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なんとか鬼のようなメニューを終わらせ、教室に向かう。メニュー量が増えたせいで、いつもより時間に余裕が無い。先生にばれない程度に走っては、早歩きして、を繰り返す。
予鈴ぎりぎりに教室に滑り込めば、呆れたような表情の日向が俺を迎えた。
「伊月、お前たまにすごくアホだよな」
「朝練の時間内に1.5倍メニューを終わらせた俺を労わってくれよ……」
「自業自得だろダアホ。つーか早く座れ」
色々思うところはあるが日向の言う通りである。エナメルバッグを下ろして、1限目の準備にかかった。
少しだけ、教室がいつもよりざわざわしている。というよりも、浮足立っている?
情報のハブのような加藤なら、なにか知っているかもしれない。前の席で机に突っ伏している背中に声をかけた。こいつも朝練で疲れているのか、やや緩慢な動きで振り返った加藤が息を吐く。
「おせーな伊月」
「部活だよ。それよりも今日なんかあるのか?」
「伊月の隣の席、今日から埋まるんだってさ。さっき担任が一回来て言ってたぜ。風紀委員のお前が面倒見ろだってさー」
「へえ。サンキュ」
さすが加藤、詳しい。それにしても自分がいない間に色々と話が進んでいたらしい。
俺の左隣は、先週の始業式の日に席替えをやって以来、空いている。窓際の最後列。生徒から人気の高いその席は、担任によってなぜか空席のまま確保されていたが、そうか。
椅子に後ろ向きに座り直して、加藤は俺の机に頬杖をついた。空の席を一瞥して、またため息を一つ。
「転校生が隣とか羨ましい伊月のくせに」
「なんだよそれ」
「女子だっていうじゃん? お前ダジャレ以外はイケメンだからさあ……! 俺が青春できないのはお前のせいだろ。あ゛あ゛!! 俺だってサッカー部レギュラーなのに!」
「加藤、一番大事なところが含まれてない」
「にしたって始業式の日からくればいいのになあ……」
「いや突っ込めよ」
加藤も最初の頃は俺のダジャレに突っ込んでくれていたのに、最近はスルーされることが多いのが悲しい。
それにしても。確かに加藤の言う通り、変な時期だ。転校生本人にとって大変なんじゃないのか、授業の進度とか。
そういうことでよろしく、と前を向いて座り直す加藤の背を何とはなしに見る。
面倒見てやれって何をすればいいんだか。
勉強か? それともとりあえずクラスになじめるように面倒を見ればいいのか?
首をかしげている間に、ホームルームの時間になったらしい。一人の生徒を連れて、担任が教室に入ってきた。
「今日からこのクラスに入る涼宮だ。仲良くなー。ほい涼宮、自己紹介」
黒板の前に立つ生徒を見て、瞬いた。瞼に今朝の彼女の表情がよみがえる。
「え……」
そうだ、彼女だ。朝俺のネタ帳を拾っていた女子生徒だ。表情は穏やかとはほど遠いが、間違いない。
そうか、転校生だったから、見覚えのない顔だったのか。
……おは朝はてんびん座の運勢は最悪とか言っていた。占いなんて信じていないが、悪いどころか最高の間違いなんじゃないのか。探していた人物に、こうも早く再会できるとは。
探し人の表情を一つでも見落としたくなくて、じっと見つめる。対面だとぶしつけだろうが、今の転校生とクラスメイトという距離感では問題ないだろう。
しばらく見つめ続けても、この転校生、一向に口を開こうとしない。あまりフォローをするタイプではないうちのクラスの担任の話の投げ方は確かに雑だったけれども。
あれ、もしかして。
きゅっと固く結ばれた口元と眉に、朝校舎を睨んでいたときの表情を思い出す。彼女は緊張しているのかもしれない。ただでさえ、誠凛として受け入れる初めての転校生。クラス全体が浮足立っている。
こういう人目が集中する場所に立つのが苦手なのかもしれない。
じっと彼女を見ていたら、何の前触れもなく視線が絡んだ。今にも泣きそうな顔をしているように見えるものだから、少しでも安心するように、リラックスできるように、と口の端をあげる。
少しだけ表情は柔らかくなったけれども、依然として事態はなにも進展していないらしい。
口を開いては閉めて、を繰り返す彼女と、彼女をせっつく担任。どうやら彼女は涼宮というらしい。
今朝、俺のネタ帳を見た後の緊張が抜けた彼女の表情を思い出す。
ここはひとつ、俺が彼女のためにひと肌脱ぐべきタイミングなのかもしれない。こういうときのためにネタ帳にネタを書き留めてあったんだが……。
さすがにロッカーに置いてある今までのネタ帳をホームルーム中にとりに行くわけにもいかず、何かネタは無いかと考えをめぐらす
担任の様子からして、彼ももうあまり待てないのだろう。何か、ないか。季節ものか、時事ネタか、何かこの場に関係のあるもの。
「はっ! 転校生が点呼遅え……キタコレ!」
なかなかの会心の出来! あまりの出来に、クラス全体が静まり返っているようだった。
これで涼宮が少しでもリラックスして自己紹介できるといい。
期待と緊張の入り混じった思いで涼宮を見る。当人は雷が落ちたように固まっていた。
ネタ帳の持ち主が俺だとわかったのだろうか。
少し浮わつく気持ちはしかし、そこから上昇することはなかった。なんだか、涼宮はより一層硬い表情をしている気がする。
努めて冷静な気持ちになってみれば明白だった。
恐怖と戸惑いが混じった目で、俺を見つめていた。波のように罪悪感が押しよせて初めて、タイミングを間違えたことに気がついた。
もしかして、意を決した涼宮を遮ってしまったのか。
ぶっと噴き出す声が聞こえた。前の席の加藤だ。肩を震わせて笑っている。
「さすが伊月、ぶれねーな!」
「おまっ本当に! 時と! 場所を! 考えろっ!」
俺と、加藤と、そして俺にツッコミをいれた日向の三人を注意し、担任は再度涼宮に自己紹介を促した。
しばらくの沈黙ののち、蚊の鳴くような声で名前だけ告げた彼女は、もう俺の方を見ていなかった。