たった一つの我が儘


彼女が次に気付いたときは既に障子から明るい光が射し込んでいた。

仕方なく一人、朝餉の準備をしていると、縁側の引戸が開かれる。

「ちと邪魔するぞ」

「夜一さん、」

縁側から入ってくるなり、居間にどっかりと腰を下ろした夜一は、朝食の準備中と知るや自身の分も要求してきた。
そのため、風華は用意していた分に、急遽別の品も拵えることになった。
もともと喜助の分も買い込んでいたので、一人増えるぐらいなら問題ないのだが、相手は大食漢の夜一である。
おひつ一つで足りるかしら、と風華は苦笑しながら、甘めの卵焼きに、味噌汁、それから残り物の根菜を使って魚の炊き合わせを用意した。

「相変わらず風華の飯は美味いのう。どうじゃ?儂の専属料理人にならんか?」

「ふふ、誉めてもこれ以上は何も出てきませんよ」

風華は笑いながら、糠床から漬け物を取り出して、茶漬けに添える。
すでに夜一用のどんぶり茶碗によそった回数は十を超えているのだが、まだ食べたりないらしい。

「それは残念じゃのう」

番茶に手を伸ばして不満げに呟く。
猫舌なのか、熱すぎる茶が苦手な彼女の為に、少し冷まして淹れてある。
冷めかけの茶を彼女がずずっと啜ったところで、風華は向かいに座す。

「それで、夜一さん。喜助さんがどうしたんですか?」

「なんじゃ?喜助がどうかしたのか?」

「彼のことでもないのに、こんなに朝早くからいらしたんですか?四楓院隊長自ら?」

「お見通し、というわけか」

「お見通しって訳じゃないですけど、ただ、夜一さんが突然来るときは大体何か話があるときですから」

四楓院家の当主であり、さらに二番隊並びに刑軍を率いている夜一は多忙を極める。
その合間をぬって朽木家に侵入しては鬼事を愉しんだり、呑みに誘ってくれたりしているようだが、基本的に用事がなければ姿を見せない。
しかも、姿を見せるときは大抵喜助絡みなのだ。
なんだかんだ言いつつ、友の動向が気になるらしい。
事ある毎に「あんな奴じゃが、喜助の奴を宜しく頼む」と言われていて、友人を通り越してもはや親心なのだろうかとさえ思っているが。

「ふむ。まぁそうじゃの」

「でしょう?」

風華の答えをあっさりと認めてから、夜一は単刀直入に口を開く。

「では本題じゃが、お主、どれぐらいあやつに惚れておる?」

「どれぐらい、ですか」 

なんと言えばいいのだろう。
考え込む風華に助け船を出すように、「例えば」と続ける。

「まあ、仮の話じゃが、喜助が別れたいと言ったらどうする?」

「どう、しましょう」

突然の話に、数回目を瞬かせた。
黄金の瞳が鋭くこちらを見据えている。
仮に、とは言うものの、本当に仮の話なのだろうか。

その視線をまっすぐに受けてから、風華は自身の湯呑みに視線を落とした。番茶の水面がゆらゆらと波打って、彼女の顔を歪に映す。

「喩え話じゃ。そう深く悩むでない」

「えっと、そう、ですね。おそらく、そのまま別れると思います」

風華の答えに彼女は片眉を吊り上げてた。

「ほう?やはり喜助では元々不満であったか」

「そんなこと言ってません!もう、すぐそういうこと言うんですから。彼の大事なご友人でも、彼を侮辱するようでしたら、私も寛大では居られませんよ?」

元々の立場の違いもあるのだろうが、常々夜一は喜助を下げて見る節がある。彼の頭脳や実力は買っているが、中身があれでは、というところなのだろう。
確かに性格について全面的に擁護は出来ないが、毎回この謂われようではあんまりだ。
風華にとっては、今一番大切な人なのだから。

「あやつの何がそこまでさせるのかのう」

「夜一さん!」

「すまんすまん、お主の前では控えよう」

些か気になる言い方ではあるが、それに取り合っていては、埒が明かないと、風華は諦めてため息をつく。

「それで、なぜあっさりと身を引ける?」

「喜助さんが、それを本気で望んでいるのでしたら、そうします。」

「ほう?含みのある言い方じゃの?」

今しがた似たような言い方をした人物に言われたくはないが、本題はこちらであるし、彼女の尊大な物言いのすべてを気にしてはいられない。
風華は茶を口に含んで一息ついてから、夜一を見返す。
きらりと輝くその黄金の瞳は、何かを試されているときの瞳だ。

「もし、仮に、それを切り出した理由が『私のため』なのでしたら、そんなのは願い下げです」

「ならばどうする」

「そのときは」

その時は。自身はどうするだろうか。
考えて浮かんだ、一つの答え。
けれど、それを口にするのは憚られた。

「口にするのはちょっと。怒られそうですし」

「喜助にか?」

「それもですけど、どちらかと言えば、夜一さんに」

「お主、一体何を考えた?」

思いきり顔をしかめて、探るように彼女は風華を見遣る。
きっと、口にすれば、保護者として、そして友として、誰よりも憤慨するだろうと思う。
愚かなことを、と。
それこそ風華の親友以上に。

「内緒です」 

「まあよい。話を戻すが、それでどれほどあやつに惚れているかという話じゃが」

逡巡して、それから導き出した答えは、答えとは言えないようなものだったが、それでも夜一を引き下がらせるには十分だったようだ。

「答えようがないほど、で宜しいですか?」

「まったく、お主の方が余程覚悟があるようじゃの」

「覚悟、ですか?」

「いや、こっちの話じゃ」

何の話かは分からないが、口振りから察するにやはり何かを試されていたのだろう。
首を傾げた風華に、彼女は「時が来れば判る」とだけ告げて、来たときと同様にまた縁側から帰っていった。
たまには玄関からきちんと出入りしてほしいのだが。まるで野良猫のような振る舞いに苦笑して、それから、居間に戻って額に手をあてる。

「そうだ、朝ごはん、全部食べられちゃったんだわ」

残された空の櫃と茶碗の数々を眺めてから、もう一度深い溜め息をついた。

今日は早めに帰って、買い出しに行かなければ。
そんなことを考えて風華は身支度を始めた。

その日の夜が、あんなにも長い長い夜になることを、このときの彼女は知る由もなかった。




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