夜の兎 | ナノ


▼ 2

 

 モヤが離散し、空中へと放り出される。名前はその場にしゃがむように難なく着地すると周りを見渡した。


「来たぞ」


「ここは……」


 広場からそう遠くない場所だった。周囲にクラスメイトの姿は無く、敵が囲んでいる。そして、少し離れたところで己のクラス担任が複数人の敵相手に交戦していた。 


「怖いなぁ」


 漏れた言葉に敵がニヤニヤと笑う。


「怖いだろ」


「雑魚がたくさんで」


 加減間違えちゃったらどうしよう、続いた言葉に敵は顔を歪めた。


「ああ”!?」


 怒り狂う敵が声を荒げる。その声は離れた相澤にも聞こえていた。


「あれは」


 相澤の個性は”抹消”。世に名前の出ていない相澤の個性は知られていないし、大抵の敵は突然、自分の個性が消されれば慌てる。つまりベストとする戦闘は不意を突き、捕縛布での確保だ。緑谷に大見得を切って対応可能だと言っていたが、実際、複数人での白兵戦なんてのは1番、苦手とする戦闘である。だが、ヒーローであるならしなければならない。


「んー」


「夜野逃げろ!」


「どこに?」


 どうしたもんか、そう考える名前の存在に気付いた相澤が敵の真ん中を抜け、名前の元に駆け寄る。そしてすぐさま自分の背に隠した。まさか自分が守られる側になるとは露にも思っていなかった名前は目の前の黒い背中を一度じっと不思議そうに見つめた。二つに別れていたチンピラが一つになり、まるでお荷物が出来たとばかりに下卑た笑顔を浮かべる。その視線に気付いた名前はふふんっと少し顎を上げ、その敵達と似たような顔で挑発するように笑った。


「ははっ、何その顔。勝った気になってんなよ」


「相澤さん、あっち行っていいよ」と自分を守る背中から顔を出す。


「私がやっといたげる」


 ドドドドッと構えられた番傘の先から周囲を囲む敵に向かってライフルのように何発もの弾が撃ち込まれていく。相澤は傘の仕掛けに驚くと同時に、目の前の少女が鼻から敵に恐怖していない事に気付いた。


「ただの傘じゃねぇ…!」


「ぐあっ!」


 名前の様子も気がかりだが、メインはチンピラでは無い。1番やばそうな奴ら。特に出入り口を確保しなければいけない。でなければ敵はさらに増え、生徒達の危険も増す。雑兵に時間をかける暇のない相澤は目の前の少女を信じ、敵が弾丸を避けて生まれた道を走り出した。


「無理すんなよ。すぐに13号のところへ行け」


「はいはい」


 中身のない返事をし、相澤が離れたことを確認する。そして名前は「準備運動ぐらいにはなるかなァ」と傘を下ろした。手前にいるのは大抵、近接タイプ。後ろにいるのは近接の苦手な遠距離個性だ。ぐんっと膝を曲げ、低い姿勢を取る。そして下げた足に力を込めた。


「来たぞ!!」


「おそいなぁ」


 ごっと鈍い音がして1人の敵の姿が消える。そして、それに変わるように低い姿勢で着地体勢を取る名前が現れた。瞬発的に目の前に現れた名前に驚きながらも敵は覚悟を決め、覆いかぶさるように前を阻む。そして別の敵が左右からも手を伸ばし、襲いかかった。


「ほっ」


 軽い声と共に腕の隙間をジャンプで抜けた名前が両脚を180度に開き、開脚で左右の敵の顔面を捉え、蹴り飛ばす。そして勢いを殺すことなく地面に片手を着き、前転で前方の敵の肩に乗ると、傘を構え、背後の敵を撃った。


「乗るんじゃ、あッ」


 上に乗る名前の足首を掴もうとするチンピラだが、それよりも早く上へと飛んだ名前に踵で首後ろを蹴られ、目玉がぐるんと後ろに回る。


「んん、難しい……」


「ヒィッ」


 膝をつき、間髪入れずに崩れ落ちるチンピラA。普通に蹴れば人間の体はすぐに潰れてしまう。名前は力を入れすぎないよう一度ぶらぶらと手首をほぐすと慄く周囲を一瞥し、来い、と手招きをした。


