五月雨柏手
『もっと頼って?』


食後の水物としてよく熟れた梨を堪能した後。
甘露をたっぷりと含んだその梨の甘さに反比例するような苦味の強い緑茶を啜りつつ、喜助は向かいに座る女性に視線を戻した。

「―――ボクって、そんなに頼りないですか」

湯飲みの茶葉の具合を見ていた風華は、きょとんと呆気に取られた顔をしていた。

「全然アナタが甘えてきてくれないから、そうなのかと思って」

「そんなことないです!喜助さん以上に頼りになる人なんてそうそういません」

友人や、姉のように慕う上司以上に頼りにしてるんですから、と微笑みつつ茶のお代わりを勧めてくる彼女の前に湯飲みを差し出す。
白い湯気と共にほわりと茶の香りが立ち上るそれを口に含んでから、もう一度問い掛ける。

「なら、もっと甘えてくれていいんスよ」

「また、そういうことを、」

「勘違いしてるみたいですけど、」

相変わらずこういうところは全く察してくれない風華には、はっきり言葉にして伝えるより他ない。
そういうところも含めて、風華に惚れ込んでしまった訳だが、それとこれとは別だ。
喜助にだって恋人に頼られたいという男としての矜持がある。
こんなことを自身の方から口にさせられている時点で、とても頼りにされているとは思えないという事実には素知らぬ振りを決め込む。

「こんなの、アナタにしか言いませんよ」

肩を落とし、半ば諦めつつ続けた言葉でもまだ足らないらしい愛しい人は「こんなの、って?」と小首を傾げている。
どうにも上手く伝わらないもどかしさに落胆しつつも、そんな仕草ひとつでどうしようもないぐらい愛しさが込み上げてくるのだから、本当に『恋心』とは厄介な感情だ。

溺れるほどに潜っているはずなのに、まだ底が見えないとは。

「そりゃ隊の娘にも“困ったことがあったらいつでも相談してくださいね”ぐらいはいいますけど、“甘えていいよ”なんて、いくらボクでも言いませんよ」

「そう、なんですか」

ようやく話の意図が伝わったことに安堵しつつ、また茶を啜る。先ほどより苦味が薄れたように感じるのは、梨の甘さが抜けたからだろうか。

「当然じゃないっスか。赤の他人のことにそんなに時間も手もかけれないっスよ」

「え、っと、」

「だから、アナタだけですよ」


―――僕にとって、貴女は特別な女性だから。


その想いが少しでも伝わるようにと努めて柔らかな声で告げる。
しかし、彼女は申し訳なさそうに肩を縮こませて「周りにもあんな態度なのかと思ってました」と呟いた。

「・・・という訳で、はい、ドーゾ♪」

そんな風華の前で、喜助は両腕を広げてみせるが、彼女は慌てて勢いよく顔と手を左右に振る。

「そんな、いいです!」

「ボクが甘やかせてあげたいんスよ。十数える間に来てくれないとコッチから行っちゃいますよ?いーち、にーい、さーん、」

「でも、」

「よーん、ごーろくななはちきゅうじゅう!ハイ残念、時間切れ〜」

「!?今のは狡くないですか!」

「えー?ちゃんと数えましたよ?」

「もう、浦原さん!」

「だぁって、こうでもしないと甘えてくれないじゃないっスか」

卓袱台の向かい側に座る彼女の背後に素早く回り込んで、よいしょ、と彼女を体を膝の上に抱き抱える。

腰に腕を回してしまえば、ほら、もう逃げられない。

「それと、これはボクのことを名前で呼んでくれなかった分のお仕置きっス」

彼女の額に小さく口付けを一つ落とし、口角をつり上げてにんまりと破顔すると、これ以上は無駄な抵抗と諦めたらしく、風華はようやく大人しくなった。


「前、ひよ里サンに言われたんスよ」


遠慮がちに、けれど徐々に体重を預けてくる彼女。
その風華の頭を幼子をあやすようにぽんぽんと撫でる。

「“風華を泣かせたら承知しない”って」

ひよ里ちゃんが、と桜色の唇から漏れた声は、驚きと嬉しさを滲ませていた。

「そうっス。あの時にこれはいよいよ何かあったな、と思って迎えに行ったら、髪をバッサリ切ってるんスもん。驚きましたよ」

あれはまだ風華と恋仲になる前に、初めて二人きりでの食事に誘ったときのこと。
定時より僅かに早く仕事を片付けるなり、急いで身支度を済ませて迎えに行けば、出迎えたのはばっさりとその長い髪を切った彼女だった。

その日の昼前に技術開発局で会ったときには、その腰に届きそうな程にふんわりと揺れる薄茶色の髪があった。
それが、彼女の顎先程までの長さに切り添えられているのを見たときに、驚き、そして―――後悔した。

