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教室の反対側にいる伊月君が、遠い。夕飯に来いよという清志君を見送って、クラスメイトにただの幼馴染だと言い訳をしながら、ぼんやりと秀徳にいたときみたいだと思った。
--- 黒髪の女の子二人に手を引かれるようにして現れた伊月君は、私の知らない笑い方をしていた。とても穏やかな笑い方。だけど、私と目が合った瞬間に少しだけ表情を曇らせた。
一人は大学生ぐらい、もう一人は中学生くらい。幼さの残る子の方が、伊月君の袖をひっぱり、「お兄ちゃん」と呼んだ。部活で上と下に、それぞれ年の近い姉妹がいると聞いた気がする。姉妹だったんだ。
伊月君はこれからクラスでシフトがあるわけじゃない。たぶん、自分のクラスの出し物を見せに来ただけなんだろう。
彼女ら二人を写真スポットのパネルに押し込んだ伊月君が、再び私を振り返った。なんだか、今日はやたらと目が合う。そして、表情を暗くした。
なんで私と目が合うたびに、伊月君は眉根を寄せるんだろう。怒っているのは、傷ついたのは、私の方のはずなのに。まるで私が彼を傷つけているような表情をする。
近づく伊月君が視界から消えたのはその時だった。と同時に、ぐい、と肩を強い力でつかまれた。
「涼宮さん、これに着替えて外回り行ってきてくれる?」
「かんざき、さん」
「なによ。だって涼宮さんこれからシフトでしょ? それに」
ちらりと神崎さんが伊月君に視線を向けて、再び私を見た。
「伊月が現れてから、あんた、ここじゃ接客なんてできないぐらい酷い顔してるけど」
「うっ、うん、」
それが、彼女からの気遣いだったのかどうかなんてわからない。よしんばそうだとして、あれだけ、今まで私に鋭い視線を向けていた神崎さんが私に気を使うなんて理由がわからない。だけど……。
衣装を受け取って控室に急いだ。
--- 普段なら恥ずかしいぐらいなのに、コスプレチックな衣装を着ていることも、動物の耳をつけていることもなぜだか気にならなかった。代わりに頭にあるのは伊月君のことばかりで、気づけばシフトの時間が終わっていた。
はたして私がこうやって集客をしていて、意味があったの、かな。
渡された段ボール製の看板は、いつの間にか角が折れていた。
文化祭初日終了のアナウンスを聞きながらゆっくりと教室に戻る。いったんクラスにこの服やら看板やらを置きにいって、明日の準備しなきゃ。
控室で制服に着替えてからクラスのドアを開ければ一気に視線が集まったのを感じた。
なんで?!
ドアのところで固まったまま動けないでいる私と、ひそひそ何かを話している声。いたたまれなくなって、衣装と看板だけ他の衣装が置いてある場所に置く。誰も、何も私に言わない。すごく、居心地が悪い。
なんで、こんなことに。
こういうとき、誠凛でいつも助けてくれるのは伊月君だった。秀徳では、……清志君だった。
どうしたら。自分で何かしないといけないのに。まだ、明日の用意が何かあるかもしれない。けど、事前の打ち合わせでは津田さん、なにも言ってなかったし。文化祭実行委員の津田さん、いないし。帰って、いいかな。
自分のスクールバックを掴み、教室を出ようとしたところで、「涼宮さん!」と神崎さんの鋭い声が届いた。ひゅっと息が漏れた。やだ、こわい。
「かん、ざき、さん」
「ちょっと、私がいじめてるみたいな表情しないでくれる」
「それはお前が言い方きついからじゃね?」
「加藤は黙ってよね」
きっ、と神崎さんに睨まれて加藤君はへいへいと両手を上げて降参のポーズをとった。はあ、と短く息を吐く神崎さんが何を言うのか、怖い。
私、今度はなにを失敗した? なにをやらかしちゃった……?
「あんたのパネルのお陰で、クラス別の売り上げ一番だって」
「え……?」
「”涼宮さんサンキュー天才! 見抜いた私もすごいよね?!”だって。津田からの伝言」
「えっと、」
「だから! あんたが描いたパネルでチェキ撮りたいってお客さんがたくさんいて、焼き肉の予算もなんとかなりそうだから、そんな泣きそうな顔すんなってこと!」
神崎さんはふん、と鼻を鳴らすと、「伝えたからね、」と言った。意味が分からないでいると、加藤君が「あと2万!」と叫んだ。それに続いて他のクラスメイトも焼き肉! と叫んでいる。神崎さんが「じゃ、明日あと2万稼げるように、今日は各自帰って明日に備えること、解散!」と手をたたいた。女子何人かが教室を出ていく。
よく、わからない。
つまり、何かを責められたわけじゃなくて、褒められたってこと……?
私でも、役に立てたの……?
まさかそんなはずがない、という気持ちとうれしいという気持ちでいっぱいになる。
通知を知らせるスマホを見れば、カントクさんからの業務連絡だった。最後のシフトの人たちが明日の用意をしたから、今晩はもう何もすることがないので部室に寄らず解散してよいとのこと。代わりに明日朝シフトが入っている人は、しっかり準備してね。そんなところだ。
「ほら、解散! 明日もあるから今日はみんなゆっくり休むこと!」
パン、と手を叩いた神崎さんの号令を皮切りに、教室に残っている人たちが帰り始めた。私もその列にならって、昇降口に向かう。クラスメイトと昇降口に向かうなんて、気まずさしかないと思っていたのに、私の描いたパネルを話題のきっかけとして声をかけてもらって、沈黙を気にすることなく昇降口についた。
「じゃあね、涼宮さん。また明日!」
「うん、……また明日」
ぱらぱらと帰っていくクラスメイトを見送りながら、スマホを開く。靴を履き替える前に、これから向かいますって、清志君にメッセージを送らないと。
宮地家でご飯……まだ色々気まずい、けど。
「涼宮」