▼ 3
緑谷side
地面に倒れる僕と飯田くんを助けに来てくれた轟くん。だが、そんな彼の氷結をヒーロー殺しが斬り刻み、炎を出そうとした彼の腕にナイフが刺さる。
「おまえも良い……」
痛みに一瞬、轟くんに隙が生まれて、それを突くようにヒーロー殺しが、無防備な轟くんに切り掛かる。やばい、やばい、やばい!僕も飯田くんもプロヒーローもヤツの個性によって動けない。ここには誰1人動ける人はいない。
誰か、!他に誰かが来るはずもないのに、自分達でやるしかないのに、誰かが来てくれるような気が、願いがあって。でも自分で。頭の中が色々な考えで溢れる。その間にも轟くんへの刃は伸びているのに。どうする、どうする!?考えて…、でも意味が…。刃が当たる。その瞬間、何故かヒーロー殺しが唸り声を上げ、その体が何かに押されたように吹き飛んだ。
なんで……。
タンッ
軽い着地音がして、僕たちの目の前で、大きな番傘に隠れた背中と、包帯と混じり合う青い髪が靡く。それは、それは。
「名前さん!!!!?」
「ごめんね。迷っちゃった」
名前さんだった。そう気付いた瞬間、動いてはいけない、動けない体でもそう思ってしまう程の圧が彼女から発せられる。その圧迫感に少しの間、息をすることを忘れて、自分の心臓の音がやけに大きく耳の中で響くのを感じた。彼女は僕達を一切、見ていない筈なのに。
「お前も良いぞぉ」
ヒーロー殺しがぺろっと舌を出す。名前さんは彼の褒め言葉にどこかめんどくさそうに頭を掻いて返事をした。
「なんか知らないけど、どうも」
それを合図に煙を割いて、出てきたヒーロー殺しの刀を傘が受け止める。微動だにしない名前さんと、笑ったまま小刻みに震えるヒーロー殺し。すると、彼女は嘲笑うみたいにくくっと笑ってその手を少し前に押した。
ずり、と後ろに下がるヒーロー殺しをさらに名前さんが押し切ろうと力を込める。わ、悪い顔だ…!戦闘中にそんな余裕がある彼女に驚愕しながらなんとか奴の個性から抜け出そうと体に力を入れる。
彼女がじわじわじわじわとヒーロー殺しを押す。彼女は一撃に無闇に力を込めることはしない。それはきっと殺さないようにという配慮と、彼女の嗜虐心からだ。普通なら褒められないことでも、こんな状況だからか、少しそれに安心する。すると、ヒーロー殺しが突然、自分から体を引いた。彼女の傘を引き込んで、背中に隠していたもう一本の短刀を彼女の足めがけて振り下ろす。
名前さんはそれに恐怖することも無く、ブンッと足を縦に振り上げた。距離を取らせる威嚇のようなその攻撃。刀を避けようとしないのはそれが彼女にとってなんのこともない攻撃だからだろうか。でも、ヒーロー殺しの目的は攻撃じゃない。短刀は後ろに引くヒーロー殺しの動きと一緒に浅く彼女の太ももに刺さる。
「そいつに血を舐められちゃダメだ!!!」
伸びたヒーロー殺しの舌を避けるように一歩下がった名前さんは僕の声を聞いて刀が脚から抜き切れるよりも前に、上げたままの脚に突き刺さる刀の鍔に近い方の刃を両手で持って、横にへし折った。
それから、自分の太ももに残った刃を引き抜いてすぐにヒーロー殺しに詰め寄る。見れば捨てられた刀のカケラには一滴の血もついていない。抜き取る時、服で拭ったんだ。その咄嗟の判断にすごい、と驚いていると彼女は両手を使わずに、辛うじて目で追えるぐらいのスピードで蹴りの猛攻をかけていった。でも、刀で防御するヒーロー殺しに有効打はない。
「何してんだよ…!」
プロヒーローが怒るけど、あれはきっと敵を侮っているわけじゃない。多分、脚の血を舐められる隙を作らないようにと、無抵抗な僕らに意識を向けさせないようにしているんだ。よく見ると脚から跳ねた血を巻き込むように蹴りを入れている。
「す、すげぇ。押してるじゃん…」
ほんとだ…!さっきとは打って変わって防戦一方のヒーロー殺し。何か意図して反撃しないのかも。いや、反撃できないんだ。彼女の速い動きに少し分かり難いけど、よく見れば攻撃の中で何度もフェイントをかけている。
「ふんっ」
