▼ 9
身成の身柄を警官に引き渡し、もう一度開けた穴から地下へと入った名前。とはいえ、この混戦の中だ。どこへ向かうべきかは勘と微かに感じる気配のみが示す。
「ふむ」
名前は文字通り、前へと進んだ。
ドゴオオオオオン
そうして何枚目かの壁をぶち破ったその先に地面に伏せるイレイザーと、彼に向かって刀を振り下ろす幹部だろうマスク姿の男の姿が現れた。
「は!?」
「あれ」
動かないイレイザー。そして、突然血濡れで現れた名前に固まるマスクの男。互いがほんの一瞬、見つめ合う。そして次の瞬間、この男は敵である、と名前は判断した。
「(こいつ、どうやってここが…!)」
「は、」と呆ける玄野の隙を名前は見逃さなかった。瞬きの間に玄野の懐に紺青が入り込む。そして、止まることなく振り下ろされた刀とイレイザーヘッドとの間に閉じたままの傘が割り込まれた。銃弾も砲弾を弾く傘に阻まれた刀がバキンと音を立てて折れる。玄野はすぐに次の一手に相澤へと針を伸ばした。
「くそっ」
ドンッ
だが、名前はそれを阻むように傘を持つ手の首を裏へと返すと、玄野へと標準を合わると同時に発砲した。もちろん実弾ではない。ゴムで出来た弾。だが至近距離で当たればそのダメージは軽くない。弾は真っ直ぐに玄野の肺の上に当たり、圧迫された肺に呼吸のままならない玄野はそのままゴホゴホと咳き込みながら膝をついた。
「この、くそ、がっ」
男は恨めしげに名前を睨みつけていたが、すぐにバタンッと音を立て、うつ伏せに倒れ込んだ。
「イレイザーさん大丈夫?」
「……」
ぱたぱたと歩み寄るが、返事はない。だが代わりに目玉がきょろりと動いた。薬か、個性か。そのどちらもなのか。判断はつかないが、彼は現状、自力で動くことはできないらしい。
「とりあえず誰かに……」
治療のためにも引き渡した方がいい。そう思った時、相澤の口が少しだけ開いた。なにか言いたいことでもあるのかと、名前は腰を曲げ、そして体温を測るために指に手を伸ばす。だが、突然動きが止まった。廊下から複数人の気配が近付いてくるのに気が付いたのだ。音を立てず、傘を扉に向け、構える。
バンッ
勢いよく扉が開き、銃を構えた警察と蟹の手を構える天喰が現れる。その肩にはミリオの姿があった。ぐったりとはしているが、外傷は見られない。互いが互いを見る。
「夜野さん!」
天喰が名前を呼び、その風貌と倒れ込む相澤の姿から敵かと判断に迷っていた警官達が慌てたように向けていた銃を下ろした。
「夜野さん!イレイザー!無事だったか!」
「私はヘーキ。彼は厳しいけど」
目線を相澤に落としたその時、轟音と共に建物全体が揺れ、穴の空いた壁から瓦礫のカケラがポロポロと落ちた。そして、上階の物音は激しさを増していく。敵はどこに、緑谷は、他の人はどうなったのか。ここでもたついている暇はありそうにない。名前はすぐに上に顔を向け、足に力を込めた。その時、指先に無骨な手が触れた。
「先生?」
ゆっくり、ゆっくり、動かない体を無理やり動かして、震えながら指を握ろうとする相澤。目は真っ直ぐに自分を見つめている。連れて行け、そう言ってるのだと思った。先生を抱え、傘を開く。それは名前のせめてもの配慮だった。
「いいよ」
体が動かないとはいえ、彼の個性が治崎含め大半の個性に有用なのは間違いない。それになんとなく、連れていく方がいい気がした。彼が必要な気がした。
「先上がってるね」
我慢してよ、と先生に言い、膝をぐっと曲げる。地面を蹴った名前の体は一瞬のうちに天井を幾つも貫き、地上へと飛び出した。そして重力に従い空中を落ちていく。地面の上には倒れる治崎、そして泣き叫ぶ女の子と悲痛な声をあげて叫ぶ緑谷がいた。
「ァァァアァァ」
少女の体からは雷のように制御できていない個性が溢れ出している。なに、あれ。ともかく少女を気絶させるか、緑谷を離すかしなければいけない。そもそも近付けるのか、そう思った時、指を握るイレイザーの手に力が篭った。
「……」
「ん、分かった」
彼の首後ろに添えていた手で首を支え、彼の顔を2人の方へと向ける。その瞬間、風船が弾けるように少女から個性が消えた。
「被害者がいないか確認を!救急車をありったけ呼んで!敵連合メンバーが近くにいるかもしれない捜索を!」
付近には麗日や蛙吹、波動の姿があり、唯一動けるプロヒーローリューキュウがハッとしてぼろぼろの姿のまま辺りに指示を出す。だが、敵連合はきっともう近くにはいない。鼻から裏切る気なら逃げ道ぐらい確保しているだろうことは予想がつく。今頃は隠し通路から市街に出て行方をくらませているころだろう。
居ない獲物を探す趣味はない。名前は地面に着地すると脱力したままのイレイザーを抱え直し、続々と到着する救急車の方へと向かった。
「あなたも救急車へ!」
付き添いだろうか。イレイザーを担架に寝かせ、自分も言われるがまま救急車へと乗る。そしてイレイザーの隣に座り、「外傷はなし!今から向かう!」とマイクに向かって言いながらテキパキと応急処置をする救急隊員をぼーっと眺めた。
「えいがみたい」
感心すると同時に力が抜ける。途端、風穴の空いた腹部から血が流れ、服についたシミを広げた。それに気付いた隊員がギョッとした顔で名前を見る。
「ハッ!?あなたも重傷じゃないですか!!応急処置しなければ!!」
「私はまだ平気。寝てるから着いたら起こして」
「何言ってんですかァ!?出血してんですけど!!」
「牛乳だけ用意しておいてネ」
「治るかァァア!!!」と隊員が元気に叫ぶ。名前は気にすることなく静かに目を閉じた。血が流れたことで感じる倦怠感と同時に戦闘が激しくなる度に無視できないほどに大きくなる体の違和感。こんな傷ですら…。
「(人間みたい)」
いつのまにか眠ってしまっていたのだろう。気付いた時には名前は病院で、担架に運ばれて行くイレイザーを見送っていた。このまま帰ってもいいが、傷を放っておけばきっと後で治与ちゃんに叱られてしまう。ナースステーションへと向かえば、看護師はお化けでも見たような反応をして名前をすぐさま診察室へと運んだ。
パチっ
人の気配を感じ、瞼を開く。
「(ここは…病室か)」
薬の匂いと白い天井。辺りを見渡せば、イレイザー、制服姿の緑谷、リカバリーガールがベッドの脇に立っているのが見える。
「寝起きがいいねアンタは」
リカバリーガールはそう言うも、消えはしない気怠さにのっそりと起き上がる。そして見つけた電子時計から既に半日が経っていることを理解した。ちょっと寝過ぎたなァ。昼寝でもしていたかのように欠伸を漏らし、乱雑に髪をかく名前の様子に相澤はほっと息を吐いた。
「イレイザーさん動けるようになったんだね。緑谷は元気そう。怪我は大丈夫?」
「お前よりはマシだ。言っとくが、お前腹に風穴開いてんだぞ」
「大袈裟だなぁ」
それを証明するかのように襟元の服をつまみ、ぺらりと浮かせる名前。腹部には折れた肋骨と横腹を覆うように隙間なく包帯が巻かれていた。骨はせいぜい2、3日、完治までには見たところ1週間もかからない。穴も長くて10日、といったところか。名前はそう判断し、「問題ない」と相澤を見上げた。
ただしばらくは柔軟、控えるか…そう考えた時、表情からそれを察したリカバリーガールが手のかかる子供を相手にするような笑顔で「治しとくかい?」と言った。
「うん」
頬にキスが送られ、そして疲労と反比例するように傷が癒え始める。
「ありがとう」
「あんたは体力あるからねぇ。治しやすいよ」
「それが取り柄だからね」
「俺も緑谷も見たまんまだ。蛙吹も麗日も無事。切島も命に別状は無い。が…」
ナイトアイは死に、ルミリオンの個性は破壊されてしまった。相澤はそう続けた。
「そっか。やっぱり薬は完成してたんだ」
椅子に座り、両膝に拳を乗せた緑谷の肩に力が篭る。名前はすぐにそれに気付き、緑谷へと視線を向けた。
「で、緑谷はミリオさんに慰めて貰ったの?」
「どうしてそれを…」
顔を上げた緑谷は目を丸くし、名前を見つめている。名前はふっと笑った。
「緑谷が泣いてないから。それにミリオサンは何の関係も無い女の子1人の為に怒れて、個性も捨てる事ができる人だよ。自分が辛くてもきっとそうする」
それは確信である。その答えに緑谷はグッと何かに堪えるような、泣きそうな顔をした。きっとミリオの覚悟と夢を思ってのことだろう。緑谷も同じなのだ。
この子も優しい。優し過ぎるほどに。
「大丈夫だよ。彼は復活できる。きっとね」
「……どうしてそう思うの?」
「勘」
間髪入れない名前の答えに途端、緑谷の顔が微妙そうなものに変わる。
「私が大丈夫って言って、大丈夫じゃなかった時があった?」
緑谷は途端、ハッとしたような表情をした。そして、ぐっと目元を一度擦り、「…そうだねっ!!」と強く、返事をした。
「声がでかい」
「ご、ごめん」
話がひと段落したと判断した相澤が壁にもたれかかっていた体を起こし、すぐ側へと歩み寄る。
「俺達は外で待ってる。着替えたら来い」
「後でね!」
『護送中の治崎廻、敵名オーバーホールが何者かにより襲撃を受けました。当人は両腕を失い、証拠品も盗まれた模様。容疑者にはーーーー…』
シャツに腕を通しボタンを付ける。すると、部屋に備え付けてあるテレビからニュースが流れた。このタイミングでのオーバーホールの襲撃。十中八九、それは敵連合の仕業だろう。そして、盗まれたのはきっと個性を消す薬とそれを治す薬。治す薬が本当に開発されていたのかは情報に無い。だが、名前には確信があった。なぜなら、毒を使うやつは自分が食らうことに備えて解毒剤を用意するものだからだ。
「両腕はマグネへの弔いってとこ?」
ヒーローまでもがヤツらに手助けしてしまった感は否めない。食い合いを制し、さらに強力なアイテムまでゲットした敵連合。
「…運が死柄木に向いてるなぁ」
運なのか、それともそれすらも誰か、AFOの作戦か。予感の通り、成長を続ける彼らとはきっとまたすぐに会うことになる。そんな気がした。
退院の手続き、事情聴取、その他諸々の手続きがあり、結局、A組インターン組が寮に帰ったのは、月の登った頃だった。
「……」
誰も話さず、誰も笑わない。本格的な事件も、そして死も初めてだったからだ。
「(……優しいなァ、ホント)」
正直なところ名前はナイトアイが死んだ事を聞いても特に悲しまなかった。彼との面識があまり無かったからだろう。親しい人が亡くなれば当然、悲しくはあるが、それでもただそうであるだけ。他人に向けて涙を送れるほど名前は死に不慣れではなかった。
同胞は何人も死に、自分も何人と手にかけた。理由は大したものでは無かったし、それにどうと思ったこともない。命の軽さを名前は知っていた。だからナイトアイが死んでも悲しむことはない。
だが、目の前にいる少年少女は違う。きっと、彼らはTVで沢山の他人が亡くなったというニュースにも本気で心を痛めて、悲しむことができる人達なのだろう。きっと人並みの優しさを他者に貰って生きてきたから、それほど人を愛することができて、他人の為に命を賭けられる。
いつ死んでもおかしく無いような場所で生まれ、楽しくはあれど、どこか普通と違った友人達に囲まれ、良くも悪くも殺伐としたところで生きた自分には無い、その博愛の精神はそう簡単に理解できるものではない。
だが、だからこそ自分よりも強い思いがいる。だからきっと彼らは命をかけられる。綺麗だと、心底、そう思う。だから無駄死にだとは思わない。
「入ろっか」
頷いた4人を見て、扉へ手をかける。これから先も、きっと沢山の死に彼らは直面するだろう。ただ、変わらず悲しめる人であって欲しい、そう思った。
ーーーーーーーーーー
「ただいまぁ」
「帰ってきたァァァァア!!!奴らが帰ってきたァ!!!」
「大丈夫だったかよォ!!!?」
扉を開ければ、現れたのはクラスメイト達だった。峰田を皮切りに囲むように周囲に集まり、口々に心配の声をかける。
「名前さん!お怪我は!」
人の間を縫い、駆け寄った八百万が名前の手を握る。いつもの白く、傷のない手。そして「平気」と笑ったその顔に、八百万は心底、安心した。
「怪我してねェか」
「うん。治してもらったから」
轟にじっと見つめられ、名前はここだと言うように自身の腹部を服の上から軽く抑えた。
「お怪我されてるじゃありませんか!ラベンダーのハーブティーをお淹れいたしますわ!心が落ち着きますの!」
「ヤオヨロズの美味しいんだよねェ」
「「美味しいんだよねェ」じゃない!名前くん!君はむしろいつもいつもどうしてそう落ち着いていられるんだ!教えてくれないか!じゃなかった、心配したんだぞ!」
「教え乞うなよ」
心配がフルスロットルな飯田。
「ありがとー。でも私は平気」
「名前さん…」
「ん?」と緑谷を振り返る名前。その顔は本当に平気そうで。そしてどこか眩しいものを見るような目だった。
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