鈍色の歯車
最近この地区を担当することになったという彼はまだまだ新米のようで、喜助の思惑通り、『浦原喜助』はおろか『現世に追放された死神』がいることすら知らなかった。
そうして、新米故に、慣れない現世での派遣生活に苦労しているようで、負傷していたところを偶然を装って近付いた。
初めこそ怪しんではいたものの、虚ではないことから、とりあえず敵ではないと判断したようだった。
風華が怪我を治癒し、薬湯を用意した。
それを口に含み、礼を述べながらも彼は渋面を作った。
『ところで、なんで、あんたら、そんなに詳しいんだよ?』
『なんでって、もともとアタシら護挺の皆サン相手に商売してたんスもん』
扇子で口許を隠したまま、平然と告げる喜助をまじまじと男は見返した。
『・・・へ?』
『ほら、なんでしたっけ、えーと、技術なんとか』
ぱちんと扇子を閉じて、なんだったっけ、と喜助は首を捻る。視線で横に並んで正座している風華にも話を振るが、それに対して、布団の上で薬湯を啜っていた男が先に答える。負傷した利き腕を庇うようにして、空になった湯飲みを傍らの盆に置いて、彼は傾聴の姿勢をとる。
『ああ、技術開発局か?』
『ああ、確かそんな名前でしたっけねぇ。・・・いや、そこの局長サンとこで、使ってもらう資材の取り寄せなんかしてたんスよ』
詳しくは企業秘密なんで言えませんけど、と喜助がまた開いた扇子で口許を隠している。
嘘をつくときには、ひとつの真実を混ぜる。
真実から離れすぎず、かつ、真相を探られにくいようある程度の距離をもって。そうすることで信憑性が増し、相手を騙しやすい。
風華は詳しく知らないが、技術開発局で取引していたところがあるのは本当のことだという。護挺内で作成する資料一つにしても、その紙を用意しなければならないのだ。それを死神自身が作っている訳ではない。外注している取引先があるのだ。考えてみれば当然のことなのだが、疑問に思ったことがなかった。喜助曰く、『死神は高尚な存在だからね、誰かの力を借りてるなんて認めたくないんスよ』だそうだ。役所仕事過ぎるのも如何なものかというのがそれを聞いたときの風華の正直な感想である。
『へぇ。でもなんだって今現世にいるんだよ?』
『まあ色々あったんスけど、ちょっと揉めまして、ね?』
『ふーん、』
信じこんだ訳ではないようだったが、あまり踏み込む話でもないと判断したのか、はたまた関係ないと割りきったのか、男は曖昧に頷いた。
『・・・なあ、ってことは、あんたらだけじゃないってことか?』
『お兄サン鋭い!』
ぱちん、と扇子を閉じて、彼の鼻先に突き付ける。
驚いて仰け反る男に、彼は更に詰め寄る。
『仰る通り、アタシらの他にも現世に逃げてひっそり暮らしてる仲間がたくさんいるんスよ!本州をはじめ、北は北海道、南は沖縄はては離島まで!!』
喜助の勢いに推されて、引き気味に頷きながらも死神は彼から体を離して、風華に視線を向ける。
『へ、へー・・・、奥さんも大変だな』
『いえ、もう起きちゃったことは仕方ないですし』
風華が笑って告げると、男は額に手を充てて苦笑した。
『はは、いつの時代も女は強いねぇ。あんたもしっかりしなよ』
『だいじょーぶっスよ、貴方が黙っててくれれば、ね?』
『どうすっかなぁ。反乱分子としてしょっぴくことも出来るよなぁ?』
『そんな無体な!そんなことしたら貴方が怪我して民間人にお世話になった恥さらしだって死神の皆サンに広めますよン?いいんスか?』
こっちには全国各地に仲間が居ますからねぇ、と怪しく嘲笑う喜助の言葉に彼は一転顔色を悪くした。
『う、・・・それは、困る』
『デショ?だからここはお互いの為に、黙ってるのが得策なんじゃあないっスかねぇ?』
『・・・交換条件かよ』
『如何デショ?』
『分かったよ、黙ってりゃいいんだろ』
『くれぐれも内密に』という喜助との口約束を交わす羽目になった男はまた渋面を作って、風華が注ぎ足した薬湯を啜っている。あれだけ飲めば明日にはよくなっているだろう。
『あ、そうそう、お客サン。はい、』
『なんだよ、この手?』
飲み終えた頃合いを見計らい、喜助は手の内側を表にして掌を差し出した。
『いやだなぁ、なに惚けちゃってるんスか』
にたにたと笑いながら手をひらひらとさせる喜助を彼は睨み付ける。
『だから、なんなんだよ!』
『お代っスよ、お・だ・い♪』
『・・・・・・・・・』
たっぷり数十秒、彼はぽかんと口を半開きにしていた。
『・・・・・・は?』
『だから治療代っスよぅ。まさか、タダだなんて思ってないっスよね?』
『・・・いっ!?何いってんだよ!?人助けは好意でやるもんだろ!?』
『さすが死神をやってるだけある!なんて高尚な考えでしょう!アタシ感動しちゃいましたよ!ねぇ?』
ぱしん、と閉じた扇子で勢いよく喜助は自身の膝を打って、大袈裟に誉め讃え、風華を振り返る。
目深に被った帽子の奥で妖しく光る翡翠の瞳が『ボクに合わせて』と告げている。
『ええ、本当に!そんなことを普通に出来るなんて素晴らしいことね。ああ、でも、どうしましょう、私達・・・』
『ええ、ええ、分かってますよ!大事な奥さんを飢え死になんてさせやしませんよ』
わざとらしく手と手を取り合う夫婦の茶番劇に頭を抱えて、彼は叫んだ。
『分かったよ!払えばいいんだろ、払えば!この強欲商人め!』
『まいどありー♪』
『ごめんなさいね、死神さん。でも私達も生活があるから』
ぎりぎりと奥歯を噛み締めている男に謝罪しておく。
あまり印象を悪くしすぎる訳にもいかないだろう。
『・・・・・・もういいって、奥さん。どうせもう来ないし』
『ええー、そんなこと言わずにいつでもいらしてくださいよン』
『いやだね。どうもあんたらと関わってるとロクなことが無さそうだ』
あれから数ヵ月。
ああ言っていた彼は結局、関わらないどころか週に二、三日のハイペースで浦原商店に顔を出すことになっていた。
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