「え、やだ、知ってたんですか!?」

ぱっと面を上げた彼女の頭から、間一髪手を引いた。
危うく彼女の鼻先に手を置いてしまうところだった。

「わざわざ本人達に聞いた訳じゃないですよ。ただね、隊員同士のいざこざは把握しておかないと、後々問題になるじゃないですか」

それは何も、死神である隊士に限ったことではない。
親友の邸宅で片時も素顔を晒すことなく主に尽くす忠実 な近侍達から、近所の甘味処でいつも笑顔を絶やさない看板娘に至るまで。
例えどんな人物であっても、生きていく以上、必ず人間関係というものは存在する。
自身にはないものを持った相手に惹かれ、求めあう。
己が“個”を持つが故に。
だが、求めるどころか、相容れずに疎外し、敵対することもある。
それもまた、己が“個”を持つが故に。

「だから、風華サンのことも気付いてたんスよ」

自身が懇意にすることで、彼女が嫌がらせを受けていたことは知っていた。

「そうだったんですか」

「風華サンが相談してくれたらどうにかしようと思ってたんスけど、アナタは何にも話してくれないし。だからボクも知らない振りをし続けるしかなかったんスよ」

本当は、根掘り葉掘り聞き出してしまいたかった。
聞き出す方法は幾らでも思い付いたし、実際、何度も声を掛けようとしていた。

けれど、喜助は最後まで行動には起こさなかった。

まだ恋仲でもない己がそこまで個人的に彼女に肩入れすべきではない、という判断を下したからだ。他でもない、喜助自身が。
そして、その判断を下したが為に、ひどく後悔した。
結果として、風華に余計な心の傷を負わせてしまったのだから。

「浦原さんが気にかけてくださっていただけで、私には充分です」

真面目な彼女らしく、呼び名もそのままに膝の上で「ご心配お掛けしました」と首を下げた。
その風華の顎先に手を掛けてこちらを向かせる。

「だから、そうじゃなくて」

上を向かされた琥珀色の瞳には、ひたりと見つめる男の姿が映り込んでいた。

「甘えてほしいんです、ボクが。もっと、頼ってほしいんスよ」

「もう充分ですよ」

「何言ってるんスか。風華サンたら、い〜っつも遠慮して、全く我が儘とか言ってくれないじゃないですか」

罪滅ぼしというつもりはないが、せめて、自身の目の届く範囲では、もうこれ以上彼女には傷付いてほしくない。

「女性はもうちょっと色々あるでしょうに、ぜーんぜん話してくれないんスもん。ひよ里サンや夜一サンには話してるみたいですけど?」

他の誰かは当てにするというのに、喜助には相談がない―――まるで除け者のような扱いは納得出来ない。

もう彼女は、喜助だけの恋人なのだから。


「浦原さん、それって・・・」

またも名前を呼んでくれないことに唇を尖らせたまま振り返ると、何かに気付いたらしい風華のそれと視線がかち合ってしまった。

「それって、もしかして・・・妬いてらっしゃるんですか?」

「・・・」

「浦原さん」

「・・・・・・」

名前のことなど指摘するのも忘れて、たっぷり十数秒は沈黙したままの男の掌に、彼女のほっそりとした、けれど柔らかな指先が重ねられる。

「ねぇ、喜助さん、」

「最近、アナタに弄ばれてるんじゃないかって思うんスけど」

何故そういうところだけは察しがいいのか。
普段もこのぐらいの推察眼を養ってくれたらいいのに。

そう喜助が切に願っていたとは露とも思っていないらしい腕の中の愛しい女性は、「そんなことありません」と否定して、またその蜂蜜のようにとろりと艶めく瞳を向けてくる。
“どうなんですか?”と。

「お察しの通りですよ」

胸の奥に留めていた空気を深く吐き出す喜助を他所に、風華は何やら嬉しそうに頬を染めてくすくすと笑っている。

「ふふ、可愛い人」

「ねぇ、風華サン。アナタ、男が可愛いって言われて喜ぶと思ってるんスか」

「いいえ?」

当然でしょうね、と言わんばかりに平然と否定した風華は、しかし、その舌の根も乾かぬうちに同じ言葉を繰り返す。

「でも、普段冷静で、切れ者で、掴み所のない貴方が、私のことでこんなになってくれるところが、可愛いらしいって思えるんです」

まるで年下の少年にでも告げるような科白を聞いて、どう喜べというのだろうか。
対する彼女はお構いなしに詠うように言葉を紡いでゆく。
膝に抱えたのは他ならぬ自身だというのに、喜助はその存在から視線を外してしまう。


「“この人はなんて可愛らしくて、そして、なんて愛しいのだろう”と思ってしまうのですが、」


耳朶に触れた、蜂蜜よりも甘く優しい言葉に、思わず腕の中の女性へ振り返ってしまった。


「それでは、ご不満ですか?」


すべては、貴方が愛しいから。
そんなことを言われては、納得せざるを得ないではないか。


「・・・降参です」


甘やかすつもりが、とろりと甘い蜜に浸されてしまったのはどうやら喜助の方らしい。

気付けば苦笑して諸手を上げていた。
そんな喜助の膝の上で、彼女はくすくすと微笑んでいた。

その頬を薔薇色に染めたまま。



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