鈍色の歯車

平日の昼間は閑散としている。

駄菓子屋が騒がしくなる時間など夕方の一時だけで、それ以外は対してすることもない。
喜助はもう起きただろうか。まだ眠っているのかもしれない。
もう一人の同居人は先程夕飯の買い出しに出掛けてしまったばかりで、風華は一人、時間をもて余していた。

店先は春の麗らかな陽射しで明るいものの、店内は照明が必要なほどに薄暗い。まるで外界から切り離されているように。
つい襲いくる睡魔に瞼が下がる。
彼女は口許を手で覆いつつ、小さく欠伸を噛み殺した。
昨夜、正しくは今朝方に彼と睦み合い、日が昇りきった頃に仮眠を取っただけでまだ眠り足りないのだ。


ここ数年、現世にきたばかりの頃のように、喜助が何日も研究室に閉じ籠ることは少なくなってきた。
それはいい傾向だと思う。

近頃は風華の買い出しにも付き添うになってきた。
それもいい事だ。やはり部屋に籠りっきりでは心身ともによくないと彼女は考えている。昼間に日の光を浴びて体を動かす方が頭も冴えるだろう。それでなくても頭を使いすぎているのだから。
そして、極力風華が一人で褥に潜り込むことがないように気を遣ってくれているのか、体を重ねる時間が増えている。
飽くことなく何度も求められることは、純粋に愛されているのだと実感できる上に、義骸とはいえ、直接触れあうことで彼の体調の変化にもいち早く気付くことが出来る。
だから、それにも不満はないのだ。

そう、不満はない、と言いたいのだが。

はぁ、と風華は溜め息を吐き出した。
誠に残念なことに、不満は、ある。
ここ連日、朝起きれなくなってしまっていることだ。
以前までは、いつも鉄裁が朝食を準備している間に風華が洗濯物を終わらせていた。
だが、今は起きる頃には朝食の準備どころか洗濯、はては店先の掃除まで鉄裁が一人で済ませているのだ。
今日も風華が起きた時間は既に昼前で、居間に下りると鉄裁が午前にすべき家事をすべて終わらせて買い出しのメモを取っているところだった。
大柄な体格に似合わず、実に几帳面な字が連なっている。
それはまさしく、実直な"鉄裁と"いう人柄を顕しているような文字だった。



『鉄裁さん、ごめんなさい!また、』

『いえいえ、構いませぬぞ。風華殿もお疲れでしょう』

『そんな、私は・・・』

『風華殿には、店長の相手という大事な勤めがありますからな。致し方ありますまい』

『すみません、』



先程の会話を思い出して、風華は一人頬を赤くする。
彼は笑っていたが、どうにも憐れみのようなものを感じてしまって余計に恥ずかしい。
なにせ言外に『体を大事に』と言われてしまってようなものだ。

同居しているのだから、それはもう喜助がどれほどに彼女を全身全霊で愛しているかなど彼には筒抜けだろう。
『アナタの可愛い啼き声を誰かに聴かれるなんて、そんな勿体無いこと出来ないでしょ?』と冗談なのか本気なのかいまいち判別しづらい甘言でもって、喜助は自室には結界を張ってくれている。これに関してはある種のマナーでもあるから、当然といえば当然だが。
しかし、そうは言っても、それでも一つ屋根の下に恋仲の男女が共にしていて、さらに連日起床時間が遅れているともなれば、お察しである。


「これじゃ私がもたないわ」

ぽつりと呟いて、また溜め息を一つ。
ふと、そこで、最近覚えた霊圧の気配を感じて顔をあげる。

麗らかな昼間に似合わない時代錯誤の黒衣に身を包み、刀を携えた男が軒先をくぐったところだった。
濡れ羽色の長めの髪を低い位置で一纏めにしたその男は、風華と目が合うとにこりと笑いかけてきた。

「こんにちは、浦原さん。旦那、今いける?」

「いらっしゃい、桑折さん。どうぞ上がって下さい」

促すと「じゃお言葉に甘えて」と彼が草履を脱いで居間にあがる。小さな卓袱台の前に正座した彼に茶を用意する。

「すいません、奥さん。わざわざ」

「いいえ。主人、昨夜遅かったものだから、まだ休んでて・・・少し待ってて下さいね」

「分かりました」

ずずっと茶を啜って彼は一息ついている。

初めて会ったときから、喜助の妻だと名乗る前から認識されているのでそのままにしている。実際そのような立場にいるのだし、関係を説明するとすれば『夫婦』と名乗ることが一番手っ取り早いからだ。
近隣の住人からもすっかり『浦原さん』やら『浦原さんの奥さん』と呼ばれなれてしまって、風華自身も喜助のことを外で呼ぶときに『主人』やら『ウチの人』だなどと一端の女房としての呼び方に慣れてしまった。
布団に転がってそんな話をしたときは『風華はなかなか演技派なんスね。ボクも騙されないようにはしないと』と彼は笑っていたけれど、そんな彼の方が余程演技派だと風華が内心舌を巻いたのは数ヵ月ほど前のことだ。



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