徐に口元に指を当てた名前がピーーーと指笛を吹く。だが、何も起きない。イズク達が疑問に思う中、名前は特に何もせず、横にいる巨大ガラスの嘴を撫でていた。
「よしよし」
「その子名前は?」
「カラス」
「まんま」
目を細め、ぐるぐると鳴くカラス。撫でられている様子は確かに可愛い。が…。
「ギャー!!!」
視線に気付いた途端、こちらを向いた途端に血走った目で嘴を開け、牙の並んだ腹部にある口を剥き出しに威嚇する。
「コワッ」
やはり飼い慣らされていても魔獣は魔獣。その様は本能的な恐怖を感じさせた。
「食べちゃダメだよー、私のオトモダチだからね」
名前がカラスの頭をよしよし、と撫で、そして手ずから果物をやる。瞬間、強烈な風が室内に入り込んだ。
「わ!」
イズクは目を瞑る間際、一瞬人影を見た。風が止み、目を開ければ名前の椅子の後ろに羽のある男が立っている。
「あれ…見たことあるような…」
「あっ、領主ホークスじゃない?」
「どーしました名前ちゃん?あ”っ!!またソイツにかまっとる!!俺にもヨシヨシしてくださいよ!」
「ギャー!!!ギャー!!!」
その姿には見覚えがあった。異例の速さで出世し、国王から領主に任命されたホークスだ。軽薄そうな態度とは裏腹に誠実で、親切、それでいて有能と民から大人気の素晴らしい領主だが、目の前で盗賊のペットのカラスとどつき合いをしている様子からはまるっきりそうは見えない。
「依頼人、このコだったでしょ?」
「ん?んんん?あっ!確かに!マントしとったから顔見えんかったけど声とかおんなじ!」
「猫背に見えたのは翼だったのか」
魔族か、ハーピーとの合いの子か、そんな噂もあって任命当初は領地で反乱が起こりかけたらしいが、今ではすっかり皆に受け入れられている彼。だが、そんな出来る男は見る影もない。
「そういえばキミたちに頼みましたね。どうです?捕まえられそう?」
「見たまんまですね」
イズク達よりも高い場所にある椅子に座り、優雅にもフルーツを食べている名前はどう見ても不自由を感じていない。
「子供好きだからいけると思ったんだけどなァ。ま、キミの暇つぶしにはなったみたいで良かったです」
ホークスはイズク達の事情を特に気にする様子も無くそう言った。それにイラッとするカツキ。
「ここまで来させたんだから謝った方がいいよ」
よくぞ言ってくれた!イズク達は名前にそう思った。
「もちろん。後で報酬はしっかり渡しますよ。完遂してなくてもね。でもその前に…」
「ああ”?」
ホークスの嫌味を混ぜた言い方がカツキの間に触る。だが、そんな事は一切気にならないらしいホークスは座席の後ろから名前の斜め前に移動するとそこで片膝をついた。すると、慣れたように名前が片手を差し出す。ホークスはその手を軽く取ると、手の甲にキスを落とした。
敬意や、敬愛を表すそれは、高貴な女性にするもので、ここら一帯を支配しているとはいえ、公的にはなんの権力もない、それどころか犯罪歴まである一盗賊に、ましてや領主自らがすることでは断じて無い。だがホークスは目を細め、心底大事な人に向けるような顔でそれをした。
女の子が一度は夢に見るような光景が現実に現れ、キャーキャーと声を上げる女性陣。使用人や秘書はもちろん、オチャコやツユ、キョーカまでもが照れた顔でそれを見ていた。
「そろそろ俺のとこ来る気になった?」
「んーん、まだかなぁ」
「キミに全部あげる準備はできてるよ。領地も食べ物も、宝石も、服だって」
誰もが憧れる口説き文句。しかもそれはホークスの本心で、虚勢でも夢物語でもない。必ず叶えられるという、何よりも現実味のある言葉。だが、名前にとってそれは魅力的ではなかった。
「うれしいヨ。でも今は要らない」
「持ってるから?」
「私が?ふふっ、変なの。どれも私は持ってないよ」
イズクは持ってるじゃないかと思った。広い街、土地、煌びやかな宝石も、城も、沢山の食べ物も。全て持っているのに。
「今あるのはこの手枷ぐらいかな」
そう思っていると、名前はどこからか細い鉄の棒を取り出し、鍵穴にそれを差し込んだ。そしてカチャカチャと動かす。