「ほら、早く」


「い、行くぞ!!!」


 一気に行けば何とかなるだろ、と同時に襲いかかる敵を数人、大ぶりに振った脚で蹴り飛ばし、それを目眩しに岩に覆われた防御力の高そうな敵を地面に叩きつける。地面に埋まった仲間を見て、敵はずり、と後退りをした。だが、攻撃はまだ終わっていない。近場にいた敵にすぐに距離を詰め、掌底を打ち込み、吹き飛ぶ敵が後方の数人を巻き込む。そして突き出した手を横に向け、「は」と惚ける敵の鳩尾を突いた。そして倒れたことを確認し、次の敵へ。遠距離個性が狙いを定めるが、低い姿勢で駆け抜ける名前の狙いは定まらず、その間にも銃弾がこちらへと向かってくるという状況になす術がない。


 カチッ、カチッ


「弾切れ……」


 傘から弾が出なくなった時には誰一人、敵は立っていなかった。実弾の許可は降りず、大半はゴム弾だが、そこそこの威力のあるそれは命の危険は無いものの敵を制圧できる仕様だ。名前は少しの物足りなさを感じながらも傘をホルスターに戻すと相澤と対峙する残った敵の方に目をやった。


「もうすぐ終わるかな」


 彼の個性なら異形型には見えない手の敵も、煙野郎も完封できるだろう。だが、そこにいたのは名前の予想とは違い、何かに片腕を潰され、顔面から地面に叩きつけられる相澤の姿だった。近くには緑谷、蛙吹、峰田の姿も見える。決着がつくどころか、相澤の方が大きく追い込まれていた。手を張り付けたボスは無傷。相澤を襲う何かも同じく無傷。それにそちらに至ってはどう見ても人間では無い。見た目もそうだが、生き物特有の気配が薄い気がした。だが、そんなことはどうでもいい。名前は自分達を守る為に戦った人間の為に地面を強く蹴った。



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「本当、カッコいいぜ。イレイザーヘッド」


 敵の個性を瀕死の状態にありながらも消し、生徒を守ったイレイザーヘッド。プロヒーローがまるでおもちゃのように扱われている。目前で見ていた緑谷は本能的な焦りを感じていた。

 
 ヤバイヤバイヤバイ、この敵はやばい。どうしよう。どうすればいい。助けな、


「手、とっとと離しなよ」


 その時だった。焦りや恐怖が微塵も無い、凛とした声と共に突如として弾丸のように空中に現れた紺緑谷、蛙吹、峰田はハッと息を呑んだ。だが、驚いたのは何も味方だけではない。敵も同じであった。そして皆がその存在に気付いた瞬間、下から振り上げられた白い脚がなんの躊躇もなく脳無と呼ばれた改人の首をぶち抜く。


「ヒッ」


 味方である峰田が声を上げた。だが、彼女の視線は敵から動かない。


「変ね」


 容赦の無い攻撃に脳無の首は辛うじて繋がっているような状態だったが、なぜか名前は経験からそれに手応えのなさを感じていた。死んでおかしくないはずだが。釈然としない。だが、すぐに思考を切り替え、相澤を掴む手を上から鷲掴む。首が抉られているにも関わらず、化け物の手には力が入っていた。名前はそれに驚きつつも、掴んだまま反対側へと腕を曲げた。途端、筋肉質な腕がひしゃげ、ボキッと嫌な音がする。それには流石の化け物も動きを止め、片手を離した。


「……」


 その隙に敵の手から相澤を奪い、後ろへと跳ぶ。瞬間、抉られたはずのそれの首からぼこぼこと新しい肉が生まれ始めた。骨が形成され、繊維が繋がり、そして筋肉が周りを包み、元通りの姿を取り戻す。それはもはや治癒では無い。


「再生?」


 その瞬間、腕の中に重みが増す。相澤の意識がなくなったのだろう。口元に手をやると微かだが呼吸が感じられた。


「夜野さん、」


「彼をお願い」


 自分を不安そうに見つめる緑谷に名前が一瞬、ふっと笑いかけた。だがすぐにその笑顔は消え、視線が横に向く。と、同時にその姿が緑谷の視界から消えた。


「え」


 続く大きな破壊音。何かが通り過ぎたような気がして、緑谷はその方向を見た。壁は崩れ、土煙の間で白い手がだらんと垂れている。


「夜野さん!!!!」


「や、ヤベェんじゃねぇのか緑谷!アイツ、生きて…生きてんのか!?」


「…わ、分からない」


 何も答えられない。名前を殴り飛ばした改人・脳無は終わったとでもいうようにそこから背中を向け、こちらへと向かってくる。緑谷達3人は心配と再度、生まれる恐怖に固まった。


