部活の休憩中のことだった。相変わらずテンションの高いコガが、ねえねえ、と期待した顔で近寄ってくるものだから、思わず後ずさるのは仕方がないことだろう。

「いーづき！　水戸部に聞いたんだけどこの間の部活、女子が見に来てたってほんと？！　彼女？！　マネ候補？！　てか伊月だけずるい！」
「そんなんじゃないぞ。そもそも、俺は」
「なんだよ、向こうが勝手に寄ってくるってか！　イケメン滅べ！」
「違うって。ほら、水戸部も見てたならさ」
「……」
「水戸部が、その時伊月が女子と喋ってたって！！　日向はなんか知らないの？　同じクラスだろ？」
「つってもなあ……。あ」

　全く俺の話を聞こうとしないコガだけなら良かったが、話の流れに嫌な予感がした。こちらを考えるように見る日向に少し緊張する。こいつ、妙なところで鋭いんだよな。

「最近伊月、涼宮に前ほどかまってなくないか……ほら、昼だって誘わなくなったし」
「まあ、そうだけど」
「じゃあ昨日体育館来た女子に乗り換えたってこと？！　やっぱイケメンずりー！」
「そろそろ練習再開するわよー」
「んーカントクもかわいいんだけど、そういうのじゃなくてさー」
「あらー小金井君？　面白いこと言うわねー」

　カントクの手によって地面に沈められたコガを水戸部が介抱している。その隣でカントクと言葉を交わす日向。ああ、カントクと日向が羨ましい。俺だって、その距離感になりたかったさ。

　本当のことなんて言えるわけがない。そりゃあ涼宮の隣が欲しい。だけど……、彼女の思いつめた顔にぞくぞくしていて、そういう表情をもっと見たいと思ってしまうのが健全な感情じゃないことだってわかってる。これ以上深入りしちゃいけない。
　誰か、涼宮を支えてやってくれよ。俺が、涼宮を諦めて、安心して手放せるように。

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　俺がどんな決意をしたところで、席替えはまだずいぶんと先だし、文化祭も近い。クラスメイト同士で関わる頻度が減るわけがなかった。挨拶だけでしか涼宮に関わらないと決めていなかったら、きっととっくに泥沼にはまっていた。
　数日前に涼宮にあんな態度をとったというのに、なぜか彼女は未だに俺のことを気にしているようだった。

　勘弁してほしい。それが自分勝手な気持ちだとはわかっているけれども、それでも。どれだけ俺が我慢して、涼宮から距離をとろうとしていると思っているんだ。
　涼宮からの視線に気づいてから、今まで以上に朝から部活に打ち込んで、時間ぎりぎりまで教室に戻らず、授業が終わったらすぐに教室からでる。まるで涼宮と同じような生活スタイルだ。日向とカントクには根詰めすぎるなと言われたし、土田やコガには気合入ってるなと言われ、水戸部には心配された。

　そんなこと、言われなくたって分かってる。最低限、オーバーワークにならないように気を付けてはいる。

　一方で涼宮は、心配していた通りの展開になった。俺が話しかけなくなったら、一気に涼宮はクラスで浮くようになった。ぎりぎり繋がっていた繋がりが切れてしまったような。だれかいないのか、一人ぐらいクラスにいてもおかしくないだろ、正義感にあふれたやつ。
　いや、いないか。

　そんなときだった、涼宮が英語の授業で当てられたのは。突然当てられたようで、焦っているのが手に取るようにわかる。なんだかんだいって授業はきちんと受けていた涼宮が上の空とは珍しい。

　助ける、べきだろうか。絶好の口実を得たとばかりに手を伸ばしそうになる感情に、なんとか蓋をする。だからせめて、俺のせいで上の空だったんなら、嬉しいと思うことは、許してほしい。
　不謹慎なことを思いながら、事の成り行きを見守る。黒板に訳を書くように言われた涼宮は動けないままでいた。彼女の場合、答えがわかっていても人前に出れないから答えられないとか、ありえそうだ。

「わからないなら、質問なり勉強なりすることだ」

―――ガッ

　教師の言葉を聞いた途端涼宮は立ち上がり、まっすぐに教卓まで進んだ。黒板でチョークをとると、迷いなく訳を書いていく。教科書だけを持って、どうやらその場で訳したようだった。

　すごい。英語、得意なのか。なんだか意外だ。

　それまで息をひそめるように生活していた転校生の意外な得意科目に、教室が静かになった。
　例文を書き終えて振り返った涼宮は、そこで初めて自分がクラス中から注目されていたことに気が付いたらしい。顔からサッと血の気が引き、あきらかに動揺しているのが見て取れた。
　席に戻る涼宮をついつい目で追ってしまう。なぜか肩身が狭そうに英語教師の横を通り抜けるのがまた、らしいというか、面白いというか。

　ただ、そこでまさか涼宮が俺に視線を向けるとは思わなかった。俺のことを気にするそぶりは見せていても、体育館で別れて以来、正面きって彼女が俺のことを見ることなんて、なかったのに。

　久しぶりに涼宮と目が合った。
　相変わらず、泣きそうな顔をしている。彼女がそんな顔をしているのは、俺が、涼宮のそういう表情が好きだから、無意識のうちにそういう表情に見えているのか。それともやっぱり、俺が表情を歪ませるような態度をとっているのか。我が身を振り返れば後者であることは明らかで、短く息を吐く。

　中々ひどいなあ、俺。
　思い返してみれば、なんだかんだと俺の誘いは彼女にフラれっぱなしだ。ああ、理由が欲しい。彼女を追いかけて、捕まえて、表情を歪ませて良い、ちゃんとした理由が。この感情以外の、理由が。

　俺の方を見て、中腰のまま固まっている涼宮から目線を外す。

　誰かが涼宮を支えてやって欲しいと思っている。だけど本当は涼宮のこと、あきらめたくない。他の誰かに取られるなんて、……論外だ。