「ふん」


 ある日の昼ごろ。どこか気の抜けた力み声の後、共有スペースの真ん中へ轟が転がり込んだ。いや、正確には投げ込まれた。その緩い声とは裏腹に勢いよく床上を滑り、机やソファを押し除け、うずくまる轟。


「ぐっ」


「轟くんっ!?」


「しばらく話しかけてこないで。破ったら鼻へし折るから」


 驚くクラスメイト達を置き去りに、共有スペースへと投げ込まれる脅しの言葉。背負い投げの姿勢を解いた名前はそう吐き捨てると鋭く、冷たい目で轟を見下ろした。彼女から発せられる肌を刺ような威圧感が場を制す。誰も話すことは許されない。居合わせた生徒達は、口を挟むこともできず、幾らか下がった部屋の温度に肩を震わせるしかない。


「名前、」


「…」


 背中を向け、エレベーターへと向かう名前。轟はズキと不思議と痛む胸を抑えながら体を起こした。


「名前さん!?どうされましたの!」


 名前が離れた途端、圧が消える。ハッとした八百万は何度か気遣うように轟と名前の間で視線を動かし、そして名前の後を駆け足で追った。


「コ、コエーー。名前なんであんな怒ってんの」


「轟くん、怪我はない?」


「ああ、悪りぃ」


 轟に腕を貸す緑谷と切島。名前のそばに居た上鳴の額には何故だか汗が滲んでいた。


「おれ、無事?」


「ブジブジ。安心しろって」


 肩をトンと叩き、アホヅラの上鳴を慰めた切島は次に気遣うように轟の顔を覗き込んだ。


「大丈夫かー?轟」


「止めに入れる感じじゃなかったわ…悪りぃ」


「あいつ威圧感あるしなー」


 戦闘訓練で相対する度に生徒達はそう思っていた。ただでさえ、本人にその気がなくとも感じるのだ。怒ったりすれば更にだろうとは簡単に想像がつく。だが基本的に興味の無いことへの関心が薄く、いつでも冷静、マイペースな名前は比較的温厚に分類される性格だ。戦闘でテンションが上がることはあっても怒ることは滅多にない。というか見たことがない。その上、轟と名前は仲がいい。どちらもあまり怒るタイプではないし、轟は怒らせるタイプでもない。だから疑問だった。


「名前さんが怒ってるとこ初めて見た…」


「でも暴力はいかがなものか。話し合いで解決できるならその方がいい」


「今は無理だろー。マジで轟の鼻へし折られるぞ」


 飯田と上鳴の会話の横で轟は「俺が悪りぃんだ」と言った。


「何があったの?」


「あいつが…大事にしてたものを俺が…」


 壊したのか、失くしたのか。俯く轟に周囲まで神妙な顔をする。大事なものは人によって違うし、価値も人それぞれ。事と次第によっては亀裂を修復するのは難しい。A組の実力トップ組が敵対…!クラスメイト達はごくりと唾を飲んだ。


「俺が…?」


「食っちまったんだ」


 クッチマッタンダ。食っちまったんだ???


「食っちまったんだ…」


 固まる生徒達。


「「「「(いや、聞こえてますけど)」」」」


「えっと…」


「ちなみに何を?」


「プリン」


「プリン…」


 一瞬の沈黙後、爆豪が吠えた。


「っしょーもねぇぇ!!!とっとと謝れや!!!」


「謝ったんだがすげぇ楽しみにしてたらしくて許してくれねぇ」


 そんな事か?と一瞬頭をよぎったが、轟の言葉を聞いて、ああ、それは怒られるかも。と生徒たちは納得した。

 なぜなら名前はその見た目によらず大食漢であり、舌が甘い。大抵の物は美味いか、ちょっと美味いか、すごく美味いかに分けられる馬鹿舌である。だが食に対する熱意はなかなかのもので、新メニューの考案兼味見と称し、ランチラッシュに元へ連日通うこともあれば、食を求めて遠征までする。寝坊して食事を抜く?あり得ない。なら遅刻する。

 戦闘本能と食欲のステータスが他より多めに振り当てられているような名前がもの凄く楽しみにしていたプリン。


「「「(ああ…これは長くなるぞ)」」」


 生徒達は全員、そう思った。


「…それは、許してもらえるのに時間かかるかもね」


 緑谷は「うーん」と肩を落とした。


「名前も書いてたんだが、食べて良いって言われた方と間違った」


「名前まで…。そりゃ相当楽しみにしてたな」


 普段の名前ならば勝手に食えば、とでも言うだろうが、名前まで書くほどのプリンだ。相当楽しみだったに違いない。


「しばらくは話しかけない方がいいかもね」


「ああ」


 翌日、轟の様子を見て、緑谷はかける言葉を間違えたと思った。


「……」


「……」


 出席番号的に二人は前後の席である。だが、今日ほどそれが裏目に出たことはない。

 机に突っ伏して目を瞑っている名前の前で声を出さずにそわそわとしている轟。たまにちらちらと後ろに目線を向け、名前が顔を上げないことで無表情ながらもその雰囲気が落ち込む。

 人一倍視線や動きに敏感な名前はもちろんそれに気付いていた。


「(ヒィィッ、めっちゃ怒ってる)」


 なぜなら額に爆豪も目じゃ無いほどの青筋が立っているのだ。


「……」


 元々、教室で眠れるタチでは無いが、目を瞑っていると苦手な朝の眠気が少し軽くなるのだ。ただでさえ、朝は嫌いだと言うのに。日課を邪魔された名前の怒りはプリンに加算された。