「1キル。どんどんいこう脳無」


「(どうする、どうするどうする)」


 プロヒーローが負けた相手。勝てる可能性は限りなく低い。逃げるべきだが、逃がしてくれるのか。どう動くのが正解なのか、名前の生死は。焦りが緑谷の思考を曇らせる。


「夜野―!」


 緑谷の焦りは蛙吹や峰田も感じ取っている。脳無の首を取りかけていた名前に縋りたいのと、生きているなら返事してくれという気持ちで目に涙を浮かべながら峰田が名前を呼んだ。瞬間、もう一度、崩壊音がした。そして、煙の中から呼びかけに応えるよう名前が現れ、背中を向ける脳無の頭を掴むと地面へと叩きつける。大きく地割れする地面に脳無は沈んだ。


「ダウン取ったり」


「カッケェ!!!」


 湧き上がるままに峰田が歓声を上げる。


「何キミ。君もオールマイトみたいな個性?超パワーじゃん」


「違うけど」


 平然とボスに返す名前の頭から血が一筋、垂れた。


「血、垂れてるケド。もしかして火事場の馬鹿力ってやつ?」


「残念だけど、こんなの怪我のうちに入んないよ」


 頭は血管が多く、血が出やすい。見た目に反し、怪我自体は軽いものだ。同族同士のじゃれ合いの方がまだ怪我をする。ぐいっと一度拭えば血は消え、名前は不思議そうに自分の手を見つめた。


「んん?やっぱり手応えない。もしかしてあんまりダメージ入ってない?」


 殴っても効かないなら、と名前は地面に手をつき頭を引き抜こうとする脳無の背中に片足を乗せた。そして足で押さえつけたまま片腕を取り、ぐぐぐと引く。ぶちぶちと肉の千切れる音にクラスメイト3人は顔を歪ませ、目を逸らした。が、名前は外れる関節をじっと見つめていた。


「(肉が……)」


 少し力を抜けば裂ける肉が込められる力に反し、戻ろうと合わさっていく。


「再生スピード早いね。それにどこでもできると」


 全身、弱点無し。パワーに加え、何らかのダメージ耐性すらある。どうしたもんかと悩む名前へ脳無はすぐさま治った腕を振るった。掌で弾くようにそれをそらせるが、巨大な体に似合わない俊敏な動きで起き上がった脳無の背中に長居はできず、バク転で距離を取る。その足が地面についた時、脳無がタックルでその距離を詰めた。巨体とパワーにより勢いは更に上がる。当たれば終わり、というような攻撃だったが、名前の体と重なった時、それに似合わないパンッと手を叩いたような音がした。


「んぐぐ」


 そして続く唸り声。両手を前に突き出した名前が手押し相撲のように脳無と押し合っている。単純な力比べ。逃げたパワーが地面にひび割れを作り出す。一瞬、拮抗するもじわじわと脳無の体が後ろへと下がり始める。潰してやろうとさらに力を込めれば、とうとう脳無の背が後ろへと曲がり始めた。


 パカッ


 突然、脳無が口を開いた。何本もの鋭い牙が目前に現れ、名前へと覆いかぶさるように迫る。掴んでいる手を握り潰すも脳無は止まらない。名前は咄嗟に首を捻った。


「ぐっ」


 互いを掴む手に避けきることが出来ず、肩の肉を少し食いちぎられる。脳無は口元を血で汚しながらニヤァと目元を弓形にしならせた。


「ッ笑ってんなよ」


 すぐさま手を離し、脳無の顔面に頭突きをかました。ゴンッと鈍痛の音がし、脳無がよろける。


「改人ってことは元はヒトでしょ。オマエ」


 どんな人間も脳が揺れれば平気ではいられない。よろけた瞬間に手首を返し、片方の手を離させ、横腹向かって回し蹴り。蹴り飛ばされる脳無だったが、名前は追撃をしなかった。


「名前ちゃんの腕が…」


 蛙吹の視線の先には最後まで脳無に掴まれていた片腕を抑える名前。蹴り飛ばされる間際に脳無が力づくで肩を外したのだ。一瞬、じっと片腕を見つめ、すぐさまそれをハメ直す。ガコッと鈍い音がしたが、名前は一切、痛みに顔を歪ませなかった。むしろ考えていたのは自分の弱さについて。弛んでいると言うほかない。前世以来、体を動かす機会が少なくなったとはいえ、動きが悪すぎる。被弾が多い。成長途中の体ということも関係しているだろうが、出来ることが出来なくなっている事に歯痒さを感じる。なんだか体と中身にズレがあるような。そんなもどかしさを感じた。


