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まぶしいばかりの残像

なんで浮気なんてするんだ。好きな人を手に入れて、他に何が欲しいんだよ。


片想いを続ける我が身の私情をこれでもかと詰め込みながら、益田は浮気調査の対象者が入って行ったビルの出入口を道路の反対側から見張り続けていた。

久しぶりに天気の良い、梅雨の合間の土曜日の昼下がり。奥方とどこかへ出掛ければいいものを、まっすぐ家に帰るつもりがなさそうなのは確かだった。

対象は、もう既に二度も浮気を繰り返している男で、そしてその報告を二度奥方にしたのも自分で、つまりはこの男の浮気調査は三度目だった。

その三度目の調査にとりかかって2日。まだ何の証拠も掴んでいないけれど、正直なところ、またやっているに違いないと思ってしまう。益田に浮気調査を依頼する奥方も、随分手慣れたもので、随分痩せた。浮気を探し当てたいのではなく、浮気していないと信じたいのだろうと思うと、馬鹿正直に報告するのは正しいことなのだろうかと悩む。

決められたものに則り、私情を交えずに粛々と対応しなければならない組織というものに不向きだと感じて警察を辞めたのに、今もただ頼まれたことをそのままやっているだけで何も変わっちゃいない。でも嘘の報告をすれば解決する話でもないのだ。

そんなことをつらつらと考えていたから、益田はすぐ横に人が近づいてきていたことに全く気付かなかった。



「君、そこでなにをしているんだ」
「いや、僕は何もしてませんて」

元刑事が職質されるなんて。情けないにも程がある。

突如かけられた硬い声に反射的に言い訳をしながら振り向こうとした瞬間、その声に聞き覚えがあることに気づいた。それも、好きでたまらない相手の声だと。



「益田くん、その返答は怪し過ぎるよ」

―――あぁ、やっぱりか。

自転車を押しながら愉快そうに笑う制服姿の青木が視界に入り、益田は脱力した。


「最初から僕だって分かってて声をかけたんですか?わざわざちょっと声音まで変えて?」
「うん。でも怪しいのは怪しかったんだよ、本当に」
「そんなの教えてくれなくたっていいですよ…」

好きな相手に真面目な顔をして「怪しい」と言われた人間は、果たしてこの国に今何人いるのか。是非友人になって嘆き合いたい。

こんな話題はさっさと打ち切りたくて、益田は視線を出入口へと戻し、話を変えた。

「青木さんは巡回中ですか?見た限りだと」
「そうだよ。君は?浮気調査か何か?」
「えぇ。見るからにそうでしょ」
「いや、浮気調査中だって、見てすぐわかったら駄目だろ」
「…普段なら僕もそう思って、自然にこそこそしてますけどね。今回のは…わかっちゃえば良いんですよ」
「どうして?」

守秘義務という言葉が頭の中に大きく浮いていたけれど無視した。話し出せば止まらなかった。

「今見張ってる男、まぁ名前は流石に伏せますが、浮気調査は三回目なんですよ。僕だけで。前の2回も真っ黒でね、まっったく反省してないんですよ。奥さんはあんなに綺麗で優しい人なのに。初めて事務所に来たときなんて泣いてたんですよ、その奥さん。それが今では悲しそうは悲しそうなままなんですが、変に馴れちゃってて。それじゃあお願いします、益田さん、なんて言って笑おうとするんです。悔しいですよ、僕は。どっちの味方になってるのかさえ分からない。ただただ調査をして、報告して、奥さんを傷つけて、金を貰う。金を貰って傷つけてる分、僕の方が悪質ですらある。それもこれも全部あのおっさんのせいなんですよ。断ればよかった、こんな仕事」

最後に責任転嫁をしたのは卑怯だからだ。そんな自分に反吐がでる。結局、いつも最後には自己嫌悪にいきつく。

「なるほどね」

青木が静かにそれだけ言って自転車のスタンドを立てた。その様子で、しばらくここに居るつもりらしいと分かったけれど、もう今日はさっさと巡回の続きに行って欲しい気分だった。自分ですらうんざりするような自分しか、今ここには居ないから。

益田が凭れて立つ電柱に、青木も凭れてくる。

「睨むみたいにして見張ってたのは、そんな理由か」
「え?睨んでましたか、僕」
「うん。中途半端な立ち方とか、なんだか怪しい部分は色々あったんだけどさ、何か恨みでもあるのかと疑いたくなるような視線が特に怪しくてね。どうかしたのかと思って声をかけたんだよ。もし君を知らなかったら、間違いなく不審人物だと認識したね」

眉を少し下げて、青木がさりげなく酷いことを言う。

「…ひどいなぁ、青木さんは」
「事実だよ」

不平を言ってみると、青木は揶揄するように目を細めてから、可笑しくて堪らないというように下を向いて笑った。

「君はお調子者の顔をして、本当は大概真面目だよなぁ」

また返答に困ることを言うものだから、「青木さんほどじゃないですけどね」と軽口を叩くと視線が帰ってきた。

「僕のことはいいよ。で、君はどうするんだい?今からさ」
「そうですねぇ…」

どうしようか。浮気なんかやめろと殴ってやろうか。榎木津流探偵術にはこれが一番近い気がする。
でも、それだ、と手を打ちたくなるような案でもなかった。そもそも、そんな力もないし。

なによりも。

まだ浮気していると決まってる訳じゃない。まぁ、十中八九やっているにしたって。それでも。

「…対象者の潔白を信じて、もうしばらく見張ってますよ。後ろにくっついて」

あの綺麗な奥方と同じように。

今、自分に出来るのはそれくらいだと思った。

次一緒に裏切られたら、どうしたいのか聞いてみよう。そして、それを叶えるべく動くのが自分なりに目指す探偵に近いような気がした。



「そっか」

青木の笑みも深くなったので、これで良いのだと思う。多分。織作家の事件で出会ったときから惹かれてやまない穏やかで強い瞳が自分を映している。

「殴るのを見ちゃったら、逮捕するしかないとこだったよ」
「えぇっ!?一発くらい見逃してくださいよ!僕は同じ薔薇十字団じゃないですか」
「今僕がなんで交番勤務なのかを思い出して欲しいね。その団に関わるとろくなことがないよ。暴走したくなるんだ」

そう言って声に出して笑い、青木が離れていく。

自転車のハンドルを握って、スタンドを足で跳ね上げる様を、益田はなんとなく眺めていた。








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