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 誰もいない公園で静かに口を開いた伊月君がまず口にしたのは、だじゃれのことだった。

「うちではさ、母さんも姉さんも、皆だじゃれを言うんだよ。毎日の生活のなかからヒントを得て、会話の中にどうやって織り込むか、そういうことをさ、小さい頃からずっとやってきた。今思えば、だじゃれがなかったらとっくに家族との会話はなくなっていたかもしれない」
「……うん」
「だから正直、最初はなんで皆こんなに興味を持ってくれないか不思議でしょうがなかったよ。趣味嗜好は人それぞれだと思うから、別にいいんだけど。でも、否定することも、無いだろ? だってこれは、俺の人生のなかで無くてはならないものだから」

 ゆるりと目を細めた伊月君は過去に思いを馳せているのだろうか。蛍光灯の光が写り込んだ瞳は、どこか遠くを見ているようだった。

「バスケを小2で始めて、今まで殆どさわらない日はないってぐらい、ずっとやって来た。だけど俺は自分でも呆れるぐらい不器用でさ……、これだけやっても、やっぱり敵わない奴は山のようにいて、勝てない試合もたくさんあった。俺にもっとセンスがあればと思うことは、今でもしょっちゅうある」

 ぎゅっと繋がれた手に力が込められた。いつの間にか彼の親指は私の手の甲を撫でることを止めていた。
 そうして、どこかにやっていた視線を私に向けた。屋上でお昼を一緒に食べていたときよりも近い距離に座っている伊月君とは、彼がこちらを向くために体をねじれば肩も触れあうほど、近い。

「俺は、俺が良いって思うものを他人にも伝えたいんだよ。エゴなのはわかってるけど……だからだじゃれはさ、何て言うのかな。俺の一番近くにいる人にはね、許容してほしいんだ。欲を言えば、俺のだじゃれで笑ってほしい。俺の一言一言に一喜一憂してほしいんだよ……この先も、ずっと」

 繋がれたままの左手を彼は口許に寄せた。柔らかい何かが指先に触れて、それが伊月君の唇だと気づくのに時間はかからなかった。
 あげそうになった悲鳴をなんとか喉の奥に仕舞い込んでも、その行動をどう受け止めればいいのかはわからない。とっさに引こうとした手は、思いの外強く握られていた伊月君の手に阻まれて、未だ彼の口許にある。
 彼の呼吸に合わせて吐息が指先を撫でていく感覚がやけに鮮明で、これが夢ではないことを教えてくれていた。

「バスケは……というか、中学からカントクと日向と一緒にバスケをやってきたけど、全然勝てなかった。あれで日向、一回バスケやめててさ。だからこそ今、全力でバスケをしたいし、いつ木吉が戻ってきてもいいように勝てるチームでありたい。良くも悪くも俺はチームの司令塔だから……常に冷静でないといけないし、その責任もある。まあ、俺がボールに触れていたくて、勝ちたくて……たぶん、今全力でやらなかったら、きっと後悔するって、分かってるからなんだけど」

 いつになく真剣な表情でそう私に告げる伊月君に、なんて返すべきなのかわからなかった。
 彼と過去を共有できていないし、逃げてばかりの私には、彼にとってのだじゃれやバスケのように何かに真剣に取り組んだという記憶すらないから、その想いも汲み取れない。

 蛍光灯の光を受け、瞬くように見える伊月君の瞳に耐えきれなくなって、自然とこぼれ落ちたのは謝罪だった。

「ごめんね」
「……なんで謝るの? 涼宮さんのそれは、なんに対して?」
「伊月君のことを、私は……わからないから。そうやって話してくれても、私じゃっひゃ?!」

 言葉を発する度にだんだんとうつむいて、いまではもう伊月君がどんな表情をしているのか見えなかった。首筋に手が当てられたのはその時で、予想外のことに今後こそ悲鳴が漏れてしまう。
 その手は耳の下を撫でるようにすべり、顎をつかみ、上を向かそうとする……伊月君の手。

「ねえ、だから聞いてほしくて、知ってほしいんだよ。誰よりも涼宮さんに、俺のこと」
「……わたし、に?」
「そう、涼宮さんだけに」
「どうして伊月君は……、わからないよ。だって、私に話したって、」
「本当に、わからない?」

 知っているだろう、分かっているだろう、とでもいうような口ぶりだった。
 顔を背けたいのに、顎に添えられた伊月君の手がそれを許してくれなくて、せめて視線だけでもとそらしたいのに、「俺を見て」という言葉に離したばかりの視線を戻す。
 伊月君の瞳はかすかすに揺れているものの、いつになく鋭くて、熱を帯びているようだった。目が合えばいつだって反らせなくて、頷いてしまう彼の鈍色が私を見ている。

 人の気持ちを知るのは怖い。いつも、何が出てくるかわからないから。
 伊月君の言葉の意味がわからないけど、どうしたって、知りたくない。だって真実は、いつも優しくないから。

「いやっ聞きたくない」
「……今すぐあのキヨシクンとの関係を問いただしたいし、全部放り出して俺が涼宮さんに会うまでの時間を何としてでも埋めたいんだよ……かっこ悪いのはわかってるけどさ、必死なんだ、俺も」
「やめてよ……清志君は、ただの幼馴染みで」
「……まったく……俺を煽る天才だね、涼宮さんは」


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