「あー、もう」


 そんなイラつきに自分の頭をくしゃくしゃとかき乱し、もう一度、低い姿勢を取る。向かう先は生徒3人を狙うボス。名前は一度の蹴りで跳ぶと体を3人とボスとの間に滑り込ませた。伸ばされた腕を取るが、ボスの指先が少し名前の腹に触れる。何故かそこが土塊のようにボロッと落ちた。


「すごい個性持ってんね、オマエ」


 個性自体が物珍しい名前は興味深そうにそう言った。アドレナリンが出ている為、痛みはない。


「キミ、何?」


「兎」


 ボスの腕を握り潰し、背後の4人から距離を取らせるよう放り投げる。


「ねぇ、このオモチャ誰にもらったの?」


「は?」


 突然、話し始める名前に全身に手を着けた男が首を傾げる。すると、名前はボスをバカにするように、ハッと挑発的に笑った。


「子供狙いの小物野郎の手には余るって言ってんの。本物のボスは?それとも優秀なブレーンがいるの?」


「脳無ッッッ!!」


 爆発したかのように突然、怒るボス。子供の癇癪のようなそれに従い、強力な力を持った改人が向かってくる。どう見てもボスの力量と見合っていない。ボスの方を先に倒すべきなのは明らかだが、脳無は名前に狙いを定めている。今の自分では手に余るが、かと言って生徒の大半は敵を間近に見るのは初めて。期待は出来ないどころか、期待する訳にはいかない。名前には基本的に子供は庇護すべき存在という認識があった。名前に向かって脳無の拳が迫る。腕で防御するが、肩の肉が削げている為、思ったより力が入らず、体が浮いた。そのまま吹き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がる。止まった先で仰向けになると誰かの足が頭上に見えた。立ち上がろうと地面に手をつく名前をその内の1人である切島が引き止める。


「もういいって夜野!お前、マジで死ぬぞ!」


「へーきだよ。キリシマくん?とばくごーも無事で良かったね」


「いや、お前は無事じゃねぇよ!?」


 ぐっと体に力を入れ、勢いをつけると名前はくるくると空中を回転しながら着地した。その様子はまるで怪我なんてしていないように軽やかだったが、ポタと垂れた血に一度、二人の目が向く。爆豪は何か言いたげに、だがじっと黙って名前を見つめていた。その間にも正面から追撃を加えようとまた脳無が迫り来る。背後の2人に近づかせるわけにはいかず、名前はあえて距離を詰めた。パワータイプ同士、力比べじゃそうそう勝負はつかない。スピードもだ。ならば何が勝負を決めるか。それは経験である。


「場数が違うよ。オマエとじゃ」


 名前は繰り出される拳とタイミングをずらして脳無の懐に入り込むと膝を曲げ、その鼻っ面に踏み込むような蹴りを入れた。痛みを感じないらしい脳無は自身の顔面に置かれた足を気に求めずに、それを掴み、力を込める。ボキッと木が折れたような音がした。だが、名前は歯を食いしばるとまだ顔面を捉えたままの足に力を込め、踏み潰すように地面へと叩きつけた。


「いい加減、寝てろ!!」

 
 しゃらくせえ!とでも言うように名前がそう吐き捨てた時、待ち望んでいたヒーローが現れた。


「もう大丈夫。私が来た」


 瞬きの間に蹴破られた扉の前から移動したオールマイトが相澤を含めた生徒4人をあっさりと回収し、脳無の上にいる名前をも移動させた。そして察する。目の前の少女が相澤が気絶した後も脅威と戦っていたのだと。


「君が食い止めていてくれたのか」


「そんなつもりはなかったけど多分、そう」


 血が目に入らないよう片目を瞑る名前の姿を見る。肩の肉は一部削がれ、お腹の肉も崩れている。その上、足の骨は完全に折れていることがわかる程の色をしていた。どう見ても重傷、満身創痍と言ってもおかしくないほどの怪我だが、名前はなんて事ない怪我のように自身の足で立っていた。そういう個性だろうか。オールマイトは疑問に思うも、今は談笑してる時ではない。「君は後ろに下がっていなさい」と名前に背中を向ける。のそりと立ち上がる脳無。それを見ていた名前は手伝おうかとも思ったが、「アイツ、脳無しのくせに頑丈さだけはあるな」と親父ギャグのような考えが頭に浮かび、一度、身震いをすると、素直にそのバトンを渡すことにした。


「なんか頭回ってないや」

 
「かち割れてっからな」

 

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