たった一つの我が儘

それは、数秒。
或いは、数分。

心臓の音が耳の奥で騒いでいる。
口の中が渇いて、唾を呑み込む。

僅かな時間であったはずのそれは。
死を待つだけの時間としては、あまりにも長く感じられた。

にも関わらず、彼女に恐怖はなかった。

風華の『すべて』を捧げると、彼と約束を交わしたのだから。

それは、目に見えるものに、その手に触れられるものだけではない。

今も未来も含めた、彼女の生きる時間。
それらも『すべて』捧げよう。

この命に代えて、貴方に不変の愛を。
知らず微笑みに口許が柔らかな弧を描く。



がしゃん、と何かが地面に叩き付けられた音。
目を見開いたときには、既に、呼吸もままならないほど、ぐっと強く抱き寄せられていた。

「喜助さ、」

「出来るわけ、ないじゃないですか・・・!」

頭上から掠れた声が落ちてくる。
彼の胸板に押し付けられるようにされていて、身動きもできない。顔をあげようとしたが、尚も拘束は強まっていく。
掴まれた肩に彼の指が食い込み、ぎしぎしと痛む。

「アナタを、殺すなんて、」

「喜助さん、」

自由が利く自身の両腕を彼の背に回して、羽織をぎゅっと握り締めた。
指先から伝わる熱の温かさに、じわりと涙が滲む。

「本当に、いいんですね」

「はい。例え地獄なりとも連れていって下さい」


ーーーー今後一切、貴女のすべては僕だけのものだとーーー

あの約束が、嘘ではないのなら。
それならば、彼を信じてついてゆける。


はぁ、と喜助が深く溜め息をついた。
それから、体が少し震える。どうやら笑っているらしい。

「分かりました、ボクの敗けです」

緩められた腕の中から、顔をあげてみると、彼はやはり困ったような、けれど嬉しそうに目尻を柔らかく下げて、苦笑いを浮かべている。

後ろで静観していた夜一も、がくりと肩を落として脱力している。
かと思えばがばりと顔をあげて、づかづかと此方に歩み寄るなり、風華を睨む。

「まったく、お主というヤツは!さすがの儂も肝を冷やしたぞ!喜助も馬鹿じゃが、お主も大馬鹿者じゃ!」

「ごめんなさい、」

額をびしり、と思いきり叩かれてしまった。
おそらく夜一の行動が読めていたであろう喜助がそれを止めなかったのは、少なからず喜助も怒っていたからだろうと思われた。
風華は夜一を、次いで喜助を見上げてから、謝った。

「夜一サン、然り気無くボクまで貶すの止めてくださいよ。そういうの結構傷付くんですけど」

「それは良かったの。さて、すまぬの、鉄裁。紹介が遅れたが、こやつは不憫にも喜助の毒牙にかかってしまった憐れな娘、名を跡 風華という。」

夜一が手招きをすると、静閑し続けていた男が近寄ってきた。
視線が合わされたので、喜助の腕の中から会釈する。

「それ、悪意しか感じないんスけど」

夜一の歯に衣を着せない物言いに苦言を呈しながら、彼がそっと風華の背中を押してくれたので、前に進み出る。
風華とて小柄な訳ではないのだが、彼がかなり大きいのだろう。背丈だけでなく体つきも屈強な戦士のようだ。
近くで見るとまるで一枚の岩のよう。

「風華、こやつは、握菱鉄裁という。まあ儂と喜助の昔馴染みじゃ。図体はデカイが細かなことにも気が利くよいヤツじゃ。鬼道が得意じゃがその他家事全般なんでもこなせるぞ。この先、何か困ったことがあれば、こやつに頼むがよい。喜助ではなく、な」

夜一とその男に交互に見てから、最後にもう一度夜一を見て、風華は頷いた。

「ありがとう、夜一さん」

「風華サン!?」

喜助の悲鳴のような呼び声にも振り返らずに鉄裁に向き直る。

「ふむ。お初にお目にかかります。私は握菱鉄裁、テッサイと呼んでくだされ」

「跡 風華です。縁あって、浦原さんとお付き合いさせていただいております。不束者ですが、よろしくお願いいたします」

「風華サン、最後の言葉、言う相手間違ってませんか・・・」

先程よりも余程泣き出しそうな情けない声を出す喜助の様子に思わずくすりと笑ってしまう。

「ふふ、そうですか?」

「風華サンのさっきの言葉が、もう既に信じられなくなりそうなんスけど」

額に手をあてて、喜助が嘆息している。
その隣でくすくすといまだ笑っている風華を一瞥して、夜一は喜助の背中をばしっと、叩く。
「痛い!」とあがった悲鳴に風華と鉄裁も振り返る。

「やはり、連れてきて良かったようじゃの」

「・・・ハイ?」

「お主、憑き物が晴れたような顔をしておるぞ」


夜一の言葉に彼は僅かに目を見張り、けれど答える代わりに風華の腕を取る。
風華が首を傾ぐと、彼は自身の羽織を掛けてくれた。

「夜はまだ、冷えるでしょう」

「あ、ありがとうございます」

肩に掛けられた羽織をそっと掴む。
彼の体温が移されたそれにすっぽりと体を覆い隠すと、確かに温かい。ぬるま湯に浸かっているようで眠気を誘う。
緊張の糸が切れたせいかもしれない。

「うん、ボクにはアナタが必要みたいだ」

「え?」

知らずぼうっとしていた風華は、僅かに理解が遅れてしまった。
そんな風華の様子にも気付いているのか、彼は風華の髪を軽くなぜて、それから口元を引き締めた。

「何があったのか、何が起こっているのか、すべてお話します。聞いていただけますか」

三人が一様に頷くと、彼は淡々と語り始めた。
話す合間、彼が特殊な義骸を創る手を止めることは一度もなかった。

夜一と鉄裁はただ目を伏せて聞いていた。
その傍らで風華は、負傷したひよ里達を介抱しながら耳を傾けていた。

既に四十六室の決定は下されていること。
藍染の画策を覆す術が今はないこと。
いつか必ず訪れる、その機を逃さない為にも、今は身を潜める他ないこと。


退路は既になく、茨に覆い閉ざされた、その道なき道を進むしかない。
それが、前進か後進かは分からない。

けれど、独りではない。
傍らにある愛しき人と手を繋いで、進もう。

長い、とても長いその旅は、ようやく始まろうとしていた。




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