壊れてそして | ナノ
■ 終わって始まる

カバンを枕にして屋上で大の字で寝そべると、自然に空を見上げる形になる。こうして見ると、自分という存在はこの大きな世界の中の一人に過ぎないんだなと、思わず哲学的な事に思いを巡らせてしまう。
はぁと黒尾はため息をついた。本日何度目のため息だろうか。
「俺の幸せは今日で何匹逃げていったのかね……」
幸せの数え方が匹であるとはどの辞書にも載っていないが、イメージとしてはため息を吐くたびに人魂のような形をした幸せがフヨフヨとどこか行ってしまうというものだった。そうしてまた一つため息をつくと、右手に持っていた一枚の紙を見つめた。
「…………」
んんんと唸り声をあげ、眉間にシワを寄せ目を細める。彼の目は元々切れ長の鋭い目である故、目を細めると悪人面になってしまうというのはここだけの話だ。と、屋上のドアが開く音がした。首は動かさず流し目でその方向に視線を向ければ、彼の幼馴染兼想い人が笑いながら近付いてきた。
「すげぇ。青春っぽいことしてるね屋上で大の字なんて」
「だろ?ハルさんも一緒に寝転がろーや」
「そうしたいのは山々なんだけど私スカートだからなぁ。」
そう言って笑いながら黒尾の横に座る春瀬。すると黒尾は上体を起こして、カバンを探り始める。何をしているのかとしばしその様子を観察していると、その中からよく見慣れた赤いジャージの上着が出てきた。
「ちゃらららん、クロえもんのブランケット代わりジャ〜ジィ〜〜」
「知ってたかい鉄朗よ。今のチビッ子達にはもうのぶ代ドラちゃんのネタは通じないんだぜ……」
「やり切れねぇ話だな…」
2人して神妙な顔つきだが、別に大して深刻な事は言ってない。春瀬は礼を言ってそれを受け取り、自分のリュックサックを枕にして下半身に彼の上着をかけた。こうして見るとやっぱり自分より大きい身体をしているんだなということを実感する。そして黒尾がジッと見つめる紙に気付いて苦笑し、寝転んだ。
「やっぱりそれで悩んでるの」
「うぇ〜い」
それ、の正体は進路調査書≠ナあった。自分の志望大学を三つまで絞ること、来週までの提出のものだ。勿論春瀬もその紙は貰っていた。
「…………ハルさんは、」
「んー?」
「もう書いたんですか?」
「まっかーさ」
「連合国軍最高司令官」
「うぇーい。まさか。書いてないよ」
「だよなー。お前絶対担任から提出期限守れよって何度も言われたクチだろ」
「ぐぬぬぬ、否定したいけど大当たりなとこがぐやぢい」
「ひゃひゃひゃ」
笑いながらも、黒尾の心はあまり晴れたものではない。春瀬は何となくその感じを察したのか、自ら口を開いた。
「まず、大学行こうかどうかも迷ってる」
「……まじ?」
「まじ。目的がないまま大金はたいて学校行ってもなぁって。将来の夢とかもないし」
「ふぅん」
もし、春瀬が大学に行ったとしても、行かなかったとしても、どちらにせよ自分達は離れてしまうのだろうかと黒尾は思う。毎日のように顔を合わせていたこいつと、たまにしか顔を合わせられなくなるのか。そこまで思って黒尾はハッとした。
「いやだからそれまでに俺のもんにしちまえよ馬鹿か」
「えっ何怖い」
「あぁ悪ぃこっちの話。」
心の声のつもりがそのまま出てしまって少し気まずくなる。その気まずさを隠すように、黒尾を言う。
「お前、保育士とか向いてんじゃねーの」
「え、」
「後はそうだな、看護師とか、カウンセラーとかな。」
「……適当に言っているわけでは、」
「ねーよ。結構前から思ってた。お前人にめちゃくちゃ懐かれるし、世話焼くのも上手じゃん」
「世話焼きはクロも負けてないと思うけど」
「今は俺の話じゃないですぅ。それに1番はさ、人の話聞くのすげぇ上手いところ。聞き上手っていうのは立派な特技だぜハルちゃん」
「んー……なんかめっちゃ褒められてて恥ずかしい」
「かわいいかわいい」
「ばか野郎。でも、そっか。……そんな風に見えてたりするのか」
他人から見た自分の評価というものはなかなか聞けたものではない。自己分析をするとなるとどうしても短所の方に目についてしまったりする、だから黒尾のその言葉に春瀬は素直に嬉しくなった。
「いちお、色々考えてみる」
「おー」
「だから私も言うけど」
「ん?って、おい」
春瀬が横を向いて黒尾の手から紙を奪い取る。なんだよと思わず上体を起こせば、
「クロはこっちじゃなくて、こっちで悩んでるんでしょ」
「………」
彼女が指を指したところ。それは、志望大学を書き込むところの下の欄、部活動継続調査≠セった。図星だというように、黒尾は目を逸らした。ついこの間、音駒高校男子バレー部はインターハイ予選で負けた。部活をしているほとんどの三年生はインターハイで引退する、そして受験生になるのだ。しかしバレーボールには、春の高校バレーという大きな大会がまだ存在していた。
「くーろぴん」
「………」
よっこらしょ、ふーやれやれとババくさい言葉を溢しながら春瀬も身体を起こした。そして黒尾と向き合う態勢をとった。
「残りたくないの?」
「残りたくないわけではない。むしろ続けたいですよ」
「じゃあ何にそんな怖い顔してるのさ」
彼の眉間に指で突つく。そういう春瀬の行為に珍しく抵抗はしなかった。
「………なんだろな」
「なんでしょーね」
「どうしてかね」
「どうしてかしらね」
「ハルの俺が言った言葉をそのまま返すとこ好きだぜ」
ブスリと眉間に爪を立てられる。激痛とまでは言わずとも地味に痛く、すみませんでしたと大人しく謝った。
「お前はどう思う」
「なにが?」
「俺達三年が春まで残って、辞めて、すぐ次年度になるだろ。それまでに新体制が整う時間ってあるのか」
「……」
「それと前から決めてる。俺は大学に行く。…その受験への負担はどうか。」
「クロ実は凄い現実的な男だからねぇ」
「そーだよ。俺は熱男黒尾であり、その一方先の事を見据える現実男黒尾なの」
春瀬の両手を握って、ぶらぶらさせる。どうしたものか〜どうしたものか〜と適当な歌詞にリズムをつけながらその手を揺らす。
春瀬はしばし考えた後に口を開いた。
「最初の方は、クロが思ってるだけかもよ」
「ん?」
「昨日また偶然灰羽君に会ったんだけど、三年生と春高行くって騒いでたし、他の子達もそれで燃え上がってるらしいし。春後でも新しいチームどーにかなるんじゃない、多分」
「多分」
「むしろ後輩ちゃんのこと考えるならさ、春までもっと鍛えてあげた方が素敵先輩なのかもよ。今のメンバーは今だけなんだろーし。世界にひとつだぁーけのぉチィ〜ム」
「ド下手〜」
「音痴でわるぅございましたぁ。で、後者だけど、そこは黒ぴ、」
「ん?」
「私はわかんない」
好きなようにさせてた手に急に力を入れた。その握力に思わず黒尾も揺らしていた手を止めると、その手はそのまま春瀬に包み込まれた。
「なんと」
「なんと?」
「私はクロじゃないんだよ…」
「そだね」
「だからここで、クロなら部活と勉強絶対両立できるよ!って言うのはなんかアレなソレな」
「……」
「でも怒るかも知れないけど言いたいのはさ、あ、怒る?怒られるのやだ」
「怒んねーよ。なに」
「………現実男黒尾はさ、マジで受験が危ないと思ったらこんなに悩まないで即刻引退決めると思う」
「………」
「悩んでるってことはさ、熱男黒尾が優勢だったりしてるんじゃないかなって。」
「………そだなー」
「でも現実さんがちっーちゃく、クロの心邪魔して、煮え切らないのかなと。間違ってたらほんとにごめん」
「や。合ってるよ。」
「おお」
「煮え切らないだけ。ほんとはめちゃくちゃ今から体育館行きたい。……いつも通りジャージとか、部着持ってるくらいだしな。」
ねこま、と書かれた自分の赤いジャージを見つめる。シューズ、サポーター、テーピング。その全てがまだ出番を待っているかのように彼のカバンの中にいる。
(ーーー続けたい。)
その言葉が頭の中で反芻する。
(もう一度コートに立って、あの緊迫した雰囲気を、熱情を、仲間と戦う楽しさを味わいたい)

