慈郎/金蘭の契り
「名無し!!」
雨が降り続ける。
この時期は嫌いだ。
湿気が高いから、いくら髪をセットしてもうねる。
「行くなよ……名無し…」
「ごめんね。でも行かなくちゃ」
俺とは正反対で、湿気があってもまったくうねりを知らない真っすぐな綺麗な髪。
好きだった。
「ずっと一緒にいようって……約束したじゃん」
俺と名無しが出会ったのは、中学の入学式の日だった。
氷帝学園は迷子になるほど広い敷地を有している。
入学式が終わり、挨拶程度のホームルームも終わった。
部活はテニス部に入るって決めてるし、他にすることがなかった。
帰ってもよかったけど、急に眠気が襲ってきた。
昼寝ができる場所を探し適当に歩いていると、グランドの隅にある芝生でねっころがっている子がいた。
女の子だった。
スカートが寝相で捲れている。
けれど、寝ている本人はそんなことに気づかない。
ドキドキしながら、横に俺も寝てみた。
あ、気持ちいい。
いい具合に刈られている芝生の上は、ひんやりとしていて思わず顔を押し付けた。
目の前に女の子の髪が広がっている。
好奇心だった。
手を伸ばして髪に指を通した。
思っていたよりさらさらしていて、すぐ指の隙間を通り越し、地面に落ちて行った。
瞬間、ぐるりと頭が回り、女の子とバッチリと目があった。
怒られると思って体をビクビクさせていると、女の子はにこっと笑い、俺がしたように俺の髪に指を通して、綺麗だねと言った。
それが名無しとの出会いだった。
それから俺と名無しは一緒に行動するようになった。
昼休みになれば、昼寝できそうな場所を探して一緒にねっころがった。
「慈郎の髪、太陽の匂いがする」
「名無しもいい匂い」
髪が触れ合うほど、近くに。
名無しは女の子だけど、普通の女の子と違う。
普通っていうのは、クラスの女の子ってこと。
他の女の子より大人っぽくて、キャピキャピしてない。
笑わないわけではない。
むしろ、よく笑う。
他にもいろいろあるけど、何より傍にいると安心できた。
好きになるまで時間はかからなかった。
「俺、名無しのこと好きだよ」
「私も慈朗のこと好きだよ」
「そっか」
「うん」
「なにがあっても一緒に居よう?」
「それって、プロポーズ?」
「違うよ。プロポーズはもっとカッコよく言うから。だから、これは“約束”」
「慈郎が私は見失わない限り、傍に居るよ」
俺達は3年生になった。
最後の夏、氷帝は全国大会でベスト16という成績に終わった。
青学との試合に悔いはない。
今まで試合に負けたことは何度だってあった。
でも、何かが違った。
明日から跡部や忍足、がっくん達と一緒に練習をすることはなくなるんだ、と考えたら、真っ暗な穴に堕ちた。
名無しに散々八つ当たりをした。
名無しが悪いんだ。
名無しがテニスの練習の邪魔をするから。
名無しがくだらな話をするから。
名無しが一緒に帰ろうなんて言うから。
名無しが。
名無しが。
名無しが。
俺が何を言おうと、名無しは黙って聞いてた。
時には涙を流して、ごめんねと謝った。
名無しは悪くなんかないのに。
けれど、謝られると俺は少しすっきりした。
いつからか、名無しは泣かなくなった。
俺が罵っても上の空で、終わると溜め息を吐いてどこかへ行ってしまう。
それが無性に悲しくて寂しくて。
腰まで伸びた名無しの髪を掴んだ。
小さく悲鳴を上げて、俺を拒絶する。
今度はその態度が腹立たしくなった。
自分でも何をしたかわからなかった。
パラパラと散っていく。
近くにあった鋏で俺が好きだった名無しの髪を切り落としていた。
「慈朗」
久しぶりに呼んでくれた。
次の瞬間、名無しはもういなかった。
どうして、こうなっちゃったんだろう。
「先に約束破ったのは、慈郎だよ」
「………ごめん」
「もうお互いやめようよ」
「一緒に居たい……そばに、居たいんだ……」
「できないんだよ、慈郎。今は離れなくちゃ。私たち、完全に駄目になっちゃう」
「それって、今離れたらやり直せるってこと?」
「それは違う」
「わかんないよ!」
「名無しが、わからない」
「慈郎……」
「前は何を考えてるか、何を思っているかもわかったのに……今は、わからない」
「それは、慈朗と私の間が近すぎて、今は離れてしまっただけ」
そう。
近すぎて、他人が入る余裕なんてなくて、二人だけの世界だったんだ。
居心地がよすぎて、周りなんか見えなかった。
「名無し、好きだよ」
「私も慈郎が好きだよ」
「名無し、好き」
「今はわからなくてもいいから。いつかわかる日が来るから」
「うん」
「その時まで」
「うん」
「慈郎、ありがとう、大好きだよ」
涙でぐちゃぐちゃな顔で、無理して笑った名無しは、すごく綺麗だった。
END
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