「それじゃあ一番上にあるの見てみ」


そうホワイトボードの前に立つ男性、渡邊さんが言うと、先ほど私が用意した書類に視線を移す今年の新入社員3名。渡邊さんは同じ書類を手に持ちながら、新入社員たちに説明を始めていく。3年前私が入社した時も渡邊さんが説明してくれていたのを思うと、やはり慣れているのだろう。スムーズに順序良く話を進めていく姿を横目に、私は新入社員3人を眺める。先ほど渡邊さんが呼んでいた名前によると右から鳳くん、白石くん、切原くんだ。この3人がこれから新人研修を始めていくのである。


この会社は1部署3班ずつからなり、3人とも我が部署に配属される事が決定した。即ち研修後1班1名ずつ配属されるのだが、その班のリーダーの1人が今目の前で説明をしている渡邊オサムさんなのである。彼はリーダーでありながら部長代理も兼任しており、忙しい部長に代わってこうして新人へと会社説明をしているのである。ちなみに私は渡邊さんの班の1人であり、3年目という事もあり他部署へ異動してしまった先輩の代わりとして、補佐という大それたお役目を頂いたのである。まぁ、ほとんど雑用なのだが…。


「そんなわけでまだ誰がどこの班に配属かは分からへんけど、後で部長とリーダー、リーダー補佐には紹介したるからしっかり覚えや」


その言葉に元気よく返事を返す3人。スーツもビシッとしており、皺なんて一つもない。3人とも表情はそれぞれ違えど、やる気に満ち溢れているのが分かる。しかしその表情はいつまで続く事やら。なんせ毎年新入社員は1〜3人ほど採っているのだが、私の年だけ私を含め5人もの人間が入って来た。しかし3年目にして残っているのは私と、今年に入って沖縄支部に異動してしまった彼の2人だけ。大体は5月で疲れを見せ始め、6月の本社、支部勤務で精根尽きているのだ。だがそれを乗り越えれば立派な我が社の社員だ。是非とも異動してしまった同期により、忙しくなった渡邊班を助けてほしい。そう想いを込めて渡邊さんの話に聞き入っている3人へとエールを送った。




このビルに入っている他の部署の説明、そして自分たちが配属される事になった部署の説明、1日の流れなど、会社に入ったのなら必要になる知識を一気に詰め込んでいく。他にも班が決まっていない新人のための共有スペースと各階の共有スペース、仕事以外でも必要になるであろうこのビルの中の説明も忘れない。それを見ながら要点や捕捉を付け加えてホワイトボードへと記入していく事も補佐の仕事だ。流石に新入社員への説明時の補佐は初めてだが、自分の班に配属された新入社員に軽い指導をしたことはある。勿論3年目という事でまだまだ覚える事はあるし失敗だってする事もあるが、こうして新人が入って来るのは嬉しいものだ。班に配属される事になるまで辛い事はあるだろうが、それを乗り切って成長した姿を見せて欲しい。それまで自分もしっかり自分の仕事をこなして、補佐としても頑張らなくては。


「んで、この別嬪さんが新人の教育係、樋野友里サンや」


とりあえず説明が終わったら昨日の分を印刷して…………


「!?」


私は渡邊さんの声でありえない言葉が聞こえた気がして、勢いよく振り返った。誰が別嬪ですか、誰が! しかし渡邊さんはそんな私にはまったく気づいていないのだろうか、後で自己紹介してもらえ、と次の話に移ろうとする。新人3人は振り返った私へと軽くお辞儀をした後、また書類へと視線を落としてしまった。いやいやいや、待ってくれ! 説明を、まず説明をお願いします、渡邊さん! 新人の教育係? 私が? 私が新人の教育係? 聞いてないんですけど。まったく聞いてないんですけど。教育係という事は、4月、5月と2ヵ月間の研修期間を受け持つという事だ。それを私が担当すると? 何故そうなった、何故当人の私が知らない……。そんなもっともな事を考えながらも表情には出さない。伊達に面倒くさ、やっかいな得意先を相手にしていない。笑顔を取り繕うなんて朝飯前だ。それでも混乱した頭の中までも大人しくさせる事は出来ない。


「それじゃあ俺からの話は以上。後は教育係の樋野サンから自己紹介と細かい研修内容を説明してもらい」


そう言って渡邊さんは手元の書類をまとめた。それに倣い3人も同じように書類をまとめた後、立ち上がり渡邊さんへと礼をした。目の前にあるホワイトボードは一面が埋まっている。どうやら混乱した頭でも手はしっかりと動いていたらしい。ちょっとだけ自分で自分を尊敬した。私は手にしていたペンの蓋を閉め、誰にも聞こえないぐらいに小さく溜息をついた。すると次の瞬間、肩に重みが加わる。振り向くと同時にこの3年で嗅ぎ慣れた煙草のにおいがした。渡邊さんだ。きっと朝礼前にも何本も吸ったのだろう。それじゃなくてもスーツに染みついているのだ。そんなことを考えながら見上げると、渡邊さんの顔は笑顔。もしかして先ほどの事を説明してくれるのだろうか。


「ま、そういう事やから。頑張ってや」


全然説明になっていません渡邊さん。そう思いながらも素敵な笑顔で、尊敬する上司に応援されてしまっては嫌な顔も出来なくなってしまう。沖縄支部に異動してしまった我が同期が今の現状を知ったらなんと言うかしら? 私は微妙な顔で渡邊さんを見送り、新人3人へと向き直った。




2014/08/01 莉壱


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