「春瀬さんが、」
「………あ?」
「春瀬さんが!背中を押そう!」
「あ?え、っおまっちょ」
手を離したと思えば春瀬が黒尾の進路調査書におもむろに何か書き込む。持つペンは油性ペン、その筆先に印を付けた所は、部活動継続「はい」の欄だった。黒尾は固まってそれを見る。その紙を彼の目の前に突きつけて、春瀬は笑って言った。
「どっやっさっ」
「いやどやさっじゃねーよ。…あーあー何だこれ、なんつー熱意溢れるチェックマーク。」
「油性ペンだからね」
「そーだね」
黒々しく、太く、はいという文字を力強く丸で囲まれている。なんだこの確固たる決意感はと黒尾はジワジワと面白くなってくる。
「こりゃー……ぶっ…もうこれでいくしかねーな」
「そうでしょう」
「ぶひゃひゃひゃ」
いくしかない。そう思ってしまえば案外ストンと。
なんだ、さっきまであんなにウダウダ悩んでた自分は何だったのか。少し自嘲気味に黒尾は笑う。大人達が見ればこんな悩みなんてちっぽけなもので、人生の中でも取るに足らないものなのだろう。でも大切な選択だった。
(ーーこのまま続けない選択をしていたら、その後悔が残らないわけがない)
そうだよなと黒尾は呟く。
「なーにを迷っていたのかねぇ」
迷い様がないじゃないか。現実俺なんざクソくらえと黒尾は吹っ切れたように笑った。その笑顔に春瀬も口元を緩ませる。
「まぁ個人的に言いますと」
「ん?」
「主将でバレーしてるクロ、かっこいいからまだもちっと見たかった」
だっはっはっと目の前にいる幼馴染が大口開けてそんなことを口にする。黒尾の心に今矢が刺さったのは絶対に見えてないだろう。
「…………これが一番やる気出たって俺ちょっと単純過ぎない」
「声小さくて聞こえなかった、なに?」
「話聞いてくれてありがとねハルカウンセラーさん」
「なっ、よせやい」
黒い丸が裏面にまで滲んでいる。これは絶対担任に突っ込まれるなと、黒尾は笑った。


「夜久、海、俺春高までやるわ」
「…………」
「…………」
「え、なにお前らその顔」
「俺が先に言おうとしたのに」
「って、さっき夜久が言ってたのを聞いてたから」
「あーあ、海にも先に言われたから黒尾には勝ってやろーと思ってたんだけどなぁ」
「……あら、てことはお二人共」
「いこうぜ」
「うん」
「うぇーい、こいさー」

(まだ、終わらない。終われない)
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