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台風の影響だとかで涼宮の教科書はまだ届いていないらしい。というわけでよろしく、と言った担任の言葉が無くても、目の前で教科書が無くて困っている人がいたら見せる程度には人間として終わっているつもりはない。
机を寄せて、二つの机の境界線上に教科書を開く。
「今やってるのはこの単元のここ。予習で出てたのはこのあたりだから、今日はこっちまで進むと思う」
「……」
「日付に絡めて生徒にあてるタイプの先生だから、月と日を足していくつになるとか、かけたらいくつになるとかはチェックしといた方がいいかもな」
「……」
涼宮との会話が続かないどころか成り立たない。無口なつもりはないが、特別口数が多いわけでもない俺としては、これぐらいが限界だ。反応が無いわけでは無い。俺が話しかけるたびに、かすかに表情は動いている。基本、仏頂面ではあるけれども。
季節外れの転校生、涼宮千恵さん……か。
朝のホームルームでのあの態度から、けっして自分から動けるようなタイプには見えない。かといって、ある程度すでにグループができている今のうちのクラスで、積極的に彼女に話しかけるような人も少ないだろう。現に授業開始までの今の時間だって放っておかれている。
うちのクラス委員は誰かに積極的に構うタイプじゃないから、そこに期待するのは難しいたまろう。結局彼女が席についてから話しかけているのは俺だけだ。
それをわかっていたから、隣の席の俺に転校生の面倒をみるように担任も念押ししたのだろう。あの先生は、投げやりなように見えて、なんだかんだ生徒一人一人をちゃんと見ている。……個別対応をしないだけで。
困ったな。どうしようか。
指先でシャーペンを回しながらそれをぼんやりと眺める。思考を巡らす。授業開始までまだ時間はあるけれど、やはり積極的に涼宮に話しかけに来る生徒はいないようだから、やはり俺がクラスになじむきっかけを作るべきなんだろう。
それに、今朝見たあの表情を俺はまた見たい。
涼宮の方をもう一度見て、その表情に既視感を覚えた。困惑と怒りと恐れが入り混じったような表情。
これは、ずいぶんとまた馴染みのある表情だ。緊張から表情筋がこわばっているのだろうとは思っていたが、たぶん本当にそうなんだろう。
他人からの評価が気になって緊張しているんだろうし、今こういった表情を浮かべているってことは、きっと本質的には人と関わるのが嫌なタイプでは無いはずだ。
はず、だけど。あれ?
瞬きして彼女をもう一度見る。イーグルアイの視界で見る涼宮は背中をピシッとのばして、親の仇を睨むかのように教科書を睨んでいる。先ほどの困惑だのなんだのが入り混じった感じとはまた違う。全身から話しかけるな、とでもいうような雰囲気を感じる。
これはなかなか……迫力がある。
先ほどの表情は見間違いだったのだろうか。
とにもかくにも、リラックス! 涼宮リラックス……!
今話しかけたらキレられそうだから、伝わらないことは承知の上で、心のなかでエールを送った。
--- 先生の解説に合わせて教科書のページをめくる。授業の内容的には、前の学校とそこまで差が無いのだろう。涼宮は問題なくついていけているように見える。
あとはこの、近づいたら切るぞ! みたいな雰囲気がなんとかなればいいんだけどな……。隣の席で机をくっつけているものとしては、少しばかり居心地が悪い。
くわえて俺の方を見るとき、毎度めちゃくちゃ睨んでくる。やっぱり自己紹介のときのこと、彼女も思うことがあるらしい。
どうするのがいいだろうか。とりあえず、今の段階で彼女についてわかっていることを整理してみる。
いち、ダジャレに理解がある
に、とても恥ずかしがり屋
さん、すぐ表情にでる
よん、切り替え下手そう
笑いが込み上げてくる。先ほどの緊張した面持ちといい、なんとも馴染みのある属性ばかりだ。ずいぶんと前に反抗期だった姉とか、ついこの間まで反抗期真っただ中の妹とか。あとは……今年初めの金髪ヤンキーだった日向とか。
こうして考えてみると、俺の周りって案外面倒なヤツ多いなあ。
その面倒くささが自己表現の裏返しだと知っている身としては、世話を焼くのは嫌いではないけれど。そもそも気付きたくなくても気づいてしまうのだからしょうがない。
ただ日向や家族と違うのは、今までの信頼関係や事前情報が無いことだ。とりあえず、俺とだけでも緊張せずに話してくれるようになってもらわないとなー。
彼女が俺に興味がゼロではないことは、今もなおイーグルアイでとらえ続けている涼宮の挙動から明らかだ。
俺から話しかけてもけんもほろろな対応だった。なら、涼宮から動いてもらえるようにするしかないか。授業中にはあまり使いたくない手ではあったが、しょうがない。
涼宮相手に有効なことはわかっている。