「(話しかけない方がとは言ったけども!)」


「……」


 そっとしておいたらとでも言えばよかった、と後悔する緑谷。なんだコイツ、鬱陶しいとどストレートに思う名前。そんな2人に対し、轟は喧嘩って友達っぽいなと謎の感動を覚えていた。


「(でも仲直りしてぇ)」


 視線に耐えきれず、立ち上がった名前が移動する。


「えっ」


「あ?」


 向かった場所はまさかまさかの爆豪の後ろであった。つまり、緑谷の席である。席の主は飯田と麗日のそばにいるからそこは空席。一言声をかけるなんて気遣い皆無な名前は座席の前に立つとそこに直立で座り、一拍置いて、ドンッと瞬時に頭を机に落とした。


 まるで椅子に背中をつける爆豪を盾にする、いや、守ってもらう様な体勢。轟はその後をついて歩き、近づこうとしたがカッと目を釣り上げた爆豪に睨まれ、阻止された。


「朝から近づいてくんじゃねぇー!!キチィわ!」


 2人共に言っているのか轟だけかは不明だが、仕方なく席に戻る轟。だが、目線は名前を向いている。


「……」


 その視線に苛つきを見せたのは何故か爆豪だった。


「なんか喋れや!!」


「いや、話すなって言われてる」


「喋んな!!つーか、コイツにだけだろそれ!」


 喋れって言ったのに?と思う周囲だが、轟は律儀に黙った。


「……」


「チッ!!」


 返事がないことにイラつく爆豪。


「「「(どうしろと…)」」」


 爆豪からすれば轟が何をしようと気に食わないし、面倒なことに巻き込まれ、勝手に自分を使われていることが腹立たしい。気持ちとしてはいつも揶揄ってくる名前が静かな分、まだマシだと仕方なく座らせてやってるに過ぎない。自分の席では無いが。

 何にせよ、そんなこんなで名前は距離を取る事に成功した。

 そして数分後、その時間を遮るようにチャイムと共に相澤が入室した。仕方ない、と言わんばかりに自席にノロノロと戻っていく名前を「トロいんだよ!」と爆豪が首後ろを掴み上げ、席へと連れていく。


「「「「(なんか、親猫みたいだな)」」」」


「親猫みてぇだな」


「「「「(言った!!!)」」」」


「ちげぇわ!!」


 相澤の言葉を即座に否定して自席へと戻る爆豪。座らせられた名前はすでに頬杖をつきながら外を眺めていた。だが、その眉は不機嫌そうに寄っている。


「気まずくねーんかな」


「轟は無いんじゃない?」


「……」


「……」


 休み時間になっても轟は伏せる名前の前にいた。喉が渇いた名前がもぞもぞと机上のペットボトルを探す。轟は蓋を開け、手渡した。


「……」


 仕方なくそれを飲む名前。立ち上がった名前は八百万と耳郎のそばへと行き、八百万に背後から抱きつくように体を預けた。そしてまたもその後ろから様子を伺う轟が近づく。2人はどうしていいのか分からなかったが、触れるのは良くないだろうと今しがたしていた話を名前へと振った。


「あ、あんたコレ知ってる?最近、流行ってるバンドなんだけど」


「へー、よくやってるCMの曲?」


「そーそー」


 後ろでじっと黙って話を待っている轟。名前はイラァと顔に苛立ちを浮かべながらも耳郎と八百万との談笑を続けた。


 そしてお昼時。


「お腹すい……」


「……!」


 名前は一瞬、いつもの癖で轟に声をかけかけた。途中で気付き、中途半端に伸ばされたまま止まる手。途端、喜びを顔に出した轟から名前は目線を逸らすと、食堂へと向かおうと何の気無しに隣をすれ違った爆豪の腕を取った。


「今日はバクゴーで」


「日替わりランチみてぇに言うな。誰がテメェなんぞと食うか」


「ランチラッシュさんの日替わりメニューなんだと思う?」


「話聞けや。耳詰まってんのか」


「親子丼がいいな。ランチラッシュさんのは絶品だよ」


「何も言ってねぇよ」


「バクゴーは?」


「…スンドゥブチゲ」


「(爆豪が諦めた!!)」


 あまりにも話を聞く気のない、いやむしろ無視している名前にとうとう爆豪が折れた。


「すんどぅぶちげ。どんなのそれ」


「辛ぇ」


 廊下へと出ていく2人の後を着いて歩いていた上鳴、切島、瀬呂が居た堪れなさに轟も来るか?と尋ねる。轟は特に気にした様子もなく「ああ」と答えた。そんな轟に3人は友人としての助言を与えるため、コソコソと耳打ちした。


「何やってんのお前」


「何ってなんだ」


「話しかけんなって言われたろ?」


「ああ。だから話しかけてねぇ」


「様子見しろって事じゃねぇーか?」


「様子見してるぞ」


「様子見が近すぎねぇ?」
 

「仲直りは早い方がいいだろ」


 瀬呂、切島、上鳴の順に聞く。そこで轟は様子を近くで伺うことで、名前の機嫌が治った時にすぐに謝れるようにと考えていることを知った。真剣な顔で言う轟になんとも言えない3人。


「いや、まぁそうなんだけどよ」 


 爆豪に助けを求めるが、少し前を歩く2人はランチラッシュのメニューについての議論で盛り上がっているようだった。

 
「辛味って痛みらしいね。バクゴー、意外と痛いの好きなんだ」


「ウッセエ!!語弊のある言い方すんな!」


 有意義では無さそうだが。


 
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