立て直そうと距離を取ろうとしたヒーロー殺しに名前さんが傘を投げた。風を纏った傘が避けたヒーロー殺しの横をすり抜けた瞬間、瞬きの間ぐらい短い時間で距離を詰めた名前さんの蹴りがヒーロー殺しの腹部を捉える。でも、彼女の攻撃はそれだけで終わらなかった。
それから、丁度隣に来たさっき投げた傘を空中で掴んで、蹴り上げた脚の勢いでくるりと回りながら下からヒーロー殺しごと脚を振り上げる。投げたボールを落下地点で受け止めるのと同じ要領だけど、そんなのとは全く違う。あんな攻撃を実戦の中で繰り出すなんて。
「……やるなァ」
お腹を抑え、距離を取ったヒーロー殺しがよろよろと立ち上がった。きっと重傷なはずなのに。すると、今度はヒーロー殺しが名前さんに向けて刀を投げた。そして、距離を詰め、避けた彼女へ全く同じ動きで刀を取って、追撃をする。でも、ヒーロー殺しの刀は彼女には当たらない。
「残念」
ひょいと避けた彼女が笑う。その時、ヒーロー殺しの背中に隠した片手がきらりと光った。ナイフだ。きっと彼女からは見えていない。地面に寝転がる僕だから見えた。それでさっきの攻撃が囮だと気付く。
「名前さんっ、それは」
囮。もつれる舌で必死にそう伝えようとした時、ヒーロー殺しは死角から小さなナイフを名前さんの顔に投げた。
「っと」
少し目を見開いて、それを首を下げるだけで避けた名前さん。今度はヒーロー殺しに一瞬の隙が生まれる。そうして、彼女がヒーロー殺しの背後に回った瞬間、僕の体に力が入った。
Side
緑谷の指がぴくりと動いた。途端、見た事のない技でヒーロー殺しの服を掴んで、自分達から距離を離す。だが、まだ使い慣れてはいないらしく、横腹に肘鉄を食らっていた。
「下がれ緑谷!」
轟の左手に炎が見え、落ちてきた緑谷の襟首を掴んで引き寄せる。緑谷が本来落ちていた場所を炎の柱が通り過ぎた。
「ひぇ!ありがとう名前さん!!」
「いーえ」
構えた緑谷の後ろで傘を肩に置くと、ヒーロー殺しは両腕を下げ、刀を構えた。
「血を摂り入れて動きを奪う。僕だけ先に解けたってことは、考えられるのは3パターン。人数が多くなるほど効果が薄れるか摂取量か…血液型によって効果に差異が生じるか」
「血液型…俺はBだ」
「僕はA」
「ぽいネ」
プロヒーロー、緑谷が答える。すると、ヒーロー殺しが笑った。
「血液型…ハァ、正解だ」
「氷も炎も避けられる反応速度だ。夜野人2人抱えてアレに対応できるか」
轟がちらりとこちらを見る。
「対応か……それはちょっとキツイ。足やってるし」
撃退ならまだしもだが、力加減を間違えて殺してしまうかもしれない。足をぶらぶらと振れば、緑谷は苦笑いをした。
「怪我してなきゃ出来るんだ…」
足の怪我を負った上で、人を二人抱えて、緑谷と轟のフォローをしながら奴から距離を取るのは厳しい。ならば、一撃必殺を狙う他ない。だけど、きっと私じゃ殺してしまう。
「プロが来るまで近接粘るのが最善か」
「轟くんは血を流しすぎてる。僕と名前さんが奴の気を惹きつけるから後方支援を!」
「相当危ねぇ橋だな。三人で守るぞ」
「3対1か…甘くはないな」
ヒーロー殺しのその言葉を合図に轟が炎を繰り出し、それを目眩しに緑谷が飛び出す。だが、見破られ、緑谷の足に刀が振り下ろされた。そんなヒーロー殺しの前に轟が今度は氷を張り、防御するが、それも豆腐のように簡単に切り崩される。だけど、それは予想の範囲内。轟と氷の間に立ち、氷を目眩しに斬られたカケラを蹴り飛ばした。
その衝撃で細かに砕かれた氷の壁がヒーロー殺しへと向かう。避けきれないと考えたヒーロー殺しは最低限だけを振り落とし、壁側をジャンプで駆け、私の後ろに立つ轟の懐に刀を入れた。
「やめて欲しけりゃ立て!!!なりてぇもんちゃんと見ろ!!」
「言われたことはないか?”個性”にかまけて挙動が大雑把だと」
「私のとこには来てくれないの?」
ならこっちから行ってやろう。その場で跳躍し、掴んだ轟の襟首を上に投げる。刀は空を切り、そしてまっすぐに轟の後ろにいた私を追う。すぐに逆立ちの姿勢で地面に腕を着き、上に跳ね、それから上半身を曲げて、血が飛びないよう腹部に足をつけるようにバク転しながら距離を取った。血を気にする必要があるから、動きにどうしても無駄が生まれてしまう。
