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ゴロゴロゴロゴロゴロゴロ。一人では広すぎる畳の部屋を端から端まで塗りつぶすように転がる。上、斜め、左、下。ゴロゴロゴロゴロ。
「暇だ…」
することがない。手持ちのゲーム機はあるがそれも今や区切りがついてしまった。仕方ない、寝るか。そう思ったその時、外でピクシーボブの明るい声がした。
やることが出来た、とのそのそ起き上がり、玄関へと向かう。扉を開ければ、森の奥から一人、二人と満身創痍のクラスメイト達が歩いてくるのが見えた。その姿は一様に砂だらけ、泥だらけで苦労したことがわかる。
「ウェイ…」
名前は悪いと思いながらも、笑いが勝り、個性を使い切った上鳴を見て耐えきれないように笑った。
「くくっ、おつかれー」
最前を歩くのは自分のすぐ後に着いていた爆豪、緑谷、飯田、轟の4人だ。だが、あれから随分と手こずったらしい。いつものスマートさはどこえやら。服も肌も泥だらけにして重い足取りで歩いてくる。すると、その中にいた轟が名前に気付き、ハッと顔を上げると早足で駆けた。
「お前いつ着いたんだ」
「お昼ぐらい」
「すげぇな。宇宙人だもんな」と感心したように呟く轟。本気にしているのか、冗談なのかは分からないが、名前はチャイナ服をひらりと揺らし、「泥だらけだネ」と笑って轟の頬の泥を親指で拭ってやった。
「何が3時間ですか…」
地面に着くほどにだらんと腕を落とし、瀬呂が言う。
「悪いね、私たちならって意味アレ」
「実力差自慢の為か………」
「でもでも?」「来れた子もいたよ」とピクシーボブ、マンダレイが猫の手で名前を指差した。
「そいつはノーカンっす」
肘先からボロボロのテープを垂らした瀬呂がやれやれと首を振る。
「ねこねこねこ…でも正直もっとかかると思ってた。私の土魔獣が思ったより早く攻略されちゃった。いいよ君ら…特にそこ5人躊躇の無さは経験値によるものかしらん?3年後が楽しみ!ツバつけとこーー!!」
言葉の比喩ではなく実際にツバを飛ばすピクシーボブ。傘を斜めにし、それを防御すると相澤が「マンダレイ…あの人あんなでしたっけ」と言った。
「彼女焦ってるの。適齢期的なアレで」
「適齢期といえばーー…「と言えばて!!」」
シャーと爪を立てた猫のようなピクシーボブに驚きながらも緑谷はマンダレイの隣に並ぶ洸汰を見た。
「ずっと気になってたんですがその子はどなたかのお子さんですか?」
「ああ違う。この子は私の従甥だよ。洸汰!ホラ挨拶しな。一週間一緒に過ごすんだから」
先ほどの少年を指すマンダレイ。だが、警戒心を剥き出しにする洸汰は自己紹介もしようとはしない。だからさっき彼女が代わりに名前を言ったのか、と名前は一人納得した。
「あ、えと僕雄英高校ヒーロー科の緑谷。よろしくね」
にこやかに手を出した緑谷に対して拳を繰り出した洸汰。腰ほどの背丈の洸汰のパンチは丁度というのか、運悪くというのか、無情にも緑谷の股間へと直撃した。地面に沈む緑谷とその隙を突いて逃げ出す少年。
「きゅう」
「ブハッ」
小動物のような断末魔を上げ、股間を抑えたまま動かなくなった緑谷に名前が吹き出した。
「おのれ従甥!!何故、緑谷くんの陰嚢を!!」
友人のために声を上げる飯田は真面目そのものだが、だからこそ相まって笑えてしまう。
「ハッハッハ、陰嚢って…!ふふっ、」
「名前くんも笑ってやるんじゃない!!」
「お前も笑われてんぞ」
腰を軽く曲げ、自分の肩に手を置いたままぷるぷると震えて笑う名前が小さく「イイダ…笑える」と呟き、切島はお前もだぞ、と飯田に伝えた。
「ヒーローになりたいなんて連中とつるむ気はねぇよ」