「まァ、これは外したくても外せない訳だけど」
「俺としては外れないで欲しいんですけどね」
「ねぇ、誰かこれ開けられる?鍵開けは得意なんだけど…これ中で壊れてて外れないんだよね」
イズク達に尋ねるが、誰もそんなスキルは持っていない。名前がハァ、と落ち込んだ様子を見せると、カラスが「キュウ…」と鳴き、嘴で慰めるように手に擦り寄った。
「いい子だね、お前は」と名前が撫で、一つキスをする。するとカラスは名前に見えないように顔だけホークスの方を向き、ニンマリと目元を弓形にしならせながらホークスがキスした場所を翼で勢いよく擦り始めた。
「ちょ、名前ちゃん見て!!顔!!顔!!」
「戯れてるの?くすぐったい」
「カァ」と鳴いたカラスは対の羽を広げ、ホークスを名前から見えないようにすると跪いたままのホークス頭をゲジゲジと脚で押し始めた。
主人を落ち込ませる元凶を許してはおけないという使命感からである。ただし食べると怒られるのでそれは我慢するが。にしてもなんだコイツは。カラスは目の前の羽の生えた人間が必要以上に飼い主に寄り付くのを良しとはしていない。とうとうカラスはホークスの頭を突き始めた。
「イタッ!ちょ、本気やろそれ!アタタッ」
「ガァァアア!!」
ホークスも応戦する。ゴロゴロと辺りを転がりながら喧嘩し合う1人と一匹を見つめて名前は一言、「仲良くなったみたいで良かった」と笑った。
「(絶対違う…というか)」
「「「「(どうすんだこれ…!)」」」」
困った様子のイズク達をよそに、喧嘩は激しくなる。だが、カラスがホークスの髪を引っ張ったところで事態が急転した。もつれ合ううちに転げた先が長テーブルの端だったのである。
シーソーのように持ち上がった机はまず初めにイズクの顎下を強打し、それにより斜めになった机がオチャコのスカートを捲った。そして、それに驚いたオチャコが咄嗟に魔法を発動させ、生成した岩をテンヤの方へと発射された。
「な、なにぃ!!」
大慌てで剣を抜こうとするテンヤ。だが、運悪く同じく岩を止めようとしたツユの舌が鞘に当たり、剣が斜めになった事で跳ね返った岩は不機嫌なカツキの頭に当たった。ブチギレるカツキが立ち上がるが、そのタイミングが悪かった。取ってやろうと善意で手を伸ばしたショートの手が岩に少し当たり、転げ落ちたそれが隣のエイジロウの足の上に落ちたのである。
「イッテェエエエエ!!!」
エイジロウはドラゴンとのハーフである。あまりの衝撃にドラゴンへと変身してしまったエイジロウの口から炎が飛び出す。その炎がまさまさかの一部始終を見て、椅子の上で転げ回って笑っていた名前の方へと向かっていった。
「危ない!」
「ん?あらら」
呑気な声を最後に名前の姿が炎に消えた。
「ゲホッ。ヤ、ヤバい…」
黒い煙が上がって、椅子が見えなくなる。カラスとホークスは慌てて翼を動かした。風が起こり、少しずつ煙が晴れる。
「ケホッ、びっくりした」
ケロッとした様子の名前がさっきと変わらない姿勢でそこに座っていた。所々焦げてはいるが、怪我はしていなさそうだ。ホークスが駆け寄り、平謝りしながら上等な服で炭を拭っていく。
「ワーッ!ほんとスイマセン。怪我しとらん?服もすぐプレゼントするけん!」
「平気。ドレスはヤ」
「任せとって」
瞬間、ガシャンッと音がして、手枷が地面に落ちる。中で詰まっていた鉄が熱で柔らかくなり、運良く刺さっていた鉄の棒があったことで空いたらしかった。
「あ、あの…ホ、ホントすんませーーん!!燃やしちまって!女の子だし!!俺が責任取って!!そ、その!嫁になりますか!??」
焦りで目を回しながらエイジロウが駆け寄り、土下座する。もはや自分が何を言ってるかも分かっていない。だが、そのセリフに驚いたのは名前よりもホークスであった。
「取らんでいいけん!それ狙っとるのは俺やけん!」
「んなモン狙っとんな!正々堂々しろや!」
焦ったホークスがまた同じように口走り、カツキがキレたその時、明るい笑い声が上がった。
「ふっ、ふふ!アッハハ!よ、嫁って…!それにあんな偶然、ふっ、燃やされたのも初めてっ、ハハッ」
