『最愛』

慌ただしい日々は、本当に、瞬く間に過ぎていく。


玄関先でぼうっと煙管を呑んでいると、賑やかな声が聞こえてきたので、家の中を振り返る。

ちょうど支度が出来たようで、小さな白い鞄と、ライトグレーのコートを片手に風華が居間から出てきたところだった。
まだ本格的な冬の訪れには少しばかり早いが、今朝随分冷え込んでいたからコートも用意したのだろう。
今日は鮮やかな濃緑のワンピースを着ている。彼女が動く度に裾から、白い膝頭がちらちらと覗いていて、思わず手を伸ばしたくなる。


謀られた、と嘆いてばかりもいられない、と現世なりの生活を楽しみ始めた白やリサには驚かされてばかりである。女性は強いな、と改めて思わされた。


そうして、彼女達に感化されるように、風華も初めは抵抗していたものの、現世の女性達の腕や足を出した服を着るようになっていった。

今年の夏には、倉庫の片付けをする際、ピンクのシャツにショート丈のデニムなんか履いてくれていたものだから、ついついその白い脚に目がいってしまって、『喜助さん、仕事して!』と怒られたことがあった。自身の前でそんな格好をしている彼女が悪いと責任転嫁したら、尚怒られたのは余談だが。


それにしても、色白で顔立ちの整った彼女には、ああいう深みのある鮮やかな色合いや、柔らかく綺麗な色合いがよく似合うなと改めて思う。


「風華、お迎え」


その喜助の声に被さるようにして、黒髪眼鏡の女性の声が彼女を呼ぶ。

「風華ー!買い出し行くでー!」

「はーい、」

リサに呼ばれて風華が戸口で靴を履いて出てくる。

最初の頃は慣れない洋装のボタンやファスナーに手間取っていたこともあったようだが、今ではこちらの方が見馴れてしまったぐらいだ。以前、『現世の人って、こんなので歩けるの?』と苦い顔をして女性用の靴のかかとをしげしげと眺めていたのさえ、懐かしい話だ。
こうなると、たまには以前のような和装も見たくなるのは、無い物ねだりなのだろうか。

「気を付けてね」

「はい。あ、喜助さん、夕飯何がいいですか?」

「そうっスねぇ。じゃあ肉じゃがで」

木枯らしが吹いて、羽織の前を掻き合わせながら、答える。
柔らかな茶色の髪をふわりと、揺らせて風華が首を傾げて訊いてくる。
小脇に抱えていたコートを奪って羽織らせてやりながら、「久々にアナタが作ったのが食べたいな」なんて戯れを口にしてみた。

飾りのないシンプルなライトグレーのそのコートは、立て襟でボタンラインが中心からやや左寄りに仕立てられている。
揃いの仕立てで男性用もあり、冬の外出時の一張羅になっている。去年、誕生祝いにと、風華が見繕い、二人で買ったものだ。男性用はボタンラインが右寄りなことと、色がチャコールグレーといった違いがある。

「ふふ、分かりました」

少し恥ずかしそうに目を丸くしてから、けれど嬉しそうに微笑んで頷くと、「行ってきます」と友人と連れ立っていく。

「ひよ里ちゃんはまたお留守番?」

「しゃーないやろ。ひよ里連れとったら店入られへん」

「でさ、今日はどこから行くー?」

「せやな、まずは・・・」

遠ざかっていく声と背中を見送りながら、また煙を一筋吐き出す。
風に灰色の煙が靡いて消えていく。


こちらに来てから、家事全般は鉄裁の領分となっていて、こと、台所は完全に彼の城と化していた。
初めのうちこそ、風華も使わせてもらっていたのだが、水仕事の後に必ず軟膏を塗る彼女を見て『せっかく綺麗な肌をなさっているのに、勿体無いことをなさいますな!』と一喝されて以来、台所に立ち入るには理由を求められるようになったのだ。
例えば今日のように、皆で買い出しに行くときなどは、一任されており、風華が作ってくれている。

両手を大きな彼の手で挟まれ、しかもあの巨躯で威圧感を隠しもせず一喝されて驚いた風華は、何も言えずに頷いて、その場を離れて居間で茶を啜っていた喜助の隣に腰を下ろして、小声で『びっくりしちゃった』とだけ告げていた。

あのときの、彼女の呆然とした表情が忘れられずにいる。
それから、彼女の手を掴んでいた鉄裁にさえ、嫉妬してしまったこと。


いや、違う。

本当に嫉妬しているのは、風華に、だ。
以前にも増して、艶やかに、凛とした様を魅せる風華から目が離せない。
もともと手放す気もなかったけれど、それにしたってこんなにも、歳を重ねるごとに色艶を増すとは思わなかったのだ。
見た目に変化があるわけではない。
けれど、確かに、より淑やかに、より綺麗になっている。


そう感じているのは何も喜助だけではなかった。

離別してちょうど一年と少し経った頃だっただろうか。
ふらりと姿を現せた黒猫は、風華を見るなり金の眼を細めて、『しばらく見ぬうちに、随分とまた綺麗になったもんじゃのう』と宣った。
風華は『もう、夜一さんたら。他に言うことがあるでしょう?』と苦笑いを浮かべていたが、夜一の言は正しい。かの親友に関して言えば、元来冗談や世辞など言える人物ではないのだが。

それにしても、だ。


今思い出してもチリチリと胸の奥が妬けつく感覚に舌打ちをして、また口から煙を吐き出した。

びゅうときつい風が吹いて煙が掻き消される。

「今日は冷えますね、」

一人ごちて、喜助は家の中へと踵を返した。




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