「轟!」
「ああ!!」
バク宙と同時に轟が出した氷を足場にヒーロー殺しの方へと跳ぶ。そして拳を構えた。狭いこの道じゃ直撃は免れたとしても逃げ切れはしない。周囲の建物の心配など名前には無かった。流石に不味い、とヒーロー殺しが上を向く。ヒーロー殺しの意識は完全に名前を向いている。その、瞬間、飯田が駆けた。
「レシプロ…バースト!!」
フルエンジンでの飯田の鋭い蹴りがヒーロー殺しの腹を捉える。攻撃が直撃したヒーロー殺しは腹部を抑えながら、とうとう地面にドシャンッと音を立てて倒れた。
「解けたか。意外と大した事ねぇ個性だな」
「轟くん、緑谷くん、夜野くんも関係ないことで……申し訳ない……」
「またそんな事を……」
「だからもう3人にこれ以上血を流させるわけにはいかない。」
顔を上げた飯田のその目は、何かを決意したような目だった。
「感化され取り繕おうとも無駄だ。人間の本質はそう易々と変わらない。お前は私欲を優先させる偽物にしかならない!”英雄”を歪ませる社会のガンだ。誰かが正さねばならないんだ」
腹部を抑えたまま立つヒーロー殺しが吠える。その姿はどう見ても満身創痍。すでに立っていられるはずがないほどのダメージを抱えているはずなのに。
「時代錯誤の原理主義だ。飯田、人殺しの理屈に耳貸すな」
人を救うのは無償でなければならない。こういう思想犯は妙なカリスマ性がある。ヒーローへの理想が高く、夢想的。感化されるものが必ず出る。名前の勘はそう言っていた。
「いや、言う通りさ。僕にヒーローを名乗る資格など…ない。それでも…折れるわけにはいかない…俺が折れればインゲニウムは死んでしまう」
「論外」
ヒーロー殺しが言い切った瞬間、轟の左手から炎が放出される。それを壁に刀を刺し、避けたヒーロー殺し。そして、轟の火が途絶えるのと同時に名前が間合いを詰めた。
「馬鹿っ…!ヒーロー殺しの狙いは俺とその白アーマーだろ!応戦するより逃げたほうがいいって!!」
「そんな隙を与えてくれそうにないんですよ。さっきから明らかに様相が変わった。奴も焦ってる」
「お前はこの中で最も実戦慣れしているな。楽しいか?」
ニタァと名前に笑いかけるヒーロー殺し。返事はせず、突き出されたナイフを手で弾いて逸らす。瞬間、手首が返され、反対を向いた刃が顔面めがけて迫った。切先の当たる目前でヒーロー殺しの手を離れたそれを顔を逸らして避け、仕返しに手刀を突き刺す。すると、ヒーロー殺しの頬にナイフで切られたような傷ができた。
「ッ」
だが、自分目掛けて投げられたと思っていたナイフの目標は己では無く、後ろにあった。ナイフの軌道先には轟がいて、彼を庇った飯田の腕に深々とナイフが刺さる。
「あんたの相手はまだ私」
距離を詰めて蹴り込めば、ヒーロー殺しはそれを刀で塞いだ。後ろで緑谷と飯田が話しているのが分かる。きっと何かしらの考えがあるのだろう。なら、時間稼ぎをすればいい。刀の上から足を押し込み、弾く。それから横凪にされた刀をしゃがんで避け、腹部へ掌底、それからしならせた腕で肩を叩いた。パキッとスナックのような音がする。骨が折れ、体勢を崩したヒーロー殺しだが、戦意を維持したまま、背後に隠していたナイフを振り下ろした。またも顔面。避ける気はない。
「夜野!!!!」
ヒーロー殺しの敵は私だけじゃない。十分にその意識がこちらに向いたその時、緑谷と飯田の一撃がヒーロー殺しの体に入った。
それを最後に、意識が途切れ……
ーーーーーーーーーーーーー
「夜野!大丈夫か!」
轟の氷から滑り落ちてきた飯田と緑谷、そして轟が必死な形相で駆け寄る。俯く名前の顔は見えない。まさかナイフが…!轟は恐る恐るその両肩に手を乗せた。
「夜野…!」
「ああに?」
顔を上げた名前の口にはしっかりとナイフが突き刺さっていた。だが、怪我はない。まるで曲芸師のように、口を開け、正面からナイフを咥えるように受け止めていたのである。は?と固まる三人を他所に、ペッと口からナイフを吐き出し、こりをほぐすように肩をぐるぐると回し出す名前。
