忍足/君に心を奪われる(「二人だけの世界へ誘う」の続き)
「名無しちゃん!」
「侑士さん」
「待った?」
「いいえ、今来たところ」
「今日はどこ行きたい?」
「どこでも。侑士さんが一緒なら」
「そうか。じゃあ、今日は俺のオススメのお好み焼き屋連れてったる!」
そう言って連れてこられ場所は、3駅隣の駅からすぐ側にあるお好み焼き店だった。
名無しは途方に暮れていた。
見たことはあっても食べたことはない。
食べたことがなければ作ったこともない。
テーブルに埋め込まれた鉄板と大きな器に山盛りに盛られた具材。
そして、奇妙な形をした鉄の道具。
「これは……どうすればいいの?」
「俺が作るから見とき!」
鉄板に油を引き、生地だけ流し込み厚みを出す。
その上に豚肉やイカなどの具材を並べる。
「んで、ひっくり返す」
「ひっくり返す?」
鉄の道具は「テコ」というらしい。
「そう、やってみるか?」
「え、えぇ…」
「これ持って」
思わず頷いてしまったが、テコを渡されたところでどうずれば良いのかわからない。
忍足はそんな名無しの様子を見て、後ろに回り手を重ねて鉄板まで導く。
「ほな、行くで……ほいっ!」
「きゃっ…!」
あっという間の出来事で、名無しはどうやったのかわからなかったが、お好み焼きはジューっと音を立て見事にひっくり返っており、表面は香ばしく焼けていている。
「上手や!」
「ほとんど侑士さんがやったじゃない!」
「俺はほんの少ししか力入れてへんで?名無しちゃんの実力や」
「侑士さんはおだてるのが上手ね」
「こりゃあ、名無しちゃんに一本取られたなあ」
「ふふっ!」
名無しから自然に笑みが零れていた。
その様子に忍足もつられて笑顔になった。
――――――――――
お好み焼き店を後にし、二人は近くの公園で一休みをしていた。
日はすでに落ち、街灯がチカチカと点滅している。
「今日はすごく楽しかったわ。初めての経験ができて」
「電車に乗ったことあるとは思わなかったわー。景ちゃんは切符の買い方すらわからへんで」
「あの人と一緒にしないで」
「すまん、すまん」
「……」
名無しの隣に腰を降ろした忍足は眼鏡を外した。
どうやら伊達らしく、外しても視力に問題はない。
ならば、なぜ眼鏡を掛けているのかと疑問に思った。
理由は何となく想像つくが。
「今日で一ヶ月」
「何が?」
「付き合って一ヶ月」
「……あぁ、そうね」
「気のない返事やなぁ」
「何だか実感なくて」
「そりゃそうやろな。一ヶ月と言ってもわいが名無しちゃんと会ったのは、今日入れて5回目やもん」
「だ、だって…」
付き合い始めてから二日に一回のペースで忍足からお誘いの電話やメールが来たが、二人っきりで会うことは何とも気恥ずかしく、気が乗らなかった。
何を話したらいいのだろう。
話すことが途切れてしまったら、気まずくなってしまうだろうか。
考え始めたら不安が募り、誘いを受けづらくなってしまった。
これではいけないと思いつつも断り続けていると、忍足は放課後に名無しの教室まで押しかけてきた。
学校一、二位を争うイケメンが名無しを迎えに来るというサプライズにクラスメイトの奇声が飛び交い、それを鎮めるためにはさっさとその場を離れるしかなかった。
結局、その流れで二人は出掛けることになったのだ。
それが初めてのデート。
また断れば、忍足は名無しの教室までやって来るに違いない。
なので、週に一回してくれと名無しから頼み込んだ。
忍足はなかなか頷いてくれなかったが、徐々に増やしていくという妥協案で納得してもらったのだ。
しかし、名無しの心配は杞憂に終わった。
忍足の経験の豊富さからなのか、会話が途切れることはなかった。
彼は博識で、名無しがもっと聞きたくなるような話を冗談を交えて話してくれる。
その冗談も本当か嘘かわからないようなもので、笑いが絶えない。
こんなに自然に笑えることは久しぶりで、忍足と過ごす時間は名無しにとって特別なものになっていった。
「まあ、記念日やし。これ、俺からのプレゼント」
「ふふっ、侑士さんって私より女の子らしいわ。でも、ありがとう。開けてもいい?」
「もちろん」
綺麗に包装されたものを丁寧に解いてくと、現れたのは箱の中に敷き詰められた花たちに埋まった小さな指輪だった。
「指輪…?」
「右手出し」
ピンクゴールドで真ん中にハートのダイヤがついた指輪は、名無しの右手の小指に納まった。
「ピッタリや。外したらあかんで」
「えぇ、わかった。ありがとう、侑士さん」
「なあ、見返り求めてもえぇか?」
「いいわよ。私は何も用意してないし」
「名前で読んで?“侑士”って」
「それだけでいいの?」
「あぁ」
改めて呼ぼうとすると、声が詰まった。
彼という存在を、認識させられる。
「……ゆ、侑士」
「も一回」
「……侑士」
「名無し」
そっと、唇が触れる。
「眼鏡、邪魔」
「そない激しいキスしたいん?」
「っ、馬鹿!」
「姫さんが許してくれるなら」
「い、いいわよ」
もう一度。
今度は見つめ合いながら、唇を重ねた。
END
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