すぐそこで笑う名前の様子は自分の攻撃もまるで些事だと言わんばかりに何も気にしていなさそうで、洸汰の中に先程のイラつきが蘇る。そうしてフンッと視線を逸らすと、洸汰は名前に向けたのと同じような言葉を緑谷に吐いた。
「(いや、アイツは無視だ。無視)」
「つるむ!!?いくつだ君!!」
「マセガキ」
それを見ていた爆豪が呟く。一連の流れを見ていた轟は「お前に似てねぇか?」と誰もが言わまいとしていたことを言った。だが、このクラスにはそれを言えてしまう人がもう1人いる。
「それね」
同意した名前に爆豪の額の青筋がもう一つ増える。
「あ??似てねぇよ。つーか喋りかけてくんなお前ら!!」
「悪い」
「私達仲良しなのに」
「ねー」と笑顔を見せる名前の表情はどこか嘘っぽく、爆豪を揶揄う気が滲んでいる。だが、本気でそう思っていた轟はうん、と頷いた。
「ふざけんな誰が仲良しだ!!!余計なこと言うなクソ怪力女!!舐めプ野郎も同意してんじゃねぇ!!!!」
ギャーギャーと騒ぐ爆豪とそれを笑う名前、そして楽しそうだな…と思う轟に相澤は、まったく、と呆れると「茶番はいい」と咎めた。
「バスから荷物降ろせ。部屋に荷物を運んだら食堂にて夕食。その後、入浴で就寝だ。本格的なスタートは明日からだ。さァ早くしろ」
ーーーーーーーーーーーーーーー
ガッガッガッガッガッ
「はふっ、うまぁ、それとって轟」
「ああ、そっちの取ってくれ」
「ん」
凄まじい勢いで卓上から消えていく食べ物たち。こいつ昼メシ食ったんだよな…?と若干、引き気味の生徒たちの視線が名前へ向けられる。口田はそのあまりの速さに喉を詰まらせるのではないかという心配で隣の席でハラハラとしていた。
「なんでお前が一番食ってんだ」
「んぐ、」
おかわりしたお椀を手に、その後ろを歩いていた爆豪が名前の頭をスパーンッとはたき落とした。
―――カポーンーーー
卵のような硫黄の匂いと、体を芯から温める天然のお湯。名前は湯気の上がるお湯に足先をつけると、ゆっくりとそこに腰を下ろした。
「んーーーー、」
炭酸にでも包まれたかのように体から力が抜ける。女性の少ない海賊船では、風呂場はただ血を落とす場でしかなく、楽しんで入るものではなかった。それにシャワーがあるだけまだ宇宙船は良い。修行中なんてもっと酷い。野宿じゃ好きな時に水浴びは出来ないし、あっても滝や泉だけ。野戦なんて服のまま浴びるか血塗れかだ。
「あ”―――――」
暖かい湯に体が少しずつ解れ、気持ちが緩む。温泉という文化の何といいことか。地球に住んで数十年、名前はすっかり風呂好きになっていた。
「名前ちゃん溶けてる」
石垣の少し上で宙に浮かぶバスタオルが横にゆらゆらと大きく動く。
「温泉好きなんやな」
「きもちい」
上体を湯の淵にある岩に投げ出し、目を閉じて脱力する名前は完全に蕩けている。
「ほんと肌白いよねあんた」
湯煙とはまた違う、薄い青みのある真っ白な肌が今日は珍しく赤みを帯びている。傷も無く、それどころか日焼けの跡すらも見えず、耳郎はお湯で火照っていなければ生きているかも不安になるような色だと思いながらツンツンと腕に触れた。そして「それになんであんだけ食べてお腹出てないの。どこいったわけ。人体の神秘?」と不思議そうに続ける。
「神秘?まぁ、日光に当たらないように生きてるしネ。あとは体質」
ふぅーと風呂の枠に頭を擡げる。波になったお湯が外へと流れ、ふわふわと浮かぶような気持ちのまま手持ち無沙汰に目で追う。すると、他の女子達も次第に静まり、少しばかり静かな時間が訪れた。すると、さっきまで気にもしていなかった男子風呂の話声だけがやけに大きく聞こえ始める。
「峰田くんやめたまえ!君のしている事は己も女性陣も貶める恥ずべき行為だ!!」
ん???