「え!ナイフは!顔刺されてたよね!?」
「受け止めた」
銃弾も受け止めれるんだからナイフなんて余裕だ。名前がそう言えば三人は不思議なものを見るような、なんとも複雑そうな顔をした。緑谷が「さすが宇宙人…」と呟く。それから、名前の無事を確認したところで地面に転がるヒーロー殺し、ステインを見た。
「奴は」
「さすがに気絶してる…?っぽい…?」
「じゃあ拘束して通りに出よう。何か縛れるもんは…」
「念のため武器は全部外しておこう」
辺りを見回し、ダストボックスから垂れていた縄でヒーロー殺しを拘束する。そして緑谷がプロヒーローを、轟がヒーロー殺しをずりずりと引き摺り、歩いた。
「さすがゴミ置場あるもんだな」
「轟くんやはり俺が引く」
そう言ったのは飯田。彼の腕からは深々と刺さったナイフが血を垂らしている。
「お前腕グチャグチャだろう」
そう言う轟だが、彼もまた手を負傷していて、軽々とは見えない。
「轟」
名前を呼んだ名前の意図に気付いた轟はちらりとその脚を見た。チャイナドレスのスリットの間、太ももに数センチの刀傷が入っている。血は垂れていないようだが、傷は傷。
「脚は平気か」
首を一度傾げた名前はすぐに「平気」と返し、轟に引き摺られるヒーロー殺しを肩に担いだ。
「悪かった…プロの俺が完全に足手まといだった」
「いえ…一対一でヒーロー殺しの個性だともう仕方ないと思います…強過ぎる…」
「三体一の上にこいつ自身のミスがあってギリギリ勝てた。多分、焦って緑谷の復活時間が頭から抜けてたんじゃねぇかな。それに加えて名前を抑える必要もあったからな。ラスト飯田のレシプロはともかく……緑谷の動きに対応がなかった」
轟の解説を聞きながら、通りに出る。その時、「む!?んなっ…」っと驚いたような声が聞こえた。
「何故お前がここに!!!」
「グラントリノ!!」
小柄な老人が緑谷に駆け寄り、その顔面に飛び蹴りをする。きっと、職場体験先の人なのだろう。人間の爺さんにしては元気なことだ。それにしても小さい。縮んだんかな。緑谷の腰辺りしかない上背の老人に名前がそう思っていると通りを走っていた複数のプロヒーロー達もそれに気付き、6人の周辺に集まった。
「エンデヴァーさんから応援要請承った。んだが。子ども…!?」
「ひどい怪我だ。救急車呼べ!!」
「おいこいつ…ヒーロー殺し!!?」
「あいつ……エンデヴァーがいないのはまだ向こうは交戦中ということですか?」
「ああそうだ脳無の兄弟が…!」
轟の質問にプロヒーローはそう答えた。”脳無の兄弟”……、やはり。先程感じたあの独特な気配は間違いじゃ無く、見間違いでも無かった。
「ああ!あの敵に有効でない個性らがこっちの応援に来たんだ」
「三人とも…僕のせいで傷を負わせた。本当にすまなかった…何も…見えなく…なってしまっていた……!」
突然、飯田が深く頭を下げた。飯田は“3人とも“と言ったが、彼がなぜ頭を下げるのか、その理由も事情も知らない名前にとって、当事者意識は無い。ただ、エンデヴァーに頼まれ、こっちの方が面白そうだと思った、それだけだ。
その時、何かが近づく気配がした。後ろを振り向けば、それは空にいることが分かる。その場にヒーロー殺しを置き、じっと上を見る。
ビルに隠れて姿は見えないが、すぐ近くにいる。こっちに向かってきている。コンクリートの向こう側にある気配を追い、視線を横に動かせば、ビルが途切れ、翼の生えた脳無の姿が現れた。気づいた老人が瞬時に叫ぶ。
「伏せろ!!」
「え?」
「!?」
「敵!!エンデヴァーさんは何を……」
「え、ちょ…」
「やられて逃げてきたのか!」
コウモリに近い、体毛のない脳無が急降下し、その場にいた全員がしゃがむ。その体には炎で焼かれたような傷があった。頭を下げ、空気を掴むように指を動かせばごきっと音が鳴る。その瞬間、隣にいた緑谷の体が宙に浮いた。
「えっ!?」
なぜ緑谷を?
