優しい狂気



初めて会った時からその美しさと裏にある儚さ、穏やかな性格と物腰の柔らかな彼女に密かに惹かれていた。

「森田くん、ちょっといい?」

申し訳なさそうに呼ぶと、なまえがキッチンから手招きする。

「どうしたんですか?」
「この瓶の蓋が開かなくて」
「ああ、貸して下さい。ほら」

手渡された瓶の蓋を握って捻れば簡単に開いた。それだけの事なのに『すごい、すごい』と目を輝かせる姿が可愛くて思わず吹き出してしまう。

「急にどうしたの?」
「いや、だって簡単に開いたから…」
「あ!今、バカにしたでしょ?」
「違いますって。何か可愛らしいなあって思っただけで」
「…私は"可愛い"より"綺麗"になりたいの!」
「はいはいなまえさんは可愛くて綺麗ですよ」
「うん。素直でよろしい」

にこやかに冗談を言い合える程に二人の距離が縮まったのも数日前。

銀さんから連絡があり『今のヤマが片付くまでなまえのマンションで待機してくれ』と言われた俺が鞄ひとつ持ってマンションを訪れると、彼女は快く迎え入れてくれた。どうやらなまえにも連絡があったらしく「数日で終わると思うからその間よろしくね」と簡単な挨拶を交わして、ぎこちなかった初日が終わった。

「何作ってんすか」
「ふふ、さあ何でしょう」

いい匂いがしてくる

鍋に視線を落とす彼女の後ろ姿を見つめた。緩く纏めた髪から白い項がちらりと覗く。遅れ髪が妙に艶やかに映り、そのまま抱き締めたい衝動に駆られた。

「銀さんから連絡は」
「…うん。さっき終わったって」

もうすぐこの生活も終わる。特に二人の間に何かあったわけじゃない。

「ちょっと寂しいかな」
「え、」
「私は森田くんと居て結構楽しかったから」

でも、期待してなかったと言えば嘘になる。あわよくば…そんな邪な下心が今更ながら胸の中をぐるりと掻き乱した。

「お、俺もなまえさんと居て楽しかった、です」
「そう?なら良かった。実はね、いつもひとりでつまらなかったのよ。銀さんはあの通り忙しい人だし…だから、今回どうして森田くんを寄越したのか、何となくわかるの」

先程の可愛さとは違って妖しく微笑む彼女は意味深な言葉を投げ掛けた。

「ねえ、森田くん。私が普段どんなふうにお仕事してるか知ってる?」

それは常々聞きたかったけれど、敢えて聞かずにいた。何となく想像していた。だから聞くだけ野暮だ、と。

「教えてあげるね」

どくり、どくり、と心臓の鼓動が煩い。ああ、この先は、きっと心のどこかで望んでいた事だ。

「なまえさん、好き…です」
「私も…好き…よ」

甘く囁く愛の言葉がたちどころに心と身体を蝕んで、痺れさせる。

「あ、っ……ん」

指先が肌を這う様に滑り
深い吐息が耳を擽る

熱い、あつい。

彼女が触れる指先が優しくて、怖い。




prev next