賽は投げられた
「は?」
黒猫が間の抜けた声で振り返る。
「それですよ、風華!」
ずいっと前のめりになった喜助と反比例して風華が身を引き、その間に割って入るように黒猫が卓袱台に乗り上げる。
「え?それ、って?」
「だから、向こうから接触してくるような状況を作ればいいんスよ!」
「どういうことじゃ」
促されるままに頭に浮かんだ一つの提案を口にした。
口にしながら喜助自身ももう一度頭の中で組み上げていく。
ただの思い付きで終らせる気はない。
作戦のどこかに穴はないか。
逆に利用されてしまわないか。
その時の打開策はあるのか。
幾つもの案を考えては打ち消し、打ち消しては新な案をシュミレートして再構築していく。
もう二度とこんなことを繰り返したくはないから。
「向こうから接触してくる、じゃと?」
夜一は渋面をより険しくさせて此方を睨んでいる。
口を挟まないものの、風華と鉄裁も困惑しているようで、眉を下げて顔を見合わせている。夜一同様、喜助の案には賛同しかねているのだ。
当然の反応だ。
例えばこれが、別の誰かからの提案なら、喜助とて『一旦考えさせてください』と言うだろう。
既に冷めてしまった茶を口に含み、乾きかけた喉を潤してから喜助はもう一度言葉を重ねた。
「だから、あえて、この地区担当の死神達と繋がりをもつんです」
「血迷ったか!お主、今の立場を解っておらぬというか!!」
「解ってますって」
前肢を何度も卓袱台の上に叩き付け、今にも飛び掛かってきそうな黒猫が、辛うじて前傾姿勢を保つだけに留めているのは、その彼女の背中に宛がわれた風華の手のお陰だろう。
風華が加減する必要など欠片もないのだが、やはり見た目が猫である分、抑え込む力は控え目なようで、夜一はすぐ抜け出せそうだ。
「でも、こんな隠居生活続けてたんじゃあ、埒が空かない。そうでしょう?」
「その通りじゃ。しかし・・・」
常にストレートな物言いで完膚なきまでに的確に痛いところだけを抉り喜助を叩きのめしめくれる彼女にしては随分と珍しく、歯切れ悪くそのまま口を閉ざした。
理屈で解ろうとも、心が理解を拒否することは、侭あることだ。
科学者らしくない意見だが、喜助自身はそのどちらも正解であり、不正解だと考えている。
ある点に於いて正解であっても、ある側面に於いては不正解になる。
そんなこと、生きていれば当たり前に起きることで。
だから、やれることは、やってみるしかないのだ。
今は不正解だと思えても、いつかそれで良かったと判断出来ることもあるのだから。
喜助は、卓袱台の上で尻尾を振りだした夜一に手を伸ばす。きっとより良い選択肢を模索してくれているのだろう。
なんだかんだと言ってくるものの、結局のところ協力してくれる。現世への逃亡にまで手を貸した時点で彼女の負けなのだ。
竹馬の友として、そして今は共犯者として。
しかし伸ばされた手は、ぱしんと猫パンチを返された。爪を伸ばされたようで掌が赤くなっている。「何するんスか」という批難の声は予想通り流され、その夜一はと言えば、諦めたように溜め息をついている。
「・・・どうせ止めたところで、聞かぬのじゃろう。とっとと申せ、お主の下らぬ考えとやらを」
「ありがとっス、夜一サン」
黒猫はふんと鼻を鳴らしてまた風華の膝の上に舞い戻る。風華の頭を撫でる掌の動きに合わせて尻尾が揺れている。
喜助は茶を口にしようとして、既に空になっていたことに今更気付い湯飲みから手を離す。
それを見ていた鉄裁が「淹れ直してきましょう」と立ち上がった。風華も気にしていたようだが、膝の上で丸まってしまった黒猫のお陰で座っているしかないようだった。
鉄裁が全員に新しい茶を注いだことを確認してから、喜助は再び口を開いた。
「まず、向こうのボク達の扱いを改めて確認しますが、『そんな隊長達はそもそも存在しなかった』でいいですね?」
「ああ、そうじゃ」
夜一が苦々しげに頷く。
高尚な存在である死神に罪人など現れていい筈がない。故に二番隊で秘密裏に監理されていたのだ。
それが、ここまで禁忌を犯した大罪人ともなれば、そんな最悪の汚点ともいうべき存在自体を抹消したい。
だからこそ、『現世追放』などという処置を下されたのだ。
古参の者とて、隊長と関わりのある死神は限られている。さらに新しく入隊してくる死神達に知られなければ、時間の経過と共にいずれ完全に『亡き者』として処理されていく。
歴史上に名が残ろうともわざわざ文献を紐解いてまで、遡る者も居るまい。
それが四十六室の考えなのだろう。
「幸か不幸か、ボクだけじゃなくて、鉄裁サンや、夜一サン。平子サン達・・・それに風華まで、元々居なかったことにされてるんなら、今の、しかもこんな何もない地区を任されるような末端の死神にボク達のことなんて分かるはずがない」
「・・・それも、そうですね」
風華が睫を伏せたまま寂しげに頷く。
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