鳥が獲物を掴むように空へと上がる緑谷にそんな疑問が浮かぶよりも前に足に力が篭る。すぐさま上へと跳び、脳無に連れ攫われる彼に手を伸ばす。もう少しで。脳無の足首に手が届く。そう思ったその瞬間、脳無はくるりと旋回し、名前の手のひらは空を切った。ならば足を、とすぐに判断を変え、前屈のように体を曲げ、手と足を入れ替える。蹴りが届けばヤツは落ちる。そう考えた時、今度は下から別の気配が上がってくるのを感じた。
ドンッ、と音がして、肩に重みが掛かる。顔を上げればそこには気絶していたはずのヒーロー殺しが名前を踏み台に、脳無に向かって飛んでいくのが見えた。
蹴り落とされ、道路脇の柵の上にしゃがんだ姿勢で着地すると同時に空を飛ぶ脳無の肩から血が上がる。そして、体勢を崩しながらもヒーロー殺しが着地し、遅れて脳無が地面に落ちた。そして、その瞬間、突如殺気が、いや、これは殺意じゃない。気迫。それが辺りを包んだ。
「偽物が蔓延るこの社会も、徒に力を振りまく犯罪者も粛清対象だ。全ては正しき社会のために」
「贋物…正さねばー…誰かが…血に染まらねば…!”英雄”を取り戻さねば!!来い来てみろ贋物ども。俺を殺していいのは本物の英雄だけだ!!!」
その圧にプロヒーローも、生徒たちも膝をついた。その場に立っていたのはヒーロー殺し、ただ1人。追われていた者が追うものを圧倒した瞬間だった。瞳はまるでオールマイトを連想させるかのような力強い輝きを放ち、ボロボロな体でありながらしっかりと二本足でそこに立っている。その信念の強さに、思想はどうあれ、名前の中にある本能が刺激され、背中にゾクゾクとしたものが走った。だが言い終えた途端に気迫は消え、ヒーロー殺しの目からも光が消える。
ああ……。
「気を失ってる…」
まるで、期待だけさせておいてお預けを食らったような、そんな気持ちになりながら「敵ながら天晴れネ」名前は小さくそう呟いた。
―― 一夜明け保須総合病院―――
ヒーロー殺しを警察に引き渡し、すぐさま治療のために病院へと運ばれた轟、飯田、緑谷、名前の4人。一応のマスメディア対策に同部屋で隔離されることのなった四人は各々の治療を終え、現在、ちょっとした談笑を行っていた。
「ハァ…」
ベットの上で仰向けに寝転がる名前からため息が漏れる。理由は単純に暇だからである。一番軽傷な自分が何故、未だにココに縛り付けられているのか。
名前は辺りを見渡し、ゆっくりと瞬きした。病院は幾つになっても好かない。薬品の匂いは強いし、なんといってもつまらない。怠惰に過ごすことが趣味だとしても強制されては面白くはない。それに、前世では種族の研究が進んでいなかったこともあって、行ったところで大した意味は無かった。存在すらいない今世では尚更だ。
「ツマンナイ」
傷の治った太ももに一度手を置き、名前はベッドから降りた。それからひょいっと逆立ちをし、床から片手を離す。その状態で肘を曲げれば、筋トレとは言わずとも、暇つぶしとはなる。
「夜野さん、元気だね…」
「まぁ私もう治りかけだし。というか名前って呼んで」
「あっ、ごめん。つい」
緑谷は顔を真っ赤にすると、吃りながらもう一度、名前を呼び直した。それに返事をしようとして、言葉を止める。廊下を歩く気配があったからだ。
「おおォ起きてるな怪我人共!」
がらっと扉が開き、緑谷、飯田の実習先のヒーローが現れた。
「グラントリノ!」
「マニュアルさん…!」
エンデヴァーの姿はない。彼は彼で後始末に追われているのだろう。肘を曲げ、勢いをつけて起き上がる。そして、病室の端から入り口の方へと移動した。
「すごい…グチグチ言いたい…がその前に来客だぜ。保須警察署署長の面構犬嗣さんだ」