名前だった。燃やされたにも関わらず笑い飛ばす姿は豪快で、流石一国の長というところだ。しばらく笑い、そして落ち着くためにふーっと一息吐いて、椅子から降りてくる。
すると「オニだから平気。気にしなくていい」と言って、エイジロウの頭をポンポンと軽く叩くように撫でた。そのまま長テーブルの前まで行った名前は何を思ったのかぐっとそれを前に押した。机が弾き飛ばされ、その端が窓の下へと当たる。名前はぴょんっと机に飛び乗ると、窓に向かってガシャンッ、ガチャンとなんて事ないように平然と机上の食器を踏みつけながら歩いた。
「キミたちの目的はなんだっけ?」
「魔王を倒す事です」
「また大っきな目標だね。でも…面白そう。私も行くよ」
ワタシモイクヨ。私もイクヨ…。
「「「ええっ!!私も行くよ!!!?」」」
イズク達とホークスが叫んだ。
「うん」
「エエッ!それは凄い頼もしいけど…その、領地の人たちは?」
「言ったでしょ。私に領地は無い」
「でもそんなの…」
無責任じゃ無いか、とは言っていいのかは分からなかった。確かに彼女は領主では無いからだ。ただナワバリにしてるだけの一介の悪党。でも、そんな彼女を住んでいる人たちは頼っていて、愛していて。それを名前が望んでいないとしても、彼らは彼女を必要としている。
「もしかして、私がいないと彼らは生きられないとでも思ってる?魔獣にやられるかもしれないから?魔族がいるから?私を好きだから?」
そんな思考を彼女は見抜いた。
「彼らはそんなに弱くない。私はただこの城に昔から住んでいるだけの一匹の鬼で、彼らは長年、その鬼と共存してきた強い人達なんだよ」
「見てなさい」
名前はそう言うと窓を開けた。そして一度「すー」と息を吸い込むと大声で民を呼んだ。
『ンンッ、注目!!』
「なんだなんだ」
「またなんか思い付いたのか?」
わらわらと集まった住民達が上を見上げる。
『今日から私はしばらく留守にする!!』
「どこ遊びに行くんですかー!」
『ちょっと魔王退治に。私の皆、良い子にしてるように』
ちょっとそこまで、というような軽い口調。住民達はすぐに笑顔を浮かべ、ぶんぶんと手を振った。
「了解でーす!!オラァ!!カラクリの準備じゃ!!」
人々が動き出し、呆気に取られるほどの迅速な動きで壁の上に大砲が所狭しと並び出す。彼らは自衛の術を持っていた。それが終わればまるで近所に遊びにでも行くような気楽さで「行ってらっしゃーい!」と至る所から返事がくる。
「ね?強いでしょ?」
「やっぱり…いい街だね」
「そりゃね。だって私の“国”だもん」
ここの人たちは彼女を敬愛している。だから、その道を止めない。そして彼女は彼らを信じている。だから、彼らは彼女を愛す。それがココのルールの本質なんだ。彼女は彼らを足元の小石だなんて思っていない。イズクはそう思った。
「あーあ、だからつけときたかったのに。キミってばすぐにどっかいっちゃうから」
ホークスが名前に手を伸ばした。
「この方が楽しいでしょ。私のこと、ずっと追いかけていてね。鷹使いさん」
「もちろん」
ふふっと笑ってその手を支えに降りてくる。
「さ、出発しよっか」
魔王封印までの道は少し外れたものの、予期せぬもう1人のメンバーを仲間に加えることができた勇者イズク。まだまだ先は長いが、魔王を倒す日に確実に近づいている。
「でもお金がまた…!」
「一日5食だもんな」
「定期便使う?食料と金貨を定期的にココから送ってもらえばいいよ」
「出た!!システム拡張ポイント!」
「ただし、旅が終われば見返りはもらうけどね。あと肖像権も。ヒーロー饅頭作らせてもらうヨ」
聞き間違えたか。イズクは「ん??」と首を傾げたが、なんにせよ心強い仲間兼強力なパトロンを得た。イズク達は、来た時よりも大きな心強さと安心感を抱きながら打倒魔王に向けてまた歩き出した。
あとがき
昔、会ったことがあるとか軽率に捕まった時に惚れられたとかそんなの。黒いやつを着けるのはホークスが嫌だったとかそういう理由。
prev next
back