしまうのは時間の問題なのではないか。


「…青木さん、最近妙に質問が多いですよ」
「そうかなぁ」
「そうですよ。しかもまた妙に本心を見透かすような質問ばっかりだし。いくら調子の良い僕だって、やってられませんよ」

もう視線を合わせていられずに、右腕で目を覆った。本当に、やってられない。上っ面を保てているときは、保たせて欲しい。頭で深く考えずに口だけで切り抜けるような調子に、やっと馴染んできたのに。

「それならさ、最初から本心を出していれば良いじゃないか。わざわざ隠すから疲れるんだろう?」


まっとうな意見だ。真っ直ぐな精神を持った人間から出る理想論。
そして、その理想論に憧れながらも、ほんの少し反発心を抱かずにはいられない自分との差に愕然とするしかない。それ以上、弱い自分を実感させられたくなかった。


「…青木さんには分かりませんよ」

こんなの八つ当たりだ。

「まぁ、とりあえず言ってみなよ。分からないかもしれないけどさ」

笑みすら含んだ声に驚いて、目を覆う腕を少しあげて覗き見れば、青木は本当に笑って、こちらが話すのを待っている様子だった。穏やかな瞳が、促すように目で問いかけてくる。


――本当に同じ人類なのか、僕は。もしかして僕はまだ猿なんじゃないか。進化が一段階遅れてるんじゃないか。


現実逃避も含めつつ、半ば本気で思う。どこでどうなってどうなれば、こうなれるのか。

いつの間にか下らない感情にすり替わってしまったけれど、きっと最初は憧れだったんだろう。自分にも、流さずに立ち向かおうとした時期もあったから。榎木津のもとに弟子入りしたのだって、事件の真ん中に堂々と立ち続ける姿が印象に強く残っていたのも十二分にある。

こんな風に強くありたい。そう思わせる、自分とは絶対的に違う何か。周りでおこる出来事を流してみせずに全力で向かう、眩しさすら覚える精神。


羨望。反発心。自己嫌悪。好意。

次々に沸き上がってきた激しい感情をどう処理していいか分からない。でもそれは、とりあえず寝てなんかいられない気持ちで。手をついて上体を起こした。青木が小さく驚いた顔をする。

「益田くん?」
「青木さん、聞いて欲しいことがあるんです」


気づけばそんなことを口走っていた。


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