ぐっと飲み込んだように顔を顰めた老人、グラントリノが隣に立つ人物を紹介した。扉の裏にいたその人が一歩前に出る。
「面構!!署…署長!?」
「掛けたままで結構だワン」
面構は名前の通り、犬の面、というよりは頭をした人間だった。
「(か、かわいい…)」
そして、名前は動物好きであった。
「君たちがヒーロー殺しを仕留めた雄英生徒だワンね。ヒーロー殺しだが…火傷に骨折と内臓の負傷、なかなかの重傷だワン」
「超常黎明期…警察は統率と規格を重要視し、”個性”を”武”に用いない事とした。そしてヒーローはその”穴”を埋める形で台東してきた職だワン。個人の武力行使…容易に人を殺められる力。本来なら凶弾されて然るべきこれらが公に認められているのは先人たちがモラルやルールをしっかり遵守してきたからなんだワン」
ワン…。可愛い…!話している内容は真面目そのものであるが、愛らしい語尾にばかり名前の意識が集中する。
「資格未取得者が保護管理者の指示なく”個性”で危害を加えた事。たとえ相手がヒーロー殺しであろうともこれは立派な規則違反だワン。君たち4人及びプロヒーロー、エンデヴァー、マニュアル、グラントリノ。この7名には厳正な処分が下されなければならない」
厳密に言えば、自分はエンデヴァーから指示を受けている。この際、それは一連托生だとして、そこに反論する気はないが、その物言いは少し癪だ。どれだけ愛らしくとも全てを聞き流しはしない。
「子供にも見つけられたヒーロー殺しを、カケラも見つけられなかった奴らが偉そうに」
緑谷は驚き、ばっと隣を見た。名前の表情はいつもとほぼ変わらない。だが、少し細められた瞳が、軽く上げられた顎がどこまでも彼女の不満と高慢を表し、その感情がありありと伝わってきた。ここで噛み付けばどうなるか…。落ち着いて…!と慌ててその腕を取るが、名前の態度は変わらない。
「それについては耳の痛い話だが…」
「ちょっと待ってくださいよ。それに飯田が動いてなきゃ”ネイティヴ”さんが殺されてた。緑谷が、名前が来なけりゃ俺らが殺されてた。誰もヒーロー殺しの出現に気付いてなかったんですよ。規則守って見殺しにするべきだったって!?」
そう攻める轟に犬は悠然と返した。
「結果オーライであれば規則などウヤムヤでいいと?」
「人をっ…助けるのがヒーローの仕事だろ」
歯を食いしばり、轟が言う。面構は一度、呆れたように首を振った。
「だから君たちは”卵”だまったく。良い教育をしてるワンね」
「この犬…―」
「やめたまえもっともな話だ!!」
噛み付きそうな轟を引き止める飯田。するとグラントリノが落ち着かせるように手を出した。
「まァ…話は最後まで聞け」
「以上がー…警察としての意見で、処分云々はあくまで公表すればの話だワン。公表すれば世論は君らを褒め称えるだろうが処罰は免れない。一方で汚い話公表しない場合ヒーロー殺しの火傷跡からエンデヴァーを功労者として擁立してしまえるワン。幸い目撃者は極めて限られている。この違反はここで握り潰せるんだワン。だが君たちの英断と功績も誰にも知られることはない」
「どっちがいい!?1人の人間としては前途ある若者の”偉大な過ち”にケチをつけたくないんだワン」
ヒーローに憧れを持つ彼ら3人の答えなど、そんなの決まっている。
「大人のズルで君たちが受けていたであろう称賛の声は無くなってしまうが…せめて共に平和を守る人間として…ありがとう」
面構は深く、深く頭を下げた。
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