賽は投げられた
夜一の話では喜助だけでなく、現世に逃亡した全員が亡き者として処理されているらしい。
霊圧も遮断しており、捕らえようもないのは確かだが、何も風華までそのような扱いをする必要はなかったはずなのに。けれど、この点に於ては己の考えが甘かったのだと思っている。
彼女自身が察していたように、置いてきてしまえば、恐らく彼女も獄中でその生涯を終えていたのだろう。自身の預かり知らぬところで、しかも何の罪もない風華がただ喜助と恋仲だったというだけで獄中でその生を終えていたなどと、想像するだけで四肢を引き裂かれてしまいそうだ。
「此方に来てから二十年ぐらいっスか。たいして彼の手下も来やしない。だから、こちらからも気付かれない程度に接触を図ってやりましょう」
「しかし、わざわざ此方から接触を図ることもないのでは」
鉄裁の意見は最もだった。
最小限の接触のみで済ませてもいいのではないか、
夜一以外の者まで接触を図る必要はないだろう、と。
だが、そうもいかない理由がある。
「それなんですが、」
喜助は一度瞼を伏せて深く息を吐き出した。
「残念ながら、まだ崩玉の破壊には至っていないんス」
「お主が作ったのであろう?」
そう告げる親友も、苦虫を噛み潰したような苦悶の表情を浮かべている。
批難されている訳ではない。
「ハハ、そうなんスよ。なのに、壊せないなんてね」
「喜助さん・・・」
既に何度も試みている。
だが、破壊する糸口さえ掴めないのだ。
どうして造る前に、もう一度だけ考え直さなかったのかが悔やまれる。
けれど後悔ばかりしていても、埒が明かない。
よって喜助は彼なりに別の手段を講じている。
「それで、今考えてるのが、義骸に崩玉を融合させる方法です」
「融合?」
「そんなことが」
皆一様に目を丸くし、信じられないという視線を向けてくる。
「まだ机上の空論段階ですが、融合させる義骸は作れます」
「すごい、」
風華が感嘆の息を飲む。研究者ではないのだろうが、知識欲の高い彼女がいくらか瞳を輝かせていて微笑ましい。
その感情の赴くままに笑い返して、けれど、すぐに表情を引き締め直して、喜助は続ける。
「ただ、その義骸をそのままボク達が使うのも危険ですし、行方を眩ませてしまいたい」
「つまり、その犠牲になる死神が必要ということか」
「その為に死神から接触せざるを得ない状況を作りたい、という訳ですな」
納得しているかどうかは定かではないが、喜助の考えについては理解を示した後に夜一と鉄裁は考え込むように低く唸っている。
「まあ、そんなわけで、あえて分かりやすく、お店でもやりながら待ちましょう」
「そんなに堂々としたやり方でいいんでしょうか?」
「堂々としてる方が、返って怪しまれないもんっスよ」
背後に片手をついて、卓袱台から体を離し、背中を反らせる。卓袱台に前屈みになっていたから背筋が強張っている。
「して、店とはどのような?刀鍛冶でもしますかな?」
また茶の御代わりを注ぎながら鉄裁が問う。
確かに直接死神とやり取りするならそれもいいだろう。
だが、あくまでも『秘密裏』に動く必要がある。
「いや、現世の人がもっと普通に寄れるような店がいいんスよ。ね、風華サン?」
「はあ」
同意を求められた風華が、皆目検討もつかないとばかりに首を傾げている。
「駄菓子屋にしましょ♪」
「駄菓子屋、さん?」
小首を傾げる風華はなんと可愛らしいのだろう、などと余計なことをつい考えてしまう。
いつまで経ってもこういう幼子のような仕草が抜けないところは、彼女の良さでもあり、また悪癖でもあるのだが。
「そう、風華サンの大好きな」
「え。あの、私、別に」
「えー、だってアナタ、いまだに金平糖あげたら喜んでるじゃないですか。子ども向けのお菓子ですよ、あんなの」
「あ、あんなのって」
「ええい、そういうのは後にせんか!お主らの痴話喧嘩に付き合ってやれるほど、儂も暇ではないわ!」
「ご、ごめんなさい」
声を荒げる夜一の気迫に圧されたのか、先に風華が謝罪してしまったので、喜助はへらりといつもの愛想笑いを浮かべるだけで済ませた。
「駄菓子屋でよいのか」
「ハイ、」
そんな喜助の態度が気に食わないとばかりに、夜一は鼻を鳴らしている。
それには取り合わずに問われたことだけに答えようと、すっかり悄気てしまった風華の頭をぽんぽんと撫でつつ口を開く。
「動物や子どもは霊感が強いもんっス。現世の大人と関わるより、子どもと関わった方が、仕入れやすいこともあるんじゃないかと思いましてね」
「成る程。確かに霊感の強い子が虚に襲われやすいというのは一理ありますな」
鉄裁が顎をさすりながら、大袈裟な程に首を縦に振っている。
風華が此方にすっとその薄茶の瞳を向けてきたので、それに頷いてやる。
「そういう子どもに目をつけておけば、」
「その子が襲われたときにも対処しやすい」
先回りして、虚退治にやってきた死神と接触を図ることも容易い。
「はあ、毎度毎度お主の考えには度肝を抜かれるわ」
「夜一サンが度肝を抜かれるなんてあるわけないでしょ?一番肝っ玉が座ってる悪の親玉って感じ・・・スイマセン、冗談っス」
黒猫が黄金色の瞳をギラギラさせて此方を見詰めながら背を屈めたので、両手をあげた。
黒猫というよりも、黒豹が獲物を狩る体勢に近い。
そういうところが親玉のようだと思ったがこれ以上は墓穴を掘るだけなので、口をつぐんでおく。
風華が小声で「雉も鳴かずば射たれまいに、」と溜め息をついたのを聞いて、鉄裁が僅かに肩を震わせている。正論なのだが、彼女に指摘されるということが喜助には酷な話で、内心肩を落としていた。
← 10/11 →