十二季生誕歌
*長月『曼珠沙華』*

蜻蛉の番が、よろけながら尾を曲げた姿勢のまま飛んでいく。
足元に、いや喜助の視界の半分を奪う一面のその緋色は、どこか非現実的で、今居る場所を錯覚させるものだった。

「喜助さん?」

どうしたの、と振り返る彼女の肌は白い。その彼女の柔らかな琥珀色の瞳は、何も言わない喜助を不思議そうに見つめていた。
こんな赤一色の世界ではより彼女の肌の白さが映える。赤に呑み込まれてしまいそうな風華に思わず腕を伸ばすと、くすりと笑った彼女に逆に引き寄せられてしまう。

「向こうはもっと群生してるみたい。早く行きましょう」

眼を輝かせてぐいぐいと喜助の手を引く風華の様子は、子どもが父親の手を引くそれだ。妻の愛らしい挙動に、ついふっと口許を弛めた喜助が「楽しそうっスね」と声を掛けると、前を歩く風華は「だって今しか見られないんだもの」と振り返って破顔した。

「これを逃したら、また来年まで見られないのよ?今日は快晴だし、秋空によく映えていて絶好の日だもの」

「はは、成る程ね。けど、彼岸花って苦手な人多いですよね?」

喜助が脚を止めたせいで、風華も同様にその場に留まる。

「そうね。有毒性の根を持つ花だし、花言葉も再会や別れを惜しむ言葉が多くて、あまりいいイメージはないのかもしれないわ」

夫との会話を楽しんでくれているような素振りではあるが、しかし、その秋の落葉色にも似た茶の瞳は、ちらちらと前方へ窺っている。早く行きたくて堪らないらしい。
ーーー本当に、可愛い人だ。

「有毒性ね。アナタの花と一緒ですね」

「ふふ、そうね。こんなに綺麗なのに」

「美しさだけで刈られてしまわないようにしているのかもしれませんよ」

「アナタもこれぐらい気を付けてくれたらいいんスけどねぇ」とぼやけば彼女は居心地悪そうに体ごと視線を逸らす。彼女に言わせれば、"そんなつもりはない"のだろうが、分け隔てなく振り撒かれるその柔らかな微笑みに、勘違いしてしまう輩は多い。それは夫婦となった今で減ることなく、未だに喜助の頭を悩ませ続けている。
どうにもこの手の話から逃れたいらしい風華は、喜助の手を解放すると呼び止める間もなく一人で前を歩き出した。
やれやれと嘆息して彼女の背中を追いかけつつ、天に向かってその緋色を誇っている花をいくつも摘んで片手に纏める。

「風華、」

「・・・なぁに?」

持ちきれなくなった頃に風華を呼び止める。身構えた様子で恐る恐る振り返った彼女の頭上に、それを天高く放り投げた。

「ーーーーーそれ!」

緋色の花が風華の頭上から、ゆらゆらと舞い落ちる。
自身の頭上に降り注ぐそれを、彼女は息を飲んで見詰めていた。

「誕生日おめでとう、風華」

「有り難う、喜助さん」

舞い落ちる花弁の雨の帳の中で、風華はほわりと頬を染めていた。
サンスクリット語で「天上の花」と称されるそれは、「慶事の前兆として、天より赤い花が降る」という仏教の経典によるものだ。
彼女に多くの慶事をもたらしてくれるように、そう願って振り撒いたそれが、ふわりふわりと風に舞いながら、さながら赤い紙風船のように、ひとつ、またひとつと緋色の絨毯へと着地していった。



ーーーーーー帰りの道すがら「でもね、喜助さん。あんなにたくさん、しかも無断でお花を摘んじゃいけないわ」と妻にたしなめられたことは、また、別の話である。


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『曼珠沙華』
想うはあなた一人
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