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無重力に溺れる

夏の日の入りは遅く、流石に夕日へと変わってきてはいたけれど、もう6時をまわろうかという時間でもまだまだ明るく、まだまだ暑い。

7月は始まったばかりで、これからもっと暑くなるのは決定事項であるのにも関わらず、この辺りで勘弁してくれと頼めるものなら頼みたい暑さだった。だから、後ろから声をかけてきた友人がアイスを持っているのを見ても青木はそんなに驚きはしなかった。

「最近よく会いますね、青木さん。どこに行くんです?」

自分の後ろ姿を見て駆けてきたようで、幾分息を乱した益田が笑みを見せた。

「家だよ。君は?」
「僕は事務所に帰るとこです。じゃあ、近いんですね。事務所から。社員の僕より近い」
「うん、結構ね。あぁ、そうだ。こないだの浮気調査は終わったのかい?」
「まだまだ継続中です。だけどご帰宅なんですよ、対象が。一度帰ると朝までは家を出ないので、奥さんが代わりに見張りを。だから僕も明日に備えて一時休憩です」
「アイスを食べて?」

そう意地の悪い聞き方をすれば、しまった、という顔で益田が自分の持つアイスを疎ましそうに見た。アイスには罪はないのに。わざわざ買ったのは君の方じゃないのか、と指摘しようとしたが、益田の言い訳に先を越された。

「小道具ですよ、小道具。これから夏の見張りにはアイスを持って立とうかな、と思いましてね。試験的に購入してみたんですよ。手持ちぶさたで立っていても怪しいでしょう?そうだ、見張る僕は全身怪しいって言ったのは青木さんじゃないですか」

ひねりだされた言い訳は、なんとも苦しい。そもそも話す当人が、相手を納得させる自信の無さそうな困った顔でいるから余計にそう思うのかもしれない。

見切り発車にも程がある。

「大の大人が一人で黙々とアイスを食べてる方が怪しいよ」
「怪しさが一周して、逆に怪しくない、なんてことは…」
「無いよね」
「ですね」

結局益田はあっさりと言い訳を諦めたのか、アイスを食べるのを再開し始めた。青木は他にすることもなく、隣を歩くその横顔を視界の隅に捉える。そんな風にしてしばらく見ていると、はじめて会ったときよりも益田の前髪が随分伸びていることにふと気がついた。額をすっかり隠してしまっている。

伊豆の事件の最中は髪を切る余裕がなかったとうのは分かるけれど。もう終わって二週間以上経つし、切りに行ってもおかしくない頃だ。

「怪しさを軽減するためにはさ、前髪をもう少し切った方が良いんじゃないかい?」
「あぁ、これはね、わざと放置してるんです」

益田が自分の前髪を指先で持ち上げてみせた。細い髪が夕日に透ける。

「こないだ伊豆の事件があったでしょう?」
「うん」

そこから親しくするようになったのだと考えると、もっとずっと昔のことのように思う。

「その時、僕は自分の力の無さを痛感したんですよ。それで考えたんです、前髪を伸ばそうって」
「え?…前髪を伸ばそうって考えはどこから出てきたんだい?」

腕力の無さと前髪の長さが繋がる理由が皆目見当がつかずに青木が問うと、笑みが返ってきた。

「ほら、こうして」

益田がばさりと頭をさげてみせて、前髪の隙間から青木の方を上目で見てくる。

「どうです?見るからに弱そうでしょ?」
「…うん、まぁね」

弱いと言われて喜ぶ人間はいないだろうから、と少し遠慮した答えを返したのに、益田は「弱そうでしょう」ともう一度自慢げに言って、にこにこと笑った。変な思考だなと思いつつも、その嬉しそうな笑みにつられて青木も可笑しくなってきた。

「こう見るからに弱そうなら、殴る相手もきっと手加減してくれるだろう、と僕は作戦をたてた訳ですよ」
「なるほどなぁ。役に立つといいね、その作戦」
「いや、役に立つ日がきたらきたで困るんですけどね。その時僕は殴られてる訳ですから」
「それもそうだね」

どこか間の抜けた調子の会話に心底可笑しくなってきて、笑った。そういえば、益田と居るとよく笑う。

「僕も食べたくなってきたな、アイス」
「今度、鳥口くんも誘って食べに行きます?鳥口くんが言ってたんですけど、美味しいとこあるらしいですよ」
「男三人で?どんな連中かと思われること必至だね」
「いいじゃないですか」
「まぁ、僕も別に構わないんだけどさ」
「それじゃあ決定ですね」

益田が本当に嬉しそうに口元を綻ばせた。

ケケケと笑わない彼は少し新鮮で、そして、こちらの方が自然で好ましいと思う。あの笑い方は一体何を思ってやっているのか。

親しくするようになってから、また一つ、知っている表情が増えていく。




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タイトルは彼女の為に泣いた様からお借りしました。






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