可愛らしい、と思った。
女に対してそんなふうに感じた事は初めてかもしれない。その時の気分で誘われれば一晩共にする位の関係しか知らなかったし、ましてや一人の女に固執するなんて有り得ないと自分でも驚いていた。

「なまえ、可愛いな」
「…やめてお願い…」
「本当は嬉しいんだろ?」

もともと固定した住まいなんて無かったけれど、なまえと住む為に借りた高級マンション。広いリビングの先にある寝室にはふかふかのベッド。その上に手足を縛られているみょうじなまえは青白い表情でガタガタと震えていた。

「ほら、なまえにピッタリだ」

滑やかな肌。細長くしなやかな彼女の左手の薬指にはキラリと光る指輪が填められていた。これは【結婚指輪】だから、と嬉しそうになまえの指に着ける男の名はアカギ。その後で自分の左手の薬指にも同じデザインの物を填めて指輪の感触を確かめている。

「なんだかあまり実感が無いな」

ククク、と笑って部屋を出ていくアカギの後ろ姿をなまえは恨めしく思った。これは所謂"監禁"というヤツだ。何故こんな事になったのか…

それは数週間前に遡る

***

「離して!」
「いいじゃねぇか、ちょっとだけ付き合ってくれよ」

夜の街角には昼間と違う空気が漂う。派手な色のネオンがチカチカと照らし、行き交う人々の群れは喧騒で賑わっていた。何だかその日はムシャクシャしていて雀荘で散々毟り取った帰り道、人通りの少ない路地裏で女の叫び声が聞こえて振り向いた。どうやら酔った男に絡まれているらしく、腕を掴まれて逃げられない様子だった。

「ねぇアンタ、離しなよ」
「あ?何だテメェは…ぐおッ!」

肩に手を掛けると返事を待たずに殴り倒す。酔った男は反応も鈍く、鼻血を出したまま道端に倒れ込んで動かなくなった。

「あ、ありがとうございます」
「……………………」

涙目でお礼を言う女は心底ホッとした顔で深々と頭を下げる。助かりました、と顔を上げた時の笑顔を見た瞬間、胸がざわざわして堪らなくなった。何だ、この女は

「アンタもさ、こんな夜に一人でふらふらして襲って下さいって言ってる様なモンだぜ」
「…っ、そうですよね、ごめんなさい」
「じゃあな」
「あ!ま、待って下さい、何かお礼を」
「いらねえ」
「でも」
「…アンタの名前、教えてよ」
「私、みょうじなまえといいます。三丁目の喫茶店で働いてるので、今度ご馳走させて下さい」
「まあ、気が向いたらね」
「本当にありがとうございました」

何度もぺこぺこ頭を下げる姿が可愛いと思った。

(…可愛い?)

足早に去っていく彼女の後ろ姿を見送る。さっき殴り倒した男の血が手の甲で固まって拭いても取れなかった。

ふたりを繋ぐ赤い鮮血

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