束の間のリラックスタイムに響く飯田の声。
「峰田が覗くつもりみたいだよ」
ぐでーんと体を伸ばしたまま、名前がそう言った。互いに顔を見合わせる女性陣。
「壁とは越えるためにある“Plus Ultra”!!」
「速っ!!校訓を穢すんじゃないよ!!」
ポポポポと壁に張り付くもぎもぎの音。それが上まで来た時、小さな背中が壁の間から出た。実は女湯と男湯の間の壁は一枚ではない。対策にと2枚の壁が聳えていたのである。
「ヒーロー以前にヒトのあれこれから学び直せ」
「ごもっともー」
合いの手と同時に落ちていく峰田の音。
「クソガキィィイイ!!?」
そしてその断末魔が響く。
「やっぱり峰田ちゃんサイテーね」
「ありがと洸汰くーん!」
くるりと振り向いた洸汰。そちらは女湯、風呂だ。つまり服なんぞは着ていないわけで。
「わっ…、あ…」
霰もない女性陣の姿に当てられた洸汰はふらりと揺れ、そして男湯の中へと消えていった。
「ガキには刺激的すぎたかァ」
名前の頭に置いていたタオルがコロンと落ちた。
――――合宿2日目――――
翌日、朝。AM5:30。ふぁー、とあくびを溢す生徒たち。名前も勿論、その1人で、眠気眼を隠そうともせず、被るように差した傘の下で立ったまま涎を垂らし、眠っていた。
「ぐー」
「器用なことすんな。起きろ夜野」
それに気付いた相澤がコツンと傘を小突き起こす。
「さて、お早う諸君。本日から本格的に強化合宿を始める。今、合宿の目的は全員の強化及びそれによる”仮免”の取得。具体的になりつつある敵意に立ち向かうための準備だ。というわけで爆豪。こいつを投げてみろ」
挨拶もそこそこにしっかりと目覚めている爆豪へとボールを投げ渡す相澤。
「前回の…入学直後の記録は705,2mどれだけ伸びてるかな」
「おお!成長具合か!この3ヶ月色々濃かったからな!1kmとかいくんじゃねぇの!?」
「いったれバクゴー!」
切島や上鳴が囃す。にやりと笑った爆豪も自身の成長を確信し、大きく振りかぶった。
「んじゃ、よっこら…くたばれ!!!!」
ヒーロー志望とは思えない掛け声と共にボールが空へと飛んでいく。
「709、6m」
「あれ…?思ったより…」
きっと伸びるだろうとの皆の期待は外れ、その記録は入学したてとあまり違いはない。
「約三ヶ月間様々な経験を経て確かに君らは成長している。だがそれはあくまでも精神面や技術面。後は多少の体力的な成長がメインで”個性”そのものは今見た通りでそこまで成長していない。だからー今日から君らの”個性”を伸ばす。死ぬほどキツいがくれぐれも…死なないようにーー…」
ーーーーーーーーーー
ズンチャズンチャタタンタン
「手を伸ばしてスクワット!!」
「ワーン、ツー、スリー、フォー!」
そうして始まった”個性”強化訓練。名前の力は個性ではないが、鍛えれば鍛える分、力が強くなることには変わらない。つまり、筋力が増えればパワーも増える。というわけで緑谷と一緒に虎ズブートキャンプに参加していた。
「ハイィィ!!」
必死な形相の緑谷の隣で「はーい」と軽い調子で宙を殴る名前。
「体感に力が入っとらん!!!」
ブゥンッと振られた虎ズ拳が緑谷の腹筋を殴る。
「ぐぁっ!!!」
たまにこうして殴る蹴るが入るが、それはそれとして名前は結構この訓練を楽しんでいた。なんせ、楽しいのである。己の師匠はお世辞にも教えるという行為が上手く無かった。無口ではないのに、子供に揃って家出されるくらいには口下手だったし、不器用。
その為か指導というよりは実戦を積ませるタイプ、いや、ただ単純に殺す気での殴る蹴るが修行の主な手法であった為、虎の指導はむしろ優しすぎるくらいだった。
それに、虎の個性、軟体はなんとも面白かった。流石に、骨があるためあそこまで柔らかくはなれないが、動き自体には興味深い部分も多く、見ているだけでも楽しめる。
「集中せい!!」
そんな風に浮ついた名前に気付いた虎が気合い注入とばかりに頬に拳を振るう。だが、それはゴスッという鈍い音を立てるだけに止まり、吹き飛びはしない。そして、頬の形を変えたまま名前は呑気な返事をした。
「ん」
「そのまま続けていろ!」と一言残し、どこかへと歩き出した虎。戻ってきた時にはその後ろにB組の面々がいた。
「単純な増強型の者我の元へ来い!我―ズブートキャンプはもう始まっているぞ」
「「(古っ)」」
「ひーーー」
「「「……」」」
悲鳴を上げ、荒い息で四方に汗を飛ばしながら、ふんっふんっ!と精一杯に片方の拳を上空に振り上げ、反対の足で腿上げをする緑谷とその隣で同じ動きをする名前。なぜか、こちらは「ほっ、ほっ、」と軽い声を上げ、サンバイザーの開いた頭部から長いポニーテールを揺らしており、まるでエクササイズでもしてるかのように軽やかだ。それに尚更、B組は戸惑った。
「「(こっちは爽やかーーー)」」
「さァ今だ撃って来い」
「はっ5%デトロイトスマッシュ!!」
虎の指示通り瞬時に拳を突き出し、攻撃する緑谷。
「よォォォしまだまだキレキレじゃないか!!筋繊維が千切れてない証拠だよ!!」
だが、軟体で避けられ、ストレートに頬をぶん殴られる。
「イエッサ!!」
「声が小さい」
「イエッサァ!!」
地面に四つん這いになったまま叫ぶ緑谷。まるで軍隊である。
「「(ノリ怖え!)」」
「あっはははは」
そしてそれを壊れた人形のように笑う名前。B組の回原、宍田は思った。
「「(カオス……)」」
虎はチラリと笑い声の方を見た。視線の先でそれに気付いた名前が首を傾げている。緑谷とは違い、まだまだぴんぴんとしているように見えた。見れば、汗も見た目には分からないほどじんわりとしかかいていない。
個性は体の一部であり、筋肉を使えば筋肉痛になるように、常に力を込め続けてはいられないように、そこには限界がある。
個性を発動する挙動が無いために始めは個性を使っていないと思っていた虎だったが、少女が己の拳を受けても倒れないなんてことは、たとえ加減しているとはいえ、無いことであり、だからこそそこに違和感を感じる。
まるで、常時個性を発動しているような、いやむしろ個性発動時が普通のような、そんな感覚。それは身体機能の一つであるからこそ、無理なはずだが。許容が大きいのか、特殊な事例か、信じ難いと思いつつも、何にせよこの合宿は強化が目的。そのためにも限界は超えてもらわなければならない。虎はふむ、と頷いた。
「貴様はもっと負荷をかけた方が良いな。次の訓練に移れ」
「はーい」
指示を聞きに行け、と言われ、マンダレイ、相澤のところへと戻る。ラグドールの個性でサーチ済みであるためか、来ることを予想していた相澤は「ああ」とさほど驚かずに何かを指差した。指されたその先ではピクシーボブが手を振っている。その後ろには巨大な岩があった。
「今のは準備運動。お前の訓練はアレだ」
ーーーーーーー
「んぐぐぐ!!」
先程とは打って変わって悲痛な声。名前は今、指された岩を抱えてスクワットしていた。偶に不安定な場所に張り付く訓練と称して蛙吹の練習場にもなっているそれ。負担をかけるためだと徐々に大きくなった岩は今や小山である。そのうえ、虎―ズブートキャンプの合間に虎がやってきては指示を出してくる。
「ゆっくりを腰を落とせ」
筋トレというのはゆっくりが一番キツい。ましてや上に小山が乗っているとなれば言わずもがな。だが名前は辛い時に心が折れるようなタイプでも、痛みを喜べる己の友人のような特殊能力もない。人の様を見て笑うサドである。つまり、疲れは悔しさに、しんどさは徐々に怒りに変わる。
「だぁぁぁ!おっもいなぁ!!!!」
「まだ余裕そうだな。増やすか」
爆豪じゃないが、ついクソがと言ってしまいそうになる。相澤の言葉を聞いたピクシーボブが「おっけー」と明るい声で返し、さらに重みが増す。じわじわと下がる背中。イラつきからか額に筋を立て、歯を食いしばる名前の姿は珍しく、相澤はさらにそれを煽るためにニヤリと笑った。
ブチッ
その目論見が分かっていても、ムカつくものはムカつく。
「オラァ!」
再度、じわじわと持ち上がる岩。名前は「ふんっと」と力を込めると、曲がっていた膝を伸ばし、上へと放り投げた。
「おお…」
「あー、おも」
「お前、さっき投げたやつ取りに行けよ。ああ、飽きるだろうから次は持ち上げるだけじゃなくて次からは今みたいに投げろ。あと、ウェイトも増やす」
「まだまだいけるだろ」と笑う相澤。
「……先に言っておくけど。手が滑って先生の方に飛んでいくかもネ